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もう、お家に還ろう


#stayhome


で、一体、私たちがかえりたいおうちはどこなの?今の暮らし、今の家、今の環境、今の人間関係、全部ひっくるめて自分がstayし続けたいhomeだと思っている人はどれくらいいるんだろうか?

 
 
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ある朝、キッチンでいつものように料理をしていると

ふっと声が聞こえた
 


「おうちにかえりたい」
  


それは小さくて、ともすればスルーしてしまうような微かな声だった
 

「おうち??」
 

少し思考が傾きかけたところで、目玉焼きがジューっと大きな音を立てて私を現実世界に引き戻す

おっと、もう焼けてるじゃん。


フライパンから目玉焼きを救い出して朝ごはんの準備をする
 

キッチンでは朝の光が美しいことを、早起きするようになって最近知った

 

2020年春
コロナウィルスが世界を席巻し、日本でも都市部で緊急事態宣言が出され、人々は活動を自粛することになった
 

我が家でも感染のリスクを避けるため夫は自主的に東京での仕事を休むことになり、一緒に家で過ごす日々が急に訪れた
 

夫婦で毎日一緒にごはんを食べ一緒に畑に行くという夢が、あっけなく叶ってしまった
 

それは思った以上に幸せな日々で
 

好きな人とただ日々を過ごせることが、こんなに心躍ることだったなんて!と、世間の喧騒とは裏腹にウキウキしちゃう自分がいた


今年から農家に転職した私は農業をやる上で圧倒的に仲良くしたい存在No.1=地球のことが気になり始めて、地球やそれを取り巻く世界の成り立ちについて調べていた
 

何も知らなかった
 

というのが、少し本を読んだだけでもすごく良くわかった
 

まず私が驚いたのは、この世界では「全てが循環している」ということだった
 

地球のどこかで何かが増えたり、減ったりしているかと思うじゃん? 生まれたり、消えたりしているかと思うじゃん??
 

してないんだよ!!!!(隕石とか降ってくる=増えることもたまにあるし、3次元的に物質を捉える以外の視点はまた別の話)

 

わかりやすく言えば、この世界では様々な物質がくっついたり離れたりしては形を変えて、ぐるぐる巡っているだけだった
 

地球にある資源(物質)の総量は変わらなくて、組み合わせだけが変わっていく
 

それが「世界」を構成している
 
 

世界の秘密をひとつ、知ってしまった。
 

 

心臓がドキドキしたのを覚えている
 


この世界には素敵なものがたくさんある
 

海、山、風、植物、動物、虫、微生物、菌、大地、光、闇・・・あらゆる自然にあるとされるもの

それに加えて、都市、生活、経済、化合物、アート、あらゆ人間の表現や人工とされるもの

たくさんの素敵なものたちでこの地球は埋め尽くされて、一切のすきま(何もない場所、真空空間)はないとされている

地球には目に見える見えないにかかわらず、全ての場所に「何か」が存在しているってわけ
 
 

日本には農業をやる上で欠かせない土がそこらじゅうにあって、そこに種を植えると芽が出て、大きくなった植物はやがて実をつけて種を残し、しぼんで枯れて、雨に打たれ太陽に照らされて、いろんな自然のシステムの中で分解されて、だんだん形がなくなっていく
 

草を土から抜いて土に置いておくとさ、マジでそのうちいなくなってるの


その植物は消えたのかな?
有形だったものが無形になったのかな?

 
答えはNO
消えてない

 
還ったんだよね
形を変えて、自然の輪の中へ還っていった

 
それは土になり、花になり、山になり、海になり、雨になり、また各地を巡っていく

それを想像した時に、そこはかとない安心感がやってきた


ああ、あの草はおうちにかえれたんだね。 

 

生まれてから死ぬ、その一生を終えた後に、地球の一部になるということ。この安心感ってなんだろう?
 

私は死んだら四角いお墓には入りたくないから、海に流して欲しい!って家族に言ってあるけど、そんな感覚
 

自由で、思いっきり深呼吸できるような状態で在ること
 

つまり、死ぬっていうことは自然に還り大きな循環の一部になることとイコールで、それは命の持つリズムの心地よさと一致するみたいだった

人間もまた自然の一部で、循環に中に身を置きたい(正確には身を置いていることが分からなくなるので確認したい)という根元的な欲求があるんだろうね
 

夫婦でそんなことを話す時間も、わたしにとってはとても嬉しい時間だった 

**地球の循環が「みんなが戻っていく場所」だとしたら、その大きな循環を広い意味で「おうち」と呼べるのかもしれない **

地球上のあらゆる物体は「おうち」へ還っているように見えるけど

あの朝
「おうちに、かえりたい」
そう言っていたのは誰だったんだろう?
 


庭や畑を開墾して土を掘っていると、時間がかなり経ったであろう深い深い部分でも見つかるものがある
 

プラスチックだ
 

野菜のタネが入っていた袋、プランターが何かの破片、野菜を束ねていたであろうビニールの紐…そのままの姿で地底から出てくる

調べてみると、プラスチックの強度は凄まじく、地表で条件が良い場所でも分解に数十年、海や海底など条件が限定される場所では分解されるまでに数百年〜数千年という試算もある(実際はプラスチックが生まれてまだ数十年なので、わ・か・ら・な・い!らしい)

ほかにも地球で自然に分解されにくいものはたくさんあるんだけど、プラスチックは生活のありとあらゆる場所で使われ&使い捨てによる消費量が半端なく、ゴミになる量が群を抜いている 

そして軽いので簡単に海に流れて着いてしまうという特徴があって、海に行ったら最後、マイクロプラスチックという超微細な破片になっても分解されずに海を漂い続けることになるらしい…まじかよ。海に流れたプラスチックを間違って食べてしまった生き物が死んでしまったり環境を破壊したりして、今まさに問題になっている

なんでそんな手に負えなそうなものをたくさん作ってたくさん消費して捨てているのか?バカなのか?って思ってしまうかもしれないけど、そんなことも見えないくらい複雑になっているのが現実の世界 

プラスチックの原料は【石油】その原料の原油がバンバン出ているアラブの国がお金持ちなのはみんな想像がつくと思う。石油王という言葉も聞いたことあるよね。どうして、プラスチックが、こんなたくさん、作られているのか?想像できるんじゃないかな
 
 

ここでプラスチックの気持ちになってみよう
 

あなたが仮に、他の人間よりものすごく屈強に作られた人造ネオ人間プラスチックさんだとしよう

あなたは熱や光に強く、水も弾く

簡単には形も変わらない強度を持ったり逆に柔らかくなることもできる

とっても便利な体を持っているためにあらゆるところで他の人間の役に立ってはいるが、とにかくすぐに捨てられてしまう

一度仕事をしたらゴミに出される

ゴミ捨て場では[リサイクル]という名のもとに集められた他のプラスチックさんたちと一緒にゴミとして生きる

燃やされる人もいるが全員ではない

粉砕されても骨折しても死なない

一度骨折した場所は元には戻らないが、そのまま分裂しながら生きながらえることができる

ある日小さくなったあなたはゴミ捨て場から海に流れてしまった

軽くて浮かんで日に照らされていると、次第に小さなかけらになってどんどん沈んでいく

 
…海の底は真っ暗だ…
 

知っている人たちはとっくの昔に死んでしまった

ひとりポツンと暗い海の底で生きる
 
そんな孤独を想像できる??

そしてあなたはいつ死ぬことができるのかわからない

あなたを生み出した人にも、あなた本人にもわからない

あなたがいることで地球が破壊されるとまで言われながら生き続けなければいけない

それってどんな気持ち??

死ねない=循環に戻れない=おうちにかえれない

その怖さ、悲しみ、苦しみ…人間には想像しきれない感情がプラスチックさんにはあるのかもしれない
 

「おうちに、かえりたい」 
 

あの時の声は、そんなプラスチックや循環に還れないモノたちの声だったのかもしれない
 

 
 

わたしたちが普通の暮らしを営む、今この時

あらゆるものが存在して簡単に手に入って簡単に捨てれて、便利で魔法みたいな世の中

私たちはその中でごきげんに暮らしているつもりだけど【自分の普通の豊かな暮らし】を綺麗に切り取ったフレームの外側を覗いた時に

それは果たして、ごきげんなんだろうか?って考える

循環をかなり意識して山や自然豊かな場所で生活していない限り、多くの人は地球に還れないモノに囲まれて生活していると思う。都会であればあるほど便利である必要があるので、暮らしの中で「おうちにかえれない」族は増えていく

もしも物質に感情があるとしたら、例えば毎日プラスチックを使い捨て続けているだけで、プラスチックさんの悲しみや孤独をあなたももらっているのかもしれない
 
 
私が私の食べたものでできているのであれば、うんちを毎回トイレに流すたびに私の一部=うんちが、自然から切り離されることで「おうちにかえりたい」と嘆いているのかもしれない

それは多分、思った以上のダメージを人間は受けているだろうなって思った

 
暗い海の底に沈むプラスチックの気持ちに、プラスチックのゴミがパンパンになった燃えないゴミの袋を見つめる自分の、言葉にしきれない気持ちを重ねる
 

生きていてなんとく孤独を感じたり、都会でたくさん人がいてもひとりぼっちの気持ちなったりすることがある

 
存在に対する深い罪悪感、生きていてごめんなさい、こんな私でごめんなさい、生まれてきてごめんなさいのような気持ちを感じることがある
 
それはもしかしたら、深い深い部分では人間だけの感情ではないのかもしれないなって思う

一緒に生きている他の物質たちにも色々な気持ちがあり、それもひっくるめて一緒に生きているような感覚

便利さのプラスの面だけを受け取ることはできなくて、私たちはちゃんとその反対側も受け取っているはず。おうちにかえれない族が増えた今、社会全体にネガティブな気持ちが膨らむのは当たり前にも思えた

 
 
いろんな人や物質の気持ちまで感じてくれている、優しいあなたへ

大変だったよね、本当にいつもありがとう

もう、1人で背負わなくていいんだよ

一緒に生きて、一緒に死んでいこう
  

まずはあなたが、大きな循環を思い出して感じて、気持ちよくあなたで在れますように
 
 
そして、全方位にごきげんで、それでもみんな一緒にやっていくアイデアはたくさんあるはずだから一緒に考えようよ


今まで出会ってきた優しい人たちの顔が浮かぶ

 

 

コロナで自粛が続き、人間が作ってきた制度がいとも簡単に崩壊していくのを目のあたりにしている
 

あっけなく、そしてあっぱれだ


#stayhome
#おうち時間
少しでもウィルスの拡大や被害を抑えるために、たしかに今は外出は控えた方がいいのだろうし、おうちでの時間を充実させようというクリエイティビティーは素晴らしい  
 

コロナの収束に尽力されている人、誰かを救うために懸命に頑張っている人には感謝が尽きないし、誰かの大切な人が守られますようにと願う

 
で、みんなコロナが終わったら、コロナが落ち着いたら、戻れるよね?って感じだけど、一体どこに戻りたいんだろう? 

 
これから、私たちがかえりたいおうちはどこなの?今の暮らし、今の家、今の環境、全部ひっくるめて自分がstayし続けたいhomeだと思っている人はどれくらいいるんだろうか?

 

本当の意味で、#stayhomeしたくなる場所を作りたい

本当の意味で、私たちや地球に生きる全ての生命が安心しておうちに還れる場所を作りたいな 

 
ついに私たちは、おうちへのかえりかたを考える時がきたんだと思ってる

 
野性の本能と直感に従って好きなように世界を作っていいのだよって、コロナを通して言われた気がした。もう遠慮はいらないのだと。「でも」と「だって」はコロナが吹き飛ばしてしまったから
 

 
私にとってその世界とは今、目の前の畑であり、そこに集まってくれたMUQLAPAというコミュ二ティーであり、そこから始まっていく物語


まだ何もなくて、これから全部つくってもいい場所

 

決して恐れず
されど丁寧に注意深く
 
気持ちよく息を吸って
ゆっくり吐いて
 
共に創造し続けよう


まゆちゃぱうぉにか

見つけてくれてありがとうございます。「ごきげん」な未来に繋がる農業や心や体のことを実験中です。もし共感してくれる方がいましたら、サポートしていただけたらめちゃくちゃ嬉しいです。あなたの人生のごきげんなエッセンスになれたらそれが一番happy♡