熱狂

"熱狂"と"ほどほど"。人に魅力を伝えられる「適温」は何度くらいなんだろう

 noteを始めて3日。とりあえず3日坊主は回避したが、2つの記事を書いて感じたことがある。

「私の記事、あんまり熱量高くない…?」

 初記事となったSixTONESの記事↓


は、我ながらとても俯瞰的に書いた意識がある。SixTONESを知らない人もいることを想定して書いた。いわゆる"ストーリー"的な部分は、かなり省略した。何万字でも書けそうだったけど、SixTONESが伝わらない層に本題が伝わらなければ意味がない、という意識が先に立ったし、本題がSixTONESではなく「このグループを好きになっての私の変化」だから、SixTONESに関してはかなり(これでも)ライトな書き方になったと思う。温度で言うなら「50℃」といったところ。


 次の鶴瓶さんの記事

でもやっぱり、本を介して「人間関係や人間を見る見方について考える」、というものだったから、熱量としては高くないのでは、と感じている。これは体感40℃くらい。

とはいえ、こうして記事にして語っているだけでも、これらに対する私の熱量って、結構高いと思う。だけど、

タイトルから「少し興味を引かれた」程度の人に伝わる熱量って、いったい何度くらいなんだろう?

 ちなみに私は、自分の好きなものに関しては熱量が100℃超えて、5000℃くらい振り切れた記事が結構好きだ。あふれんばかりの気持ちが伝わってくるし、情報量が豊かだし、これまでなかった視点も持っているし、感情を共有しやすい。なにより振り切れててすごいと思う。

 高い熱量で語れるものを持っている人を尊敬している。かつて読書会で昔から大好きなシリーズの約15年ぶりの新刊を紹介したとき、あまりの興奮ぶりに

「全然話のことはわからんかったけど、好きって気持ちだけはすっごい伝わった」

紹介にあるまじきことを言われた。だが、「人がそれだけ好きになるということは、それだけの魅力や価値があるのだろう」と、興味を持ってくれた人もいた。また、人と何かを作り上げるときでも、中心となる人の熱量が高ければ、徐々に熱伝導を起こし、全体が高まって盛り上がることが多いことを、経験則として知っている。

 熱量の高さは、熱伝導を生みやすい。熱を伝えるのならば、熱量は高い方がいい。行動に関しては、人の10倍くらいの温度で臨んで、やっと人に熱が伝わるというのが体感だ。

 そして、人は盛り上がっているところに集まる。盛り上がっている場所は、熱量が高い場所だ。

では、熱は高ければ高いほどいいのだろうか?

  と、言われると、おそらくNOだ。

 熱量が高いということは、ものすごくエネルギー値が高い。そして、俯瞰的な視点で100℃の記事を書くことはできないと現状の私は思っている。

だから、100℃の記事を読んで一緒に共有できる人は、同じ沼に浸って、同じものをすでに共有している人だ。その目線は、「自分がその目線になり代わって差し支えない」くらいの共通理解や愛(と呼ぶのが適当なのか)がある人が好ましい。

 シンプルに100℃とか500℃って、何の知識も興味もない人からしたら「熱いわ!!!」「意味わからん」でしかないし。

 共通理解がない相手に対し、前提や基礎知識等を語りながら語る記事は、どうしてって多分、「ほどほど」になりやすい。

ハイカロリー熱量MAXの記事が伝える魅力は「人をこれだけ熱狂させ、熱くさせるほどの価値があるもの」

であり、

俯瞰的でほどほどの記事の伝える魅力は「コンテンツのおもしろさなどのフック」。

 と、ここまで考えて、それでもやっぱり私は、「人は熱くなれるものを探している」と思う。

 広く伝わる。最大公約数的に人に伝わる「伝え方の適温」。私の理想は

「初めてそれに触れる相手を50℃くらいまで温められるような」温度

が適温なのかな、と思う。


そして、この記事を書いて思ったことは、「私結構読まれてること意識して書いてるな」ということ。

ここまで読んでくださった方で、「私はこう思う」という方がいたら、お話聞けたら嬉しいな、と思います。

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