夢を叶えたんだね

私が小学校の教員をしていた間、

普通よりたくさんの子どもたちと、
普通より長く過ごすことができたあの時間に、

わたしは何度も何度も、子どもたちのおかげで
いい意味で驚かされたり、嬉しさや幸せや喜びを感じたり、心を動かされたりしてきた

自分が得をするとか、
自分が評価されるとか、
自分の思う通りになるとか、
そういう類のことではなくて、
理屈では説明できないあの感じ

うまく言葉で表すのは難しいのだけど、今までの人生の中で、先生をやっていたほんの数年の間にしか感じたことがなくて

あの感情の引き出しを開ける鍵は、私にとっては、先生の仕事をすることでしか手に入らないんじゃないかなって思う


たとえば、

大人の指示に従わず、ルールを守らず、自分がこうと思ったら曲げない(これが悪いという意味ではなくて、事実としてそうだった)子が、
どうしてみんなと同じようにしないのか
どうしてこんな行動を取っているのか
その裏側にある気持ちや考えを教えてくれたとき

学校に適応するのが難しい個性をもっていて、さんざん手を焼いてきた子が、
進級して、担任じゃなくなったとき、
私にいいところを見せようと
いつでも、どんなときでも、私を見つけると
「せんせい!!!!」と大声で名前を呼んで、
「ぼくがんばってます!」と伝えてくれるようになったとき

高学年特有の、女の子同士のいざこざのターゲットにされて
いつも周りの顔色をうかがって、不安そうに、でも、無理して笑っていた子が
自分を出して、心からの笑顔で過ごせる時間が増えているのを間近で見ていたとき

その子が泣いている友達(その子を辛く苦しくさせていた原因をつくった一人)に気付いて、
他の誰よりも先に駆け寄って、「どうしたの、なんで泣いてるのー!私も泣いちゃうよー!」って、本当にもらい泣きしながら友達を抱きしめていたとき



他にもたくさんあるはずなんだけど、
正直、ぱっと出てこないことの方が多い

今思えば、ぜんぶぜんぶ、
どこかに言葉にして残しておけばよかった、って思うけど
でも、出てこないからってなくなったわけではないし

すぐに思い出せることの方がより大切だというわけじゃなくて
覚えていないことの価値が他より低かったわけでもない

突然ふと、あ、こんなこともあったな、って、浮かんでくることもたくさんある



どれも全部大切な宝物なんだけど、ひとつ
ひとつだけすごく、私の印象に、ずうっと残ってる特別なことがある


大学を卒業して1年目
地元の教員採用試験に落ちて、
教育実習と学校ボランティアでお世話になった校長先生に紹介してもらった都内の小学校で時間講師をしていた

週5で出勤していたし、その後正規になって担任をもったどの年よりも持ち時数は多かったけれど、
いろんな学年、いろんなクラスの、いろんな教科を少しずつ担当していたから、それぞれのクラスに授業をするのは、たった週1度の1〜2時間

子どもたちはかわいかったけれど、一緒に過ごす時間が短い分、それぞれのクラスや、クラスの中の一人一人の性格や個性をつかむのは難しかったし
いろいろと納得いかないことや悲しいことや悔しい思いをすることがたくさんあった

(私はこの学校の先生たちのほとんどが嫌いだった)(特に校長。ここには書かないけど、今思えばほんとに理不尽なただのパワハラおじさんだった。でもそのときの私には、そのおかしさをうまく言語化できなかったし、心のどこかで、でも自分が悪いのかも、と思っていた)

だから、
小さい時からずっと「先生になりたい」、って思っていたのに
「今はもう先生になりたくないのかもしれない」って、そのときの私は思っていて、
教員採用試験をもう一度受けるか迷っていた


そんなとき、
6年生のあるクラスに家庭科の授業をした後のこと

家庭科室に残った女の子たち数人が、将来の夢の話をしていて


「先生は小学生のとき何になりたかった?」

って聞いてきた。


「先生は、学校の先生になりたかったよ。」




そう答えたときの、あのキラキラした表情。

一気に目が大きくなって、驚いたような顔をした後、ぱぁっと笑顔になって、興奮しながら


「じゃあ夢叶えたんだ!!すごい!!!」


って言われたの

このときの衝撃は、言葉では言い表せない


別に、その子たちとの関係が特別良かったわけではない悪くもなかったけれど、その子たちにとって私は、先生たちの中のただの1人、ただの家庭科の先生だったと思う

それなのに、その、ただの家庭科の先生が、先生になるという夢を叶えたと知ることが、
こんなにもこの子たちにとっての喜びに繋がるなんだということ

決して偉くもないし、なるのが特別難しいわけでもなく、ましてや子どもたちにとってはあまりにも身近な(そしてときには鬱陶しい)先生という職業を、当たり前のようにと言ってくれたこと
そしてきっと、この子たちにとっては、その夢が宇宙飛行士だろうと社長だろうと先生だろうと、「夢を叶えた」ということが等しく価値を持つのだということ


このときのわたしは、まだ採用試験に受かってもいないし
先生が夢なのかもわからなくなっていたけど

嬉しかったとか、感動したとか、
そういう分かりやすい言葉ではうまく表せないけど

ものすごく、ものすごく、心が震えた


日々のことに追われて辛くなったとき
いつもふと、このときのことを思い出す


夢を持ち続ける人間でありたいし
夢を追い続ける人間でありたいし
夢を叶え続ける人間でありたい

そうして、誰かに夢を与えたい

そんな気持ちをもらえたのも、
先生になれたからだ


やっぱり、大好きな仕事だったなぁ