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忘れられない背中。

夕暮れ時の、輝くインド洋に面する海岸線。
お互いもうすぐその頃の日常と街を離れる時がやってきており、最後に共に立つ舞台。

砂浜を唸らせながら、共に歩を進めた彼女に頼まれた最後のミッション。
それは、彼女がその場所へ残していく、"愛する人"との想い出作りのお手伝い。

波と砂浜が静かに、追いかけ合いながらせめぎ合う、少し曇りほんのりオレンジ色に染まる海辺に辿り着き、彼女は私に尋ねた。


「私を撮って」


その依頼と共にサンダルを脱ぎ、私の目の前で羽織っていた上着を横にあったベンチに置き、全身黒のスポーツブラとレギンス姿に。
海外でランニングやスポーツをする、特に西洋の女性がする服装としてはよく見かける姿にその頃はまだ見慣れてなかったこともあり、
上着から曝け出された彼女の後ろ姿は、今に至るまで私の脳裏に強烈に焼き付くこととなった。

彼女の華奢ながらも、ボルダリングやスキューバダイビングで鍛えられた指先が砂浜の上を踊り、愛する人への端的なメッセージが残されたのを確認し、
私の手元でシャッターが動き出す。
彼女がこの街を去った後にも、その人の元に美しいあるがままの姿が残るように。

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共に同じ語学学校に通い、最初の語学レベルチェックテストの時間に出会った。
たまたま入学日と卒業日が重なり、その日はお互い卒業日前日。

授業終わり、街中に立地する学校近くからバスに乗り、目的地の海岸近くに立地する彼女の家まで。
卒業式当日、クラスメートに配るお菓子を一緒に作ることが主な目的だったが、
彼女の遊び心に誘われ、その家のハウスメイトでもあったイタリアンシェフさんが焼き置きしてくれていたパエリアを広々としたバルコニーでいただいたり、
彼女が注文していたキャンドル作りキットで、一緒にキャンドル作りをしたり
(たまたまそれを見つけたオンラインショップがイギリスのものだったので、そこから遥々オーストラリアまでやってきたもの。大分到着までに時間かかったらしい)。
そして日が完全に落ちるギリギリの時間に海辺へ駆け込んだ。

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9歳年上の彼女はよく海が似合っていた。
当時日本での社会人4年目の世の中から飛び出してきた私にとって、これだけ歳の離れた友人は人生で初めて。

日常は英語を学ぶための生活が中心だったため、
お互い出来る限り日本語を交わす時間を減らすようにしていた。
だからこそこの人気の少ない波打ち際で、Japaneseでがっつり言葉を交わし、しかも何か秘めたものが多そうだった彼女の方から、彼女自身のことを語り出してくれた、驚きながらも貴重な時間だった。

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「出来ることならば、Fと一緒に暮らしたい。Fの最期を看取りたい」

「ねぇ見て。お花の種買ってきた。これ、今の家の周りに撒いていくの。花が咲いた時、Fが私のこと思い出してくれたら、と思って。」

「過去乗馬6ヶ月挑戦した。カポエラは挑戦したかったけど、さすがに止めといた」

「(2ヶ月前に今いる街で買ったばかりの)ウクレレは、今の家に置物として今の家に置いていこうと思っている。次の街への移動の際、フライト重量オーバーになっちゃうから」

「前のダンナさんと別れるトキ、自分のお母さんには「我慢しなさい」って言われ、「私は私の人生。お母さんとは違う。我慢はこれ以上できない」って言って、なかなかの言い合いになったことある」

「前のダンナさんの時、出来にくかった。だからそういう関係に関しては、自信がある」

「3年少し勤めてたHospitalの事務担当が適当。給与が月によって低いのはそのせい。勿論、抗議したことも。退職金は意外とたくさん入ってきた」

「次の2月のIELTSで5.5以上取れたら、5月からのTAFEに入れる(学費100万円くらいはかかる)。が、取れなかったら(学校に入学するための準備)学校にいかなきゃいけない。よりお金かかる。なので、次の街で一所懸命頑張らなアカン」

*IELTS - 英語熟練度を測る英語検定の1つ。大学入学時、永住権申請時などで参考スコアとされることが多い
*TAFE - オーストラリア州立の職業訓練専門学校

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彼女の口から飛び出る何気ない言葉たち、一つ一つ全てが
当時の私にとって新鮮で、自分にはない感覚のものばかりだった。

一番それを感じたのは、次の一言を耳にした瞬間。



「明日、自分は死ぬかもしれない。だから今日できることは、今日やる。
私はコレを自分のポリシーにしている。だから、瞬発力はハンパない。
お母さんには「もう少し考えてから行動しなさい」って言われる」


同じような考え方を持つ人はこの世界に沢山いるかもしれない。
けれど彼女のそれは、一言ひとことに圧倒的な重みが備わっていた。
そして現に、目の前で実践しているのを見せつけられてきた。

頭のなかをぐるぐる高速回転させた果てに、誰にも見えない頭の中ワールドだけで完結させてしまうことが多い私。
時に危なげな明後日の方向に飛び出していくことも有りながら、自分の好きを等身大以上の大きさで全力表現し続ける彼女。

真反対な性格の主だった。だからこそ、これまで世界で出逢ってきた誰よりも、違う世界の主のように見え、
私の脳の奥の方に美しい褐色とセピア色が混ざったような強烈な残像として、いつまでも残ってくれている存在なのだろう。

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出逢った街で別れを告げ、一人は東へ、もう一人は北へ。
一度日本帰国時に奇跡的にメッセンジャーで連絡が来て、直接会ったことはあったが、
それ以降、再会どころか連絡すら取ることもままならない存在に。
数年に1度、1、2通だけ送ってきて、あっという間に私の中の現実から消える存在。

唯一の生存確認方法 - Facebookで見る限りでは、
2年ほど前からSurnameがオーストラリア人の方のものに変わったようだ。
彼女の夢であった、オーストラリアでの永住と"愛する人"との日々が叶った証であるとすれば、喜ばしいことである。

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我を持ち、我の思うがままに奮闘し全力を尽くし続ける彼女に次はいつ会えるかなんて、全く想像もつかない。

私とは違う世界の人。でもこの後もずっと関係が続くことを願う。
「人生」の先をいく格好良すぎる先輩として、
そして私にとっての 鏡/Millor として。

Scarborough Beachでの彼女の、言葉で言い表せない、
後ろ姿をずっと頭の中に残して。

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#エッセイ #生き方 #写真 #旅 #海外生活 #ワーキングホリデー

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