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砂浜で声をかけてくれた老夫婦との旅。

新たな人々との出逢いは、時に思いもしなかった迷った時の”道標”となるような言葉との出逢いにもなることもある。
それも何でもない、ふとした行動の先で。


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6年前の、1ヶ月ほど遡った頃のこと。
日本ではしとしと降る雨に打たれながら、アジサイが繊細かつほのかに色味の異なる紫を見せ、全力で日常の中に彩りを与えている頃、
真反対の緯度に位置する大陸では、日本の約20倍というその広大さから地域にもよるが、一年を通じてみると時期的に少し穏やかながらも乾燥した太陽光が降り注ぐエリアにて、
日々己の肌色が暗くなっていくのを見つめながら、私は一人北へ歩を進めていた。

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(この旅の終わり、日本に到着してすぐの私の腕/一番下。新卒で働いていた勤め先同期2人と比べ合い… 真ん中の子は確かフィリピン留学に行っていた後で少し日焼けしていた状態。)


約2ヶ月少し、一時的にオーストラリアから離れ東南アジア〜南アジア〜中東を訪問後帰豪。
そこに残してきていた身の回りのものを整理した後、再び西オーストラリア州都・パース(Perth)を立ち、大陸のてっぺん、
現地ではTop Endと呼ばれる地域とそのエリアの中心都市・ダーウィン(Darwin)をゴールに、ワーキングホリデー1年間の集大成の旅道中である。

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ジェラルトン(Geraldton)→カルバリ(Kalbarri)→ハメルンプール(Hamelin Pool)で35億年前から生息する世界最古の生物・ストロマトライト見学→貝殻でできたビーチ・Shell Beach→早朝の海辺で野生イルカに会えたモンキーマイア(Monkey Mia)→カナーボン(Carnarvon)→Camp 14 Mile Beach…

と、ひたすら海沿いの美しい風景の連続を目にした後、たどり着いたのが
メイン通り1本をたった10分もあれば徒歩で踏破できてしまう、町とギリギリ呼べるくらいの小さな場所、コーラルベイ(Coral Bay)。
主な現地産業は、美しいNingaloo Reefエリアでのバカンス、観光&釣り。ジンベエザメやアシカと泳げるツアーなどが有名。

私は長距離バス乗り継ぎで旅をしていたが、カルバリ以北の特定訪問地は長距離バスが立ち寄らない箇所もあるので、
ツアーで順番に連れて行ってもらった方が周りやすいとアドバイスをもらい、カルバリ〜この町までは、直前宿泊したYHA(オーストラリアのユースホステル)で教えてもらったバックパッカー向けツアーに参加し、
8割程西洋系のお顔の方で構成されたメンバーと共に、観光地訪問&海辺のキャンプを楽しませてもらっていた。

さらに150kmほど北、大陸北西部にあるもう少し大きめの海辺町・エクスマウス(Exmouth)でのアクティビティの方が有名なイメージだが、
その直前にたどり着いたコーラルベイの、これまで見てきた海よりもさらに澄み切った目を見張るエメラルド色のすぐ側の、不意に現れた隠れ家のような雰囲気に興味を持ち、
1人ツアー途中で下ろしてもらい、そこに宿泊することにした。

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他のツアーメンバーが乗るマイクロバスを見送り、無事バックパッカーでのチェックインを終えた後、早速飛び出し足を運んだビーチ。

エメラルドグリーンと白い砂浜のグラデーションと、決して轟音にはならない波打ち際で奏でられる自然の音楽。
それを耳で迎え入れながら、ひたすら思うがままに足下を軽やかに打ち付けてくる水と柔らかな砂の感触を確かめつつ、一歩一歩楽しむ。

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歩きながら次のミッションについて考える。
今日この小さな町を堪能したら、明日辺りにはエクスマウスに向かう足を探さないといけない。
Integrityという名前の、西オーストラリアの海岸線と内陸部を北西部に向かって走るバスが唯一走っていたが、その町には週2回ほどしか立ち寄らず、
タイミング的に次の移動に向けて利用するには少し時間が空いてしまうこと、
この度の道中で一度試してみたかったこと - ヒッチハイク、やってみようかな、って気持ちもあり、
バスでの移動は選択肢から外した。

ただ、当時他人から聞いた話ベースでウワサの真意は定かではなかったが、
豪州国内で年間1000人程、男女問わずヒッチハイクにより行方不明になっている、と耳にしていたこともあり、
実際よく目にしたダンボールに次の目的地を書いて載せてもらえる方を探す、という方法はとらず、
その時居た小さな町の中で出会う人に声かける作戦、で行くことに。

ビーチや隣にあったキャラバンパーク(オートキャンプ場)でくつろいでいた方々に、片っ端から声をかけていくものの、すぐには私を次の場所まで連れて行ってくれる方に出会うのは難しかった。
なんせ、場所が場所なだけに、多くの訪問者がパースやその他大きな街でキャラバンカーをレンタルし、家族やカップル、友人単位で大陸をラウンドしているケースが多く、
そのグループ人数に合ったサイズの車に残席がない場合が多かった。

一通り小さな町をぐるりとし、今日は見つからないかな、と宿泊先のバックパッカーへ戻ろうとビーチ沿いを歩いていたその時、
夕暮れ時となりオレンジ色が広がりつつあったその場所でふと声をかけられ、何かお手伝いを頼んできたカップルがいた。


「Hi lady、ちょっとこれ直すの手伝ってくれないかい?」


受け取ったものは、確かキャンプ用イスを組み立てる際に使う部品だったはず(この辺りの記憶、不鮮明である)。
一部ネジが取れかかっていたようだが、椅子の主はさっと立ち上がれる感じではなさそうだった。

言われるままに、簡単な作業を進めて、無事整備完了。
お礼にジュースとお菓子をいただきながら、少しその場でお話しさせてもらうことに。


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カップルは当時、齢70歳の旦那さんJohnと67歳の奥さんChris。
どうやら真反対の大陸南東部、ビクトリア州都・メルボルン(Melbourne)から2人でのラウンド旅の道中らしい。
3ヶ月程かけて、大陸の西側をぐるっと回る、老夫婦の長期旅。
今回が初めてではなく、年に1度程のペースで大体同じくらいの期間の旅を繰り返してきているとのこと。

60代以上のお歳の方で「もう歳だからねぇ」といった言葉を口にされてきた方々を日本で多く見てきた私から見ると、もう仕事はリタイアされている方が多いご年齢でお二人とも元気に、
ご自身で何千キロもの果てしない道を交代で運転しながら辿れる旅ができておられることが、とてつもなく格好良く、私も同じことしたい!と強く思った記憶がある。

私の話も聞いてくださり、ワーキングホリデーを利用し西オーストラリアでの生活をしてきたこと、
最近までちょっと外に出ていたけれどビザ残存期間が残り1ヶ月となり、最後に西海岸を北上する旅をしていることを伝える。
その流れでふいに次の目的地・エクスマウスへ行くための足を探していることを口にした。



「私たちの車、後部座席空いているわよ。」


有難いことに、そのまま翌日にコーラルベイを離れられることが決まった。
ただし、目的地は予定していたエクスマウスではなく、
彼らが目指していたルートをついていく形で。


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その日の夜、彼らの宿泊先に招かれ、夜ご飯をご一緒させてもらうことに。

ほんのり赤みのあるランプに照らされた、夜のキャラバンパークの一角。
BBQセットを囲み、しっかり火を通されたお肉を一緒に突かせてもらいながら、次の日からのスケジュールについて聞く。

このコーラルベイ周辺に立ち寄る旅行者の方にとって多い旅ルートだと、
次はエクスマウスか、そこから北東の方向に向かった先にあるブルーム(Broome)、それから少し内陸側に入ったところにあるカリジニ国立公園があるが、
彼らの口から飛び出てきた次の目的地の名前は、カラッサ(Karratha)。


初めて聞いたその名前を何度も呟き、よく晴れて小さな星々の輝きが降り注ぐ空の下を歩き、どんな場所が待っていてくれるのか色んな情景を妄想しながら、宿泊先に戻り床についた。


***


次の日は朝8時ごろには出発した記憶が残っている。
自身の宿泊先でのチェックアウト後、再び夫妻が宿泊していたキャラバンパークに訪問し、レンタカーの後部座席にお邪魔した。
ここが2泊3日、不思議な3人での旅の道中、私の寝床にもなる。

道中、赤土の大地とほぼほぼ一本道を走り続けると突如現れる、ロードハウスと呼ばれる休憩所への立ち寄り以外は、
ひたすら真っ直ぐ北上し、520km程北西部に位置し異なる海に面した町へ。

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(車後方部のウインドウ部分は、ここまでの道中でバック時にぶつけたらしく、応急処置でシートで覆っていたとのことだった。)


カラッサは人口約19,700人(2014年当時。現在は約16,700人と少し減少している)の、その周辺と比べると大きめで、
鉄鉱石採掘で世界的なシェアを持つ、ピルバラ(Pilbara)エリアの中核的な町の一つ。
さらに海沿いに20kmほど進んだ近所に所在する港町・ダンピア(Dampier)と合わせて、
鉄鉱石、天然ガスの開発・輸出により、近年著しく発展してきた地域。

オーストラリア随一の主要産業を提供している地域にも関わらず、その場所へたどり着くまで全く知らずにいた。
夫妻が連れてきてくれなければ、見向きもせず何百キロも続く一本道をただ北上していただろう。

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カラッサ到着当日はもう夕方になっていたので、そのままキャラバンパークに宿泊。
テントサイトを借りていた夫妻は、2人用サイズのテントを慣れた手つきでささっと組み立て、夜ご飯の支度に。
町中心部にあるスーパー・Colesへ一緒に買い出しへ行き、夫妻がサクッとお肉類を備え付けのBBQ設備で美味しく焼いてくれ、一緒にいただいた。

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(オーストラリア生活の始めにお世話になったホームステイ先マザーもそうだったが、オージーの方は健康のために、日常に赤ワインを少しずつ取り入れる習慣、持たれていることが多い。)


翌日の朝食も同様に、朝からササッと、まるで自宅で調理するかの如く、
元気出る味付けの食事を用意してくれた二人。
私も食材をカットしたり、洗い物したりとお手伝いさせてもらいながらだったが、(今も変わらず)料理苦手なこともあり、ほとんどお二人に任せっきりになってしまった。

Johnは小麦アレルギーで普通に販売されているパン類が食べられない方。
なので毎度、パンは既製品でなく、グルテンフリーの材料を使って、一から焼いて用意されていた。
毎食このお手製パンを一緒にいただいていたが、野外で食べるコレがとてつもなく美味しかったのである。

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朝食を済ませた後出かけた、2日目の旅。
行先はダンピアにあるガスプラントと、その近く・ムルジュガ国立公園(Murujuga National Park)内にあるDeep Gorge。

お昼間、先にDeep Gorgeに向かい、アボリジニーの方々が残してきた歴史香る遺跡を探検。

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(ビーチサンダルでスイスイ登っていくChrisがタフすぎた。私、トレッキングシューズで一所懸命ついて行ってたのに。。!雄大な自然と触れ合う時間が多くアウトドアアクティビティに幼い時から触れる機会が多いからか、文化部出身、体力無い私から見ると、出会ったオージーは老若男女みんな超絶タフな印象。)


大量の赤石と貝殻で出来ている山には、至る所にかつてこのエリアまで海が広がっていたのか、はたまた海洋生物との関わりが深かったのか、
Rock Artと呼ばれるペトログリフ(岩に刻まれた絵)で何かを示す矢印と、亀や魚といった海にまつわるものを中心とした生物の軌跡が残されていた。

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そこには10,000件以上は残されているという、オーストラリア全土でも希少なアボリジニー文化を語り継ぐRock Artたちが息を潜めていた。


2時間ほど滞在したDeep Gorgeを後にし次に向かったのが、ダンピア。
先ほどの歴史の色が強い風景から、あっという間に近現代の産業力みなぎる場所へと、風景は様変わり。

どこに出かけても雄大なブッシュと赤土のコントラストが繰り広げる大地、美しく広大な海に囲まれているオーストラリアで、ひたすら伸びる荒野一本道の先に突如現れたガスプラントの迫力はとてつもなく大きかった。

夕方に差し掛かっていたこともあり、徐々に赤みがかっていく広い空とのコントラストが美しかった。

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しばらく青い空に向かって燃え上がる炎とその側で佇む工場群の眺めの美しさを堪能し、
再びカラッサの宿泊先に戻り、この日も夜更けに細やかなお喋りを楽しみつつ、美味しく用意いただいた夜ご飯を御馳走になり、床についた。

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数日前まで一切想像していなかったボリュームあるこの旅も、時間はあっという間に過ぎ、夫妻と過ごす最後の日。
昨日同様朝ごはんを済ませ、キャラバンパークのチェックアウト後、
カラッサに別れを告げ、車はさらに北を目指して走り出した。

この日の最終到着地はポートヘッドランド(Port Hedland)だったが、その前にコサック(Cossack)という場所に立ち寄った。

コサックは町ではあるが、かつて繁栄した場所で、現在はゴーストタウン化している。

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19世紀後半ごろ、真珠貝採取業の基地として栄え、日本人の真珠貝採取ダイバーも移り住み基地ができていたが、
その主要基地がさらに北にある、近年は海辺に現れる"月の階段"で有名なブルーム(Broome)に移設されて以降衰退が進行し、
町の放棄の末、ついにはゴーストタウン化した場だという。

住人は去ってしまったが、現在も毎年7月にアートフェスティバルが開催されていたり、19世紀当時の建物が残されていている
歴史ロマン溢れる場所として、立ち寄る観光客の方々も少なくないよう。

夫婦の選択肢にはなかったのか、私たちは立ち寄らなかったが、
さらに15km程北上すると、フィッシュ&チップスを広く美しい海辺を眺めながら楽しめるお店もあるポイント・サムソン(Point Samson)と名付けられたこじんまりした町もある。

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(オーストラリアではメジャーなエナジードリンク・SOLOで次の旅に向けての元気注入。色んなフレーバーがあるが、これはオリジナルレモン。)


Cossackを満喫したあとは、途中このエリアの中心地・ローボーン(Roebourne)に休憩で立ち寄ったあと、最後の目的地・ポートヘッドランド(Port Hedland)へ向かい車を北へ走らせる。
そこまでたどり着いたら、夫婦とはお別れだ。

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西オーストラリアで最も鉄鉱石の取扱量が多い港が有名で、精製塩、沖合で取れる天然ガス、マンガンなどの取り扱いもある中継町。
西オーストラリア内陸を走る主要道路・グレート・ノーザン・ハイウェイとの交点でもあり、南へ下れば先ほど出てきた西オーストラリア内陸部で最も有名で壮大な秘境の一つ・カリジニ国立公園へもたどり着きやすいので、
立ち寄る旅人は少なくないと見る場所。

そんな町に辿り着いた頃にはもう夕陽も落ちかけており、
到着して一番に1人時間をもらって、町中の最も夕陽が美しく見える場所をカメラ片手に探し歩いた。

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東西に延びる町をある程度のところまで歩いた後、最後の晩餐会場となるキャラバンパークへ戻ると、
夫婦は既にその支度を終えようとしていてくれていた所だった。


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その晩、用意いただいたパエリア風ご飯と赤ワインを片手に、次の日夜中1時発の、私が旅立つバスが来るまで、お話しさせていただいたこと。

旦那さんのJohnが率先して、まるでカウンセリングのように私の話を聞いてくれ、手元に広げたA3サイズのノートに、私の名前、連絡先から今後の夢などをどんどんペンを走らせて残していった。

最終的に埋められた話題の中心となったのは、当時お付き合いしていて1年間日本に残してきていたパートナーとの関係、今後のこと。

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(実際の筆跡。名前や連絡先部分のみ伏せている。私も覚えておきたいので撮影させてください、とお願いし快諾してくれたので残させてもらった。)

夢に関しては、もっと英語力伸ばして世界中の未知の方々とのコミュニケーションを深めていく / 良いパートナーと共に歩み、良いお母さんになりたい、
など、ごく平凡なことを口にしたかと。
そして、元パートナーの仕事のことや、怒りやすいところがある私自身、どうコントロールしていったらよいのか、など、話していた記憶である。

Johnは一つ一つ真剣に耳を傾け、70年生きてきた彼なりの人生観と夫婦とはどうあるべきなのか、を語ってくれていた。



そして、話の最後にくれた言葉たち。



「お互いを信じること」


「お互いに落ち着ける関係を培っていくこと」


「完璧は幻。向上/改善のみが現実ですよ」


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(今度は私の手元に持ち歩いていたメモ張に、ギフトとしていただいた。)


深めの青みがかった眼差しをこちらにまっすぐ向けられて語られたそれらの言葉は、
それを真正面で耳に入れた私のいつの間にか強張っていた頬を緩め、つい涙を流したものだった。

言葉として並べると、ごく当たり前のことかもしれない。
けれど異国の地であれ、長い年月夫婦として歩まれてきた大先輩が、きっと語られてはいない様々な経験を乗り越えてきた末に、その口から解き放った言葉の重みと暖かさが、
私の心にスッと、入り込んできてくれたのだろう。


事実、日本から旅立つ前も、旅たった後の生活でも、
それどころか、いつかずっと昔から、「○○であらなければ」「〇〇しなければ」の雁字搦めの人生を歩んできている私。
何も大きな結果出せてないのに、周りは何も求めていないはずなのに、自分で自分をただ縛り付けている自分。
たった3日間の旅ではあったけれど、その時間の中で、どこか見抜いてくれて、
世の中に数多ある言葉の中から、最も適切なものを選んでくれたようにも受け取った。


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旅も後半に差し掛かっていた時期に、そっとギフトをくれた二人。
その面影はどこか、当時とっくの前に見送っていた、母方の祖父母に似ていて、
その後真夜中にやってきたバスに揺られ、1人さらに北への進路を進めながら、遠い昔と近未来の己の在り方について、交互に行き交うように思いを馳せたものである。

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今現在も"完璧"の魔術との戦いは変わらず続いているが、
時々この時2人がシンプルな言葉たちに詰め込んでくれたものの本質について、ふと思い返しながら我に返ることがある。

#エッセイ #出逢い #生き方 #言葉 #写真 #旅 #海外生活 #ワーキングホリデー

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