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忘れられない授業


なんでか私はあの日の授業を忘れることができない。
心に残るこの感情は、なんと表現したらいいのだろうか。


* * * * *


「この場面から読むスピードをあげます。なぜでしょう。」
首から伝ったビーズ紐の先には、薄い紫色に染まった分厚い眼鏡が掛かっている。手にも首にも顔にも立派にしわが寄った谷村先生は、その眼鏡から覗くようにして私たちに訊いた。

音読の授業がとにかく嫌だった。ひとり席を立つことも、大きな声で発言することも、みんなから一瞬でも注目を浴びることも怖かった。
でも谷村先生は、やけにこのお話を音読することにこだわっていて、何日も前から宿題に出されていた。

あの日の授業は、いつになく静かに行なわれていた。
みんな、なんだかそうしなくてはいけないような気がしていた。
ドアに一番近い席の男の子から順に、段落ごとで音読をしていく。

「かげおくりのよくできそうな空だなあ」

「はい、ストップ。ここは誰の言葉でしょう。」
「ちいちゃんのお父さんです」
「そうね、ではもう少しお父さんらしく、声を太くして読みましょう。もう一度」

「かげおくりのよくできそうな空だなあ」

小学三年生の男の子に声を太くする方法なんてわかるはずもないのに、それでも谷村先生は強い眼差しでそれを訴えた。
あまりに真剣な顔がちょっと怖かった。

ある段落に差し掛かったところで、谷村先生は白黒の写真を何枚か黒板に貼りだした。焼け野原になった街、防災頭巾をかぶった子どもたちの写真だった。
私たちは口をつぐんで、その写真をじっと見つめていた。

「熱い、怖い、助けて、そんな気持ちを込めて読みましょう。」
谷村先生に言われた通り、その順番が回ってきた子は席を立ち教科書を持ち上げて、気持ちを込めて音読を始める。

みんなこのお話は何度も宿題で読んでいたから知っていたのに、感情を込めていたらだんだん「熱い、怖い、助けて」と、本当にそんな気持ちになっていた。

そして、窓際の席にいた私に順番が回ってきた。

夏のはじめのある朝、こうして、小さな女の子の命が空に消えました。

私は声が震えていた。みんなの前で席を立って音読することに緊張していたのが半分、それと、命が空に消えたという言葉の衝撃が半分。

それから何十年。町には、前よりもいっぱい家がたっています。
ちいちゃんが一人でかげおくりをした所は、小さな公園になっています。
青い空の下、今日も、お兄ちゃんやちいちゃんぐらいの子どもたちが、きらきらわらい声を上げて、遊んでいます。
(「ちいちゃんのかげおくり」 あまんきみこ・作)


読み終えた後、周りを見渡すと、クラスのみんなが鼻をすすって泣いていた。お調子者のあの子も、いじめっこのあの子も、いつも静かなあの子も。そして谷村先生も。

給食まであと少しの時間があっただろうか、谷村先生は突然こんなことを言い出した。
「今からみんなで校庭に出て、かげおくりをしましょうか。」
クラスみんなが席を立って、静かに校庭へ向かった。

「ひとうつ、ふたあつ、みいっつ」
「よっつ、いつうつ、むうっつ」

みんなで一列に手をつないで、地面に映ったかげぼうしを見つめる。
青い空に向かって顔を上げると、ボヤボヤ~っと白い影が浮かんだ。

「雲?雲みたい!見えた?」
「見えた!」
「あんまり見えなかった」
「目ぇ、閉じちゃったんだよ」

みんながザワザワ話し出す。
給食のおいしいにおいが校庭にまで漂ってきて、そろそろお昼の合図がある。

教室に戻った私たちは、机を4つくっつけて班ごとに分かれて感想文を書いた。余計なおしゃべりは誰もしなかった。
終わりを知らせる鐘が鳴って、廊下では隣のクラスの給食当番が割烹着に着替えているのに、それでも私たちは納得のいく感想文を書き終えるまで、考えて考えて考えて、机に向かっていた。

「戦争って、こわいね。やだね。かなしいね。」
「ちいちゃん、干し飯しか食べられなかったんだ。かわいそう。」

その日の給食のメニューに、コールスローサラダがでた。
コールスローサラダは嫌いだったけれど、残さず食べた。

谷村先生はとても厳しい先生で、給食を残す子は全部食べ終わるまで昼休みになっても遊びに行かせてもらえなかった。
私は好き嫌いが多かったので、よく窓際でサラダをちょっとずつ口に運びながら、みんなが校庭でドッヂボールするのを眺めていた。
谷村先生はいじわるだってずっと思っていたけど、ご飯を残さず食べることを許さなかった理由がわかった気がして、この日から少しずつ好き嫌いが減っていった。


* * * * *


あの日、授業が給食の時間までまたがってもみんなが自分の意志で感想文を書き続けていたことは、とても意味のある時間だった。
もしかして元々、校庭にかげおくりしに行くなんて、授業の計画にはなかったのかな。
谷村先生が黒板に貼りだしたあの写真たちは、もしかしてとても身近なものだったのかな。
あの話を音読することに、あれだけ力を入れた谷村先生は、どんな想いで授業をしてたのかな。

私たちが受け取った想いは、先生が本当に伝えたかったことなのかな。
なんでか私は20年も前のあの日の授業を鮮明に覚えている。


Mayu Tsukamoto 2019/7/22

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コメント19件

小学生の頃、音読の宿題で初めてちぃちゃんのかげおくりを読んで、母と2人で泣きながら読んだことを思い出しました。お話に入り込める雰囲気を作られた先生、すごいですね。
谷村先生、すごい、すごすぎる...
このnote、当時感じたほとんどそのまま書かれていて、
大人が書いているのに低学年の子が感じた気持ちが伝わってくるようで、
私も小学校低学年の新鮮な気分で追体験させてもらいました、貴重な時間でした。
小学校の授業、情操教育って、本当にあったんだなあ。。。

周りを見るとみんなが泣いてたのは、谷村先生の神業的な授業づくりもありつつ、
おまゆさんの音読にも引き込むものがものすごくあったからじゃないかって思います。
ぶんたんさん
初めまして!コメントありがとうございます!
先生のおかげで私は今でも生きる上で大事なことを教わり続けている気がします😊
ぶんたんさんも、ちいちゃんのかげおくりの音読、宿題に出されていたんですね!お母さんもぶんたんさんも優しい方なんだ…素敵です✨
あゆみさん
はぁ……もう、あゆみさんにそんなことを言われるといつも本当にピトッとくっつきたくなるんですけど…😂❤
給食が待ち遠しい、落ち着きのないわたしたちのクラスみんなに、あの授業を経験させた先生に脱帽ですね😭‼

みなさんにこうやってコメントを頂いて、尚更谷村先生ありがとうございます!と言いたいです〜…😢
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