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悩めるユースワーカー

オーストリアに着いて3日目。平日なのでユースセンターがオープン。田舎のセンターは、基本土日は休みのところが多い。
ということで、早速私たちも訪問。月曜日は集まりが悪いと言われるらしいが、20人前後の若者が来ていた。働いているワーカーは2人。話を聞くと基本2人で回している様子。
ちょうど僕が行ったその日、ユースセンター内で若者のちょっとしたいざこざがあった。ユースワーカーが介入するも、収まりきらず、みんなを集めて会話する時間を作るも、収まらず、、、結局、いざこざの中心にいた若者は帰らされることになった。オーストリアのセンターでは悪いこと、つまりは来ている他人に迷惑をかけることをすると、一定時間または一定期間の出禁になることが多い。そこら辺の明確な裁量は決まっておらず、その場にいるユースワーカーの話し合い、もしくは嫌がる若者の様子で決まってくる。
今日いたワーカーは、センター長のベテランの方と入って2週間程度の方。経験値の違いは大きいものの、お互いプロとして平等に話し合う姿が見られた。
ワーカーとしては基本的に、今日のように若者を追い出す結果が生まれるのは望ましくない。今日はセンターが閉まったあと、ワーカーの表情はすごく疲れた様子だった。
どうすればそういったことにならないのか、どこまでなら許されるのか、それらをまとめたルールみたいなことが必要か、といったことを話し合うスタッフミーティングが急遽実施された。オーストリアではセンターによって若者と設定したルールが壁に掲示されることは少なくない。
あるワーカーによると、学校や家では明確なルールが定められるなか、ユースセンターはとてもグレーゾーンなのだという。社会でどこまでやって良いのか、悪いのか、それを自分自身で学ぶことができるのがセンターだからこそ、ワーカーは先生ではなく、共に過ごし、なんとなく道筋を見せる存在。若者はそんなワーカーに、どのくらいまでやったら怒られるかチャレンジをしたがるという。ワーカー個人としては、そんな関係性は築きたくなくはない。今日のミーティングはそこの葛藤から生まれた、若者だけでなくワーカーの内面に迫るものである。
ミーティングの結果として、仮のルールを設定してみることとなった。こうやって、人間の感覚に委ねられるグレーゾーンの社会のなかから、文字に起こされたルールが生まれてくることを知った。ワーカーのなかにも、ルールを積極的に設定したい人、したくない人がそれぞれいて、ワーカーの育ってきた環境、学んできた価値観が反映される施設となることを改めて実感した1日だった。

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