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書けない日が続くけれど。

昔から「締め切り」や「提出期限」が苦手です。夏休みの宿題を終わらせたことは一度もありません。大好きな書くことも、今書きたいから書くのであって、締め切りまでに書かなきゃいけないから書くってなると一気に何も書けなくなってしまいます。仕事であればもちろん否が応でもやるけれど…

今日は何となく弱音を吐きたい日なのでこれはあとで消すかもですが、私はやっぱりSNS全般に向いてないなと思うんです。twitterも、noteも。書くのは楽しいしもらえる反応もうれしい。けどいつしかそれがたとえば、反応してもらうことが目的になってしまうこととか、更新することが目的になってしまうとか、そういういわゆる手段の目的化が怖いんです。怖いというか、しんどい。甘えなんだろうけど、正直に言うと手段が目的化してることに気づいた瞬間にやる気が失せる。(でも、もらえる反応は100%ピュアな気持ちでうれしいんですよ…!)

息するようにtwitterでつぶやける人とか、本当にすごいと思う。嫌味でもなんでもなく私にはできそうにないな。最近は疲れてるのもあってタイムラインも眺められない。これもアウトプットの練習だしと思って、140文字で何かを書こうと思うんだけど、「やらなきゃ」って思えば思うほど何も書けなくて。だから本当に自然にできる人って、すごいなぁ。

じゃ今何やってるのかっていうともう2年以上書き続けてる長編にまた着手し始めました。この未完の作品は誰の目にも触れていないし、とりあえず書ききるまでは誰にも見せないんだろうと思います。それって当たり前だけど読者は私しかいなくて、誰からの反応ももらえない。ひたすら自分の言葉と向き合い、脳内を言葉によってビジュアライズする。これは楽しいとか楽しくないでは表現できなくて、なんというか職人になったような気持ちになります。最高の切れ味になるまで刀を研ぎ続けるような。いつになるか分からないけど、ちゃんと形にして発表できる日が来るといいな。いいなじゃなくて、しなくちゃ。

でもときどきまたnoteで短編を書きたくなるときもあるし、いろんな人のnoteを読んでると「私はこう思うな」っていうのが出てきたりするので、時間を見つけて書いていこうと思います~。最近だとどなたかのnoteで「東京に染まりたくない」っていう言葉がちょっと、溶け残ったお砂糖みたいに心に残りました。地方出身の友達も、「地元に帰ると『お前も東京に染まったな』って言われるんよ」と言ってたけれど。ずっと東京にいる私は、もともと何色なんだろ。繁華街で騒いでいる人や話題のお店に並んでいる人を見るとたしかに東京色を感じる。でも東京でずっと生活している人こそ、無色透明に感じる。それは私も同じ色だから、同化して見えなくなるからなのかな。

なんて思ったりした仕事中でした。




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