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「大丈夫」は捨てるし、君の手はもう探さない

アートアクアリウムのような夢を見た。暗闇にぼぅっといくつもの光が浮かび上がり、金魚はいなかったけど、極彩色の大輪が咲いては消え、咲いては消えを繰り返す。いくつもいくつも。君はどこ?暗闇の中、手を引いて歩いてくれた君の冷たい手を探す。宙に向かって手を伸ばすと、実際の肉体である私の指が微かに動いた。目を開けるとそこは無機質な小部屋だった。大丈夫ですか?ヨガスタジオの受付にいたはずのお姉さんが心配そうに私の顔を覗き込む。あ、はい、すみません、もう大丈夫です。目眩をごまかすように頭を振って慌てて上体を起こす。全然大丈夫じゃないのに「大丈夫」って反射的に口から出てしまうのはいつからだろうか、もう思い出せないくらい前。

「大丈夫じゃないでしょ」と私の上手すぎる嘘を初めて見抜いたのは君だった。実際のところ、私は私の嘘に騙されやすいから、本当に「大丈夫」と思っていたんだけど。「もっと自分を甘やかしていいんだよ」と言って、私以上に私を甘やかしてくれる君だった。私はそれが居心地悪くて、くすぐったくて、次第に安心して、君に甘やかされる当たり前が尊く感じて、つまりこんなに好きになった人は初めてだった。初めて“溺れる”感覚を味わった。君を何かに例えるなら蜜のたっぷり詰まったハニーポット、マシュマロを浮かべた濃厚なホットチョコレート。濃厚な甘い香りにむせかえって苦しくなる。そしてあれは一種の麻薬だったと気づくのだ。今となってはもう遅いけど。実際の君はいつも、甘いというよりも綺麗でクリアなベルガモットの香りがした。そして君が消えた反動で、私は今まで以上に「大丈夫」になった。

いつか君がいなくなるのは分かってたし最初から私のものにならないのも分かってた。君は男だけど娼婦のよう、と思った。お金は介在しなかったけれど私は代償を支払って君から快楽と幻想をもらった。どちらも一人では手に入れられないもの。君からしか得ることのできない夢。ガラスの宝石を寄せ集めたビジューのブローチ。これ以上支払える痛みがなくなって、私は君を手放した。君の方では、とっくに私のこと手放していたんだろうけど。あの真夜中の君の囁くような声だけが、まだときどき部屋に薫っている。


まだ頭がぼーっとする。人混みの中に大輪が咲いては消える。雑踏は金魚のようだ。君の冷たい手はもう探さないけれど、「大丈夫」は捨てて今日は自分を甘やかしてもいいよね。


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