まよい

小説などを書いています

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  • 卒業制作「ひかる」

  • 小説

    短編小説などです。

最近の記事

この世界に

「たまには帰って顔見せてください」  父からのメッセージがスマホを震わせた。スワイプして通知を消すと、暗くなった画面に自分の顔がうつった。長い時間をかけて、息を吐く。  母の望みを絶ち切れず、教育学部へ進学したが、教師にはならなかった。教育実習へ向かう同級生を尻目に就職活動をして、東京の会社に就職した。そのことで母はかなり憔悴していたらしかった。しかし今では、あんなに過干渉だった母は、もはや弟にしか興味がないらしく、あんなに無関心だった父は、なにかを取り戻すようにわたしに連絡

    • かみさま

       いちばん嫌いな時間は夕方。だってぜんぶが勝手にキラキラ眩しくなる。  実家のキッチンは西向きで、だから夕飯をつくるお母さんがいつもかみさまみたいに見えた。「おかーさん」と呼びかけるとかみさまはいつでもオレンジ色にやわく笑って、その顔がきつね色のたまねぎよりもなによりも頭の中であたたかくとろけて、だからテストでいい点をとれたこととか友達と仲直りできたこととかがそれ自体のもつ温度よりも高い温度の液体としてこころに流れ込んできた。  かみさまはほんとうはいないのだということに気が

      • Idol

        「カエデくんに熱愛なんて……」  そう言って、莉香(りか)は居酒屋の少しべたついたテーブルに躊躇なく突っ伏した。 「オタクなら推しの幸せを願うのが当たり前、なんて、言うのは簡単だよね」  わたしは彼女に心底同情しながら言った。  莉香の「推し」であるカエデくんが週刊誌に撮られてすぐに彼女から連絡がきて、その晩に近くの居酒屋で飲むことになった。失恋みたいだけど、ある意味失恋よりもっと残酷だ、と思う。他人事みたいに思ってしまうけれど、同時に「明日は我が身」なのだった。 「推しに彼

        • 傷つける

          「だって、海はすべてでしょう」  ときみは言った。  これはぼくが捻くれているせいではないと思いたいのだけれど、ぼくは「うん」と「うーん」の間の声を出した。かなり慎重に。夜が目を覚ます。わたしたちが夜更かしなのではなく、世界のほうが眠っていないだけなのだ、というきみの主張をしんじてぼくらは湿気ったクッキーを齧る。強いバターのにおいがあまりに世界に似合わない。 「だからわたしたちは海へゆかなければならないの」 「正気か?」 「あなたは海のことをただの水の集合だとおもっている」

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        • 卒業制作「ひかる」
          16本
        • 小説
          3本

        記事

          漂白

           きみは、この部屋から出ない。  僕が毎週金曜日の夜にこの部屋を訪れると、きみはまず玄関でアルコール消毒をうながし、そのあと僕にシャワーを浴びるように命じる。そしてきみの用意した清潔な衣類に着替えて、ようやくきみの住むテリトリーに入ることができる。  全体的に白い部屋。ものが少ないせいかお世辞にも居心地がいいとは言えなさそうだが、きみは──少なくとも僕のいる間には──どこかに出かけるそぶりも一切見せず、ほとんどの時間をフローリングの床に座って過ごす。 「きょうは、シチューを

          八月一日

          ・昼過ぎに起床。本を読む。夕立。映画を観に行く。ポップコーンを買うと、輪郭を失わずに済む。心を動かされる。ベルトコンベアに乗せられるようにして。 ・揚げびたしにしようと思い、スーパーで茄子を買う。店員が親切で、でもわたしが彼女になにかしてあげられることはないと思うともどかしいような気持ちになる。せめてはっきりと礼をする。 ・からすが飛んでいるのかと思ったら、こうもりだった。こうもりはどこに住んでいるのか? (しらべたら、「あらゆる隙間」とのこと。) ・帰宅。入浴したら料理をす

          花束

           花束を貰った。なんの日でもない。いまにも降りそうな雲がたちこめていて、しかし一日を通して雨が降ることはなかった十月五日。いちおう調べてみたら、教師の日だった。わたしは教師ではないし、教師だったとしても教師の日に花束を貰う謂れはないだろう。  あいにく、家に花瓶などという上等なものはなく、シンクのすみに転がっていたスミノフの瓶をできるだけ綺麗に洗浄した。アルコールが生花におよぼす影響についてはよくわからなかったが、茎や葉に満ちるスミノフが、なにか良い影響をもたらすとはあまり思

          mine

          「だれも知らない場所にいきたい」 四いいね  仰向けで横たわるわたしに、じわじわと生ぬるい水が迫ってくる。鼻や口にむかって波打つ。わたしは身体を動かすことができないまま、ついに完全に水のなかに沈んでしまう。苦しくはない。心と身体がひとつになる。最初からひとつだった? わからないけれど。胎内みたい、とおもう。はっきりと。胎内のことは、もうおぼえていないはずなのに。  最近は、頻繁にそういう夢をみる。 「空洞です」 四十三いいね  ハニーシナモンのセットアップを脱いで、高

          アイスクリームをプールにこぼす

           夜が好きなのは、昼間では主人公になれないからだった。誰にも教えたくない曲だけをあつめたプレイリストをつくった。ペダルを踏むたびに、あたらしい空気がわずかに身体をひやす。「失恋」という響きがまだ甘美だったころ、終電の逃しかたをしらなかったころ、もう二度と戻れない季節にしか戻りたくない。  はっきりと見えるから憂鬱なのだった。目の前のアイスクリームが溶けてゆく、そこにだけ真実があるのなら。夜にはノイズがすくなくて、そう思ってしまったときに、引き算が必ずしもマイナスなことではない

          アイスクリームをプールにこぼす

          とわになる

          「就活どうなの」 「辞めました」  ジンジャーエールを一気に飲み干して、隣に座る香葉(かよ)は言い切った。 「裏切るなよ」  語尾をなるべくまろやかに伸ばして、わたしもウーロン茶を啜る。べつに内定を貰うことが裏切りというわけではないのは分かっているけれど、裏切ったのはどっちだろうとかそんな考えが頭をよぎってしまう。八月の日の入りは遅い。十八時になってようやく暗くなりはじめた空を窓越しにながめる。 「ポテト追加で頼んでいいすか」 「あたしほうれん草のやつ」  わたしの頭の中を知

          とわになる

          なのに、灰色

          「もろびとこぞりて、むかえまつれ」  これがなにかの暗号だったころ、世界に意味のないものなんてひとつもなかった。ないはずだった。  退屈。  バイト、バイト、バイト、講義、バイト、睡眠。平凡を絵に描いたような大学生。退屈すぎる男の子たちは日が暮れたあとなのにまだほんのりあかるい空に見向きもせずに「彼氏とかいないの?」、あーあ。どこかに行かなければならないことが怖いのにディズニーランドでデート、パーティードレスを着たいのにニットのプレゼント。冬のにおいは誰とも共有できないま

          なのに、灰色

          とける

           カーテンの隙間が、みずいろになる。またうまく夜を飲み込めなかった。  はっきりとした予感はからすの鳴き声に裏打ちされて、目をとじても眠りの波はわたしの身体までは届かない。砂のざらつき、ふくらはぎの感覚。ここは浜辺ではないのに。  ベッドから慎重におりて、絡まった髪を手で梳かした。ベッドサイドのデジタル時計は、十一月一日の午前四時をしめしている。この時間はまだ肌寒い。カーディガンを羽織って、携帯と鍵だけを持ってスニーカーを履いた。眠れないまま朝が来て、夜中みたいな気持ちのま

          僕たちはくじらになれない

          「五十嵐くん」  もやのようだったまどろみが急に輪郭をあらわにする。曖昧な声が唇の隙間から漏れた。 「またこの本?」  くじらの、と僕は言った。とはいえ、開かれることもなく枕になっていたのだけれど。 「もう図書室しめるから」  うん、と僕は言う。開いたままの窓から、つめたい風がはいってくる。逆光になった青山さんの細い髪が、ブレザーにこすれてさりさりと音を立てる。深く息を吸うと、鼻の奥のほうが冷えて痛くなった。  西日が青山さんのまるい頬をつるりと照らした。自転車のチェーン

          僕たちはくじらになれない

          夜にだけ

          「遊園地が来るんだって」  あまり話したことがなくても、彼女が嘘をついているようには見えなかった。私の訝しげな表情を汲んだのか、青山はくちびるの端だけに笑みを浮かべた。かすかだったはずのチョークのにおいが、その瞬間、はっきりとわかる。 「秋だね」  青山が窓枠に腰かける。開いたままの窓から、つめたい風とサッカー部の声が流れ込む。私と青山しかいない教室を、蛍光灯が煌々と照らしている。もう金木犀の匂いはしない。ぜんぶ雨で散ってしまったから。 「関係あるの?」 「ない」  私の笑っ

          夜にだけ

          かぞく

           幼い頃から、お母さんとわたしはひとつだった。お母さんはわたしのことをなにもかも全部わかっていて、わたしはお母さんの延長線上にあった。お母さんのよろこぶことも、お母さんの嫌がることも、なにも言われなくてもわかった。  お母さんは湯葉が好きで、わたしも湯葉を好きになった。お母さんは牛肉が嫌いで、わたしもあまり食べなくなった。お母さんの勧めでバレエとピアノを習い、お母さんが眉を顰めないよう、くもんにも休まず通った。お母さんはわたしをあまり褒めなかったが、それでもよかった。お母さん

          あたらしくうまれる

           なにがみえる、とアオは言った。展望室からは見えないものを探していた。たとえば、アオのつくった星座。朝なんか来なければいいのに。私たちの歩幅では、太陽のスピードには敵わない。 「ええと、」  なにかすてきなことを言わなければならない、とおもう。声が気管でからまって、つまずく。レースのカーテンがアオの顔を隠した。そこは海だった。同時に空で、土の中で、傾いたビルの屋上だった。  ねえ、とアオが言って、私の頬にかすり傷がつく。風がゆがんで、アオは透明になって、そして季節に名前をつけ

          あたらしくうまれる