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青春してくれてありがとう、17歳の私。

今から20年前の当時、J-POPは全盛期。アムラー後の浜崎あゆみブーム到来。「ASAYAN」オーディション出身の、モー娘。や鈴木あみもカラオケの定番ソングだった。クラスメイトはみんな、毎週、MステとCDTVを欠かさず見ていたし、メインストリームのカルチャーが、色々にぎわっていた。

女子高生は、ほとんどギャル。もしくは、ギャルを尊敬していた。でも、私たち「背面飛」は、そのメインカルチャーに馴染めなかった。

ギャル文化の一方で、L’Arc-en-Ciel、GLAY、LUNA SEA、MALICE MIZER(現在のGacktのバンド)といったビジュアル系バンドもブーム。

ギャルの方たちが、ピンクや黄色など原色カラフルで華やかな雰囲気なのに対し、バンギャはモノトーンや紫がメインカラー。ヒステリックグラマー、SUPER LOVERS、キャンディーストリッパーなんかも、憧れのブランドだった。

軽音部に所属する先輩は、やっぱりビジュアル系の影響を受けていた。2年生、3年生の部員も、その学年の中では「ちょいワル系」の人が集まっていたから、運動部に比べて「チャラチャラ」したイメージはそのままだった。

でも私は、そこにも馴染めないので、のちのちインディーズパンクが流行り出した頃、居場所をそこに見出し、「背面飛」というバンドを作って、活動にのめり込んだ。

私は、中高一貫校の女子校で高校に進学した。私たちの世代で一番イケてる女子高生像は、“ギャル”だった。

みんなラルフローレンのセーターに紺色のプリーツスカートとルーズソックスを履いて、髪の毛は薄く茶色に染めていた。スカートは、ひざ上20センチまで内側にまくって、短ければ短いほどカッコよかった。

頭にハイビスカスをつけて、慶応ボーイや早稲田学院ボーイからもらった通学カバンを使って「私、カレシいます」と隠れ暗号を出す。そんな女子高生が、スクールカーストの上位に君臨していた。

私は、膝丈スカートに、ノーブランドのセーター。黒髮。前髪ぱっつん。今だったらイケてる認定されたかもしれないけど、当時は「地味ださ」だった。無気力だし、教室の隅で目立たないようにしている方がほっとする。一人で居ても、苦にならない。むしろ、超楽しい。友だちはほとんど、いらない。どっちでもいい。裏切られるのも、合わせるのも面倒だから。

そう思っていた。
でも、本を読んでいるだけの毎日は、ものすごく退屈。
タイクツ、タイクツ、タイクツ、タイクツ!!!!
タイクツ、タイクツ、タイクツ、タイクツ!!!!
タイクツ、タイクツ、タイクツ、タイクツ!!!!

退屈という気持ちだけでエネルギーが内側から湧いてくるような、10代特有の「もてあまし感」をなんとかしたい気持ちもあったのだ。ウップンをはらせる、何か。エネルギーを発散できる、新しいこと。

―そうだ! イメチェンしよう。今の地味で暗い私に、全く似合わないことをしてみんなを驚かせよう。

そのとき、中学の卒業イベントを思い出した。私の学校には、卒業式や文化祭で全校生徒の前で、各学年で2〜3組が選出されて出し物をやる行事があった。

そこに出られるのは、もちろんスクールカーストの頂点にいる女子だけ。卒業イベントで、学年で最も有名だった5人組が、「DA PUMP」のモノマネをしていた。

我が校は、NHKホールの次に豪華な(うわさだが)、音響設備が整った講堂があった。客席は3階まであり、その辺の市民会館よりもよほど立派なホールだった。

駆け出しのアイドルだってこんな広くてしっかりした場所でコンサートはやらないだろうに、アマチュア中学生の彼女たちは、歌番組さながらのステージで、大音量の中、踊って、歌っていた。みんな、堂々としていた。下手でも、学園のアイドルは、大舞台に立っていいのだ。

私は、彼女たちの姿に自分を重ねてみた。あまりにも似合わなすぎて、さみしくなった。

「もし、あの舞台に私が立ったら、どうなるんだろう?」

無謀な仮説がわたしの中で立ち上がった。人前で何かをパフォーマンスして、楽しそうに、ワイワイと、笑顔で何かをやり遂げている自分。ありえない。ありえないからやりたくなった。

私は、「自分改造計画」を始めることにした。高校生活3年間を使った、人生実験だ。

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さて、何をしよう。

私は、歌も歌えないし、踊りもできない。特技は何もない。目立つ容姿でもないし。下校時刻はとっくに過ぎた夕日のさす放課後の廊下で、一人でブツブツと作戦を練って、ひらめいた。

―そうだ! バンドだ。バンドやろう!

ちょうど、一緒に帰る約束をしていた中学からの親友がやってきたので、勧誘をはじめた。

「みぃちゃん。バンドやろう!」
「バンド!? 楽器できないよ・・・私」
「私もできないから大丈夫!」

と、無理やり承諾させ、私はギター、みぃちゃんはドラムをやることに決まった。あとは、バンドの顔(ボーカル)とベースをどうするか・・・?

と、そこへ、中学の時に「DA PUMP」のISSA役をしていたボーカルの子が通りかかった。校舎をつなぐこの渡り廊下は、いつも人通りが多くガヤガヤしている。このときは、隣の校舎を見渡しても、長い廊下の先にも人の気配はなく、私とみぃちゃんとISSA役のサホ。3人だけが立っていた。

人が残って居たことに驚いたのは、私も彼女も同じだったようだ。中学でクラスメイトだった彼女から、話しかけてきた。

「ふたりは、部活決めた?」

有名人に話しかけられた時の緊張感が走り、さっきまで「バンドをやろう!」なんて計画していた自分が恥ずかしくなった。ごにょごにょしていると、みぃちゃんが無邪気に、

「バンドやろうって話してたんだ」

とバラしてしまった。
ISSA(サホ)の表情が変わった。

―やばい、バカにされる! なんで話すんだよぉ。

泣きたい気持ちでみぃちゃんを睨んだ。

サホ「バンドやるの!?」
私「(ぎくっ)あ、いや、まあ」
サホ「私も入れてよ! 探してたんだよね。高校でバンドやりたい人」
私「え!? いや、でも・・・Jちゃんとか、Yちゃんとか、誘わなくていいの・・・?」
サホ「JもYも、目立ちたいだけで楽器キライなの。高校ではチアリーディングやるんだって。私は、高校でバンドやりたい人とちゃんと活動して行きたいの。・・・で、まよっことみぃちゃんのパートは?」
私「え、、、えと、ギター・・・かな? みぃちゃんは・・・」
みぃちゃん「あたし、コレ(と、ノリノリでエアードラムを叩く真似)」
サホ「そっかそっか。オッケー! ベースやりたい子は、もう目つけてる子いるんだ。また明日、放課後に集まろう。じゃね」

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翌日の放課後、約束通りサホは「目をつけている」といったベース担当の山田さん(敬称の“さん”ではなく、「山田さん」というあだ名だ)と、コバを連れて私とみぃちゃんの元へやってきた。

サホ「自己紹介で山田さんが、ベースやりたいって言ってたの聞いてスカウトしちゃった」
山田さん「みんな、中学からなんだよね? 私、高校入学組みでまだ友だちいないから嬉しいな」
コバ「実は、中学で同じクラスだったんだよ」
みぃちゃん「あっ、でも、(悪気なく)あんま仲良くなかったよね」
山田さん「え!?」
まよっこ 「サホは、有名人だから・・・」
サホ「先輩の友だちが多いだけだよ」
まよっこ 「内部進学じゃないのに中学で先輩と友だちになったりしないから! サホはうちらの代の伝説になってるんだって!」
サホ「えー、やめてよ。その話、これからはナシね! コバは、3歳からピアノやってて、歌も上手いんだ」
コバ「ギターは触ったことないけどね(笑)」
サホ「で、軽音部なんだけど。知り合いの先輩に聞いたら、部員がみんな経験者なんだって。入部厳しい、ってウワサ」
山田さん「そういうルールあるんだ?」
サホ「アンプ置いてある部室が、1つしかないの。3年が使うから、私たち1年は3ヶ月に1回しか使えないって。だから2年の先輩も、自分たちでスタジオ借りて外で練習してる」
コバ「それだと、練習は基本的に学校外だね」
サホ「そうゆうこと。入部は、焦らず外で練習していこ! で、バンド名なんだけど! 私、つけたい名前があるの」

サホは、黒板に「背面飛」と書いた。

コバ「なにこれ?」
サホ「私、カスケードが超好きなの。ファンクラブの名前は、ベリーロール」
コバ「あー、じゃあ私たちは、“背面飛び”するってことね(はさみ飛びするポーズから、背中を反らせて背面跳びのポーズ)」
みぃちゃん「超、いい! ウケるね。漢字ってのも渋い!」

私たちのバンド名は「背面飛(はいめんとび)」に決まった。それなのに、私はまだこの段階でも「できないって言った方がいいのかな・・・」と日和っていた。

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楽器未経験者で構成されたバンドなので、各自がある程度練習してから集まることになった。高校生バンドは、だいたい好きなバンドの曲をコピーする。私たちは、当時ハヤっていたJUDY AND MARYのコピーをすることにした。山田さんが教本を持っていたのでコピーさせてもらい自宅練習を始めたが、みんな苦戦!

あまりにも難易度が高過ぎて初心者には無理だということになり、ビートルズやゆず、と言ったコード進行が複雑でなく、リズムも早過ぎない曲に変更した。

部室にある余った楽器をこっそり借りて、サホ以外のメンバーが放課後、廊下などで練習していたが、みんなでやっても各人がパートを弾きこなせないため、徐々に「弾けるようになってから合わせよっか」と、自主練を優先することになった。

そのうち、みぃちゃん以外のメンバーは、アルバイトを始めた。バンドをやるにはお金がかかるのだ。自己資金を貯めつつ、自主練の日々。ありえないことに、5人で曲を合わせることなく、2年生に進級しようとしていた。

私は、一向にギターが上手くならないので、廊下でメンバーに顔を合わせるのが気まずくなり、こそこそ逃げ隠れするようになった。弦楽器は自宅でも練習できるけれど、ドラムとなると自宅には置けないのでみぃちゃんは1年間、ドラムのバチを通学カバンに入れて床を叩いて練習するだけ、という状況。

サホは、我々の演奏レベルが上がるのを待っていたら、バイト先に彼氏ができ、青春を謳歌するようになっていた。

―このままでは、自然消滅する・・・。いや、もう解散しているのかもしれない。

そんな風に思いながらも、自主練は続く。ゆずの「夏色」を1年かけて私は練習していたが、母親から「何の曲を弾いているの?」と言われるほど、全く上達していない苦しい時期だった。

ある日、サホから放課後に集まるように号令がかかった。

―ヤバイ! 怒られる! もう、辞めますって言おう。ちゃんと言おう。やっぱり、私ができるわけなんてないんだ。今からでも、断ろう。後戻りできる。

泣きそうな気分で、呼び出された教室に足を引きずって行った。心の中で「脱退、脱退」と唱えながら、教室へ入る。みんな揃っていた。

サホ「このままじゃ、ダメだ。やっぱり軽音部に入部しよう。今から、先輩に入部したいってみんなで言いに行くよ」

と、怒るというより喝を入れなおす形で我々に声をかけた。

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バンド結成から1年。やっと、スタートラインに立って「軽音楽部」に入部した「背面飛」。まず、「何も始まっていない」ことをどうするべきか、五人で話し合い、次の3つを徹底した。

1:弾けなくてもいいからアンプに繋いで音を出しす。
2:合わなくてもいいから五人で演奏する。
3:最悪、弾けないでも部室に五人、必ず集まる。

という、超シンプルで基本的なルールだ。でも、チームプレーは「やる気の足並みを揃える」ことが重要だ。とにかく、入部した春から夏にかけて、このルールをみんな死守した。

そして、1曲だけコピーすることができた。それは、GO! GO! 7188という三人組のバンドの「こいのうた」という、コード進行が簡単でスローテンポなバラードだ。

まよっこ 「たった1曲なのに、半年もかかったね」
コバ「GO!GO!なら、サホの声に合ってるしいいんじゃない!?」
みぃちゃん「でもでも、ドラム、楽しくなってきた!!」
山田さん「このままやってけば、JUDY AND MARYもイケるんじゃない!?」
サホ「まだ、スリーピースバンドを五人で演奏してるんだよ(笑)」

もちろん、演奏はガタついていた。でも、「完成した」ということが私たちの気持ちを1つにした。そして、自信に繋がった。

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サホが、軽音楽部に入部したがった目的は、もうひとつあった。それは、「ジョイコン」に出ることだった。

ジョイコンとは、近隣の私立高校と合同で行われる、軽音楽コンテストのこと。軽音部のメンバーが出場するのだが、各学校ごとにバンド数が多いと選抜になる。技術だけでは差がつかなくなるため、みな「オリジナル曲」で出場するという、結構ハードルの高いコンテストなのだ。しかも、男子校のバンドはうまい人が多いため、女子はナメられやすい。

私たちが、2年生の夏。ジョイコンに初めて顔を出した。先輩のお手伝いだ。うちの学校で一番うまくて、ギターソロがむちゃくちゃ難しいL’Arc-en-Cielのコピーも完璧で、演奏に電子バイオリンも投入したバンドでも入賞できなかったのだ。

その年に優勝したのは、東海大相模高校の女性ボーカルの3ピースバンドで、椎名林檎のような世界観の曲を披露していた。

まよっこ 「高校生って、オリジナル曲つくれるんだね・・・。作曲家とかプロしか作れないんだと思っていたのに」
みぃちゃん「ど〜しよう、あたし、“ドラム3点ください”って言われてもできないよ〜」
コバ「そこ!?(笑)。みぃちゃんは、リハの練習からしよっか?」
山田さん「レベル、超高いね。去年、個人賞とった橋場さんがいてもバンドで入賞できないんだね」
サホ「来年、私たち3年じゃん。うちらしか、バンドないじゃん。出たくない? 後輩に譲るのイヤだ。私」
まよっこ 「うん。もっと練習しよう!! ここで、オリジナル曲やろう!」

「ジョイコン」というレベルの高いステージを見たことで、私たちは新しい目標を見つけることができた。その日から、「あの場所に立ってみたい!」という、それだけが背面飛メンバーの共通の夢になった。

今の実力は、関係なく、夢を見る。
それに向けて、練習をする。
うまくいかなければ、できる人に聞く。
やり方を変えてみる。
くじけそうになったら、メンバー同士でマクドナルドに行ってシェイクを飲みながら励ましあう。

そんなことを繰り返し、繰り返し、少しづつ上達していった。演奏できるコピー曲も10曲まで増え、2年生の冬には学校外のライブハウスを貸切って他校の男子校バンドと初ライブも行い、度胸もつけていった。

なんどもステージに立ち、先輩の前でも演奏し、強引にチケットを売りつけ来場してもらった(?)友だちの前でもパフォーマンスを披露していたら、いつの間にか、人前に立つのが当たり前になっていた。

バンドとしては当たり前だが、「人前で演奏する」ことが、特別ではない感覚。1曲も合わせられなかった頃を思うと、かなり成長を感じていた。

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コピーバンドとしては、まずまずな成長を遂げた。一応、「元曲がわかる」程度には技術が上がった。そして、最後の目標だった「オリジナル曲を作って、ジョイコンに出場する」を実現するときがきた。

高校3年生のGW頃。私たちは、「ジョイコン」に向けてオリジナル曲を作りはじめたのだ。

ギター組の私とコバがそれぞれ考えたメロディーを部室で1フレーズだけ披露してみたり、ベースの山田さんも曲づくりに挑戦したりして試行錯誤する。でも、サビだけとか、Aメロだけ、とかで、なかなか、1曲にまとめられない。

時間ばかり経っていき、「ジョイコン」まで1ヶ月を切っても、歌詞すら完成していなかった。

―演奏できるものが、ない・・・。弾けないんじゃなくて、そもそも「何もない」。練習すらできない!!

オリジナル曲の壁を感じた。照明を浴びつつ無音で立ち尽くす五人の姿を想像したらゾッとした。焦りが募ったので、授業をサボって、サホと一緒に保健室で歌詞を完成させることに。

まよっこ 「やっぱり、aikoっぽいのがいいよ。あと、ジュディマリ要素も入れよう。“私の思いは月で、あなたは太陽”みたいなのどう?」
サホ「おーいいね、片思いソング? よし。かわいい歌詞入れよ。“チェッカーズフラッグ”“うさぎの雲”」
まよっこ 「えーと“お気に入りの白いスカートに跳ね返った泥は、あなたの中のかわいいあの子”」
サホ「うわ、超わかるけど、暗っ(笑)」
まよっこ 「へいへい、暗いですよ。“私の心は月だから、あなたなしでは欠けていく”“届けて欲しい、あなたの光 このまま いなくなっちゃうよ”、っと(書く)」
サホ「まよっこのOくんへの思いがダダ漏れだね(笑)」
まよっこ 「正気に戻ると恥ずかしくて完成させられないから、サホもトリップして」

と、お互いの恋愛体験をもとに2時間くらいかけて歌詞を完成させた。

次に、曲だ。歌詞をメンバーに渡すと、翌日にはコバが曲を作ってきた。歌詞を口づさみながらピアノを弾いていたら完成したらしい。やはり、創作にはイメージを刺激するナニカが必要なようだ。ものすごいスピードで前進していった。

ジョイコンの2週間前から、部室で練習するか外のスタジオにこもって毎日2時間かけて、たった1曲をひたすら合わせ続けた。サホが歌いすぎると喉に良くないので、楽器隊だけで演奏し、カセットテープに録音。それを聞いてまた練習。

「アウトプット→フィードバック」をひたすら繰り返した。やり続けた結果、ジョイコン前日に録音したカセットテープからは、なんの乱れもない、美しい演奏が聞こえてきた。

みぃちゃん「なんか、売り物のCDみたいじゃない?」
まよっこ 「1曲を丁寧にたくさんやりこむと、こんなに上手くなるんだね」
山田さん「今まで、いろんな曲に手を出しすぎてたかもね」
コバ「なんかもう、やり遂げたね。やっと終わった・・・って思っちゃった、私」
まよっこ 「わかるー! それ、思った」
山田さん「あとは、このままのテンションで弾けたら大丈夫だね!」

もう、出なくてもいいかも。それくらい満足いくまで練習できたのは、初めてだった。その日の夜は、みんな久々に早く帰り、ぐっすり眠ることができた。

そして、「ジョイコン」の結果は、優勝だった。

2年前には、楽器の演奏ができなかったし、バンドを結成しても1度も合わせることなく時間がすぎていった。コピー曲すらまともに演奏できなくて恥かしかった。それなのに、うちの軽音楽部がはじまって以来の「初・優勝」を、私たちがしたのだ。

高校3年間を使った、人生実験は大成功だった。

何も成し遂げられなかった暗くて地味な私は、
いつの間にか、ステージに立って仲間と一緒にワイワイと、
目標に向かって青春する「女子高生」になっていた。

周りからは「憧れ」られることはなかったし、スクールカーストの上位にいるわけでもなかった。

でも、今でも、「ジョイコン」の思い出話ができるし、「背面飛」は20年間かけて私たちの間で育っていき、今では第2の家族のように大切な居場所になっている。

高校生の頃、タイクツでたまらない!!! と思った衝動で行動して、本当によかった。
大人になった私は、20年前の私に嫉妬しているし、元気ももらえる。

勇気を出してくれて、ありがとう。15歳の私。
諦めないでくれて、ありがとう。16歳の私。
青春してくれて、ありがとう。17歳の私。

あの頃みたいに、がむしゃらに、ナニカを頑張れるって、すごく羨ましい。


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