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たった一人の読者、自分のために書くnoteで読み返して笑ってる

「北北西に曇と往け」という不思議なマンガを読んでいる。アイスランドの首都レイキャビクが舞台である。広大な自然とそこでの文化もふんだんに描かれている。

「北北西に進路を取れ」という映画を観たあと、似たタイトルだったので読み始めた。おもしろい。

そこに出てくる登場人物の一人が「私は私のこと大好きだから、コンプレックスなんてない」と話すシーンがある。

こんな風に言い切れたらどれだけ楽しいだろうか、と思った。

今日までnoteをほぼ毎日書き続け約1ヶ月が過ぎた。
くだらない日々を書き連ねているので、書くことがない、という問題も特にない。

会社でお世話になっていた方から、「これからの人生や将来のためにも、自分の名前で文章を発信した方がいい」と助言をいただき、全くその通りだと思い書き始めたのがきっかけだ。

大学生の頃にもmixiやブログをよく書いていた。
仕事を始めてから、書かなくなった。
外に漏れたらマズイ情報を扱っていたことと、単純に時間がなかったからなのだが、その仕事から離れたあとも、書けなくなってしまった。

人に見せるほどの事など、何もない。
誰かにわざわざ文章にしてまで伝えたいことなんてない。
バズらせられるネタは持ってない。

良く言えば客観性、悪く言えば自意識過剰が支配して、1文字も書けなかった。

昔は書けたのにな、と懐かしく思いつつ、寂しい思いもしていた。同じ人間なのに経年劣化して書けないなんて。

こんな内容の投稿を書くほど悩んでいた。そして、私のフォロワー数にしては、読まれた方なので、恐らく同じように思う人が多いのだろう。

たぶん、10年くらい書けずにいた。この投稿後も、続けられなかった。

このままずっと書くことはないだろうと思っていたが、会社の先輩に「まよっこさんの好きなものについて、書いたらいいんじゃないんですか?」とすすめられ、マカロニえんぴつについて書こうと決めた。

そこから、なぜかスルスル書けるようになった。
しかも、マカロニえんぴつについて、思ったより書いてない。

なぜ、書けるようになったのか。
それは、たった一人に向けて書くようにしたからだ。

それは、誰か。

私である。

私は私という読者のために書いている。
これは、その先輩の受け売りの言葉だ。

先輩は、当時会社で編集の仕事をしながら、個人で色々と論文などを発表して、本を何冊も出していた。今はそちらが本業になったが、当時からこう話していた。

「自分という読者のために書いている」

あの頃、意味がよくわからなかった。しかし、今はわかる気がする。

編集者になりたての頃、超ベテランの、今では取締役にもなられた編集者の方から新人が覚えるべき10ヶ条のようなものをいただいた。

その1つに「自分で読んで面白くない、わかりにくい文章は直す」というのがあった。音読し、句読点にも気を配り、つっかえるようなら修正が必要だと。

つまり、「まず自分が面白くないと他人が読んでも面白くない」という基本中の基本のことを教わった。
企画を立てる時も、ベテランの先輩からよく言われていた。

「これ、君は面白いと思うの?」

はい! 絶対絶対ぜーーーーーったいにやりたいです!!!!
と言えると、その人が腑に落ちてなくても企画が通った。それは、どの職場でも同じだった。もしくは「もう一回、こういう視点で直してみて」と指示され、ギリギリ通過する時も。

逆に、「うーーーーーーーーーん・・・・」と言い淀むときは、だいたいダメだった。

当たり前と言えば当たり前なのだが、「みんな、これ、好きでしょ?」という視点で作った企画は、読者にも見透かされて結果が出ない。

「私は、これが、超いいと思うんだけど、みんなどう!?」

みたいな、押し付けがましさと暑苦しさがある企画は、年数が経ったあとでも「これ、いい企画だったよね」と語り継がれる。

最近も、会社では事情があって通せなかった企画があり、どうしても諦めきれず、他社に持っていき、連載枠と書籍化の権利を獲得した。

その著者の方を1年以上お待たせしたが「私は、絶対にやりたいし、通すので、待っててください!!」と熱弁し、あちらが根負けし「任せる」という言質を取って奔走した。

「連載、決まりました!」とお伝えすると、
「え!? もうなくなったのかと思ってたよ笑 頑張りましたね」とお褒めの言葉をいただいた。

年賀状にも「いまだに信じられません」と書かれていた。

またしても、話がずれたが、とにかく「私が読みたい!」と強く思わないと動けないのである。

だから、ずっと書けなかった。
でも、マカロニえんぴつに対する思いを、魅力を書くことについては、私が読みたいと思っているので、書くことができた。

実は私は、自分で書き、書いた文章を読んで笑っている。
何回も読み返して、ムフムフほくそ笑んでいる。(キモい)

冒頭のキャラクターが発したセリフではないが、

「私は、私が書く文章、大好きだから」

とは言えるなと思う。
自分自身のことは別に好きでも嫌いでもないので、私がどういう人物なのかについて書いた文章は読みたくもなんともない。だから、1文字も書けなかったし、就活のESも苦手で全然書けなかった。

今は、「考え事をする私」が、基幹の私に対して事象を伝えている状況なので、書くことができる。

だから、誰か私以外の人が一人でも読んでくれていたら、それだけで十分すぎるし、めちゃくちゃ嬉しい。

でも、この世で私だけしか読んでいなくても、私は楽しんでいるからいいのだ。
毎日書いてもまだ書けるくらい、頭の中で独り言のように考え事が巡っているのかと思うと、そりゃ、アタマおかしくなってうつ病にもなるわな、と思う。

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