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「自己紹介」映えする肩書きがある人に抱く、コンプレックスのようなもの

 コルクラボに8月から4期生として入会した。入って最初にやった活動は、自己紹介を掲示板に書いてアップすることだった。

 コルクラボでは、「さらけ出し」を推奨していて、みんな自分の話をなるべく素直に語り、人によってはぶつかり合うようなトークもしている。何を書いたらいいか迷ったので、メンバーの自己紹介をいくつか読んでみた。

 驚いたのは、キャリアの肩書きや経歴がスゴイだけでなく、ライフワークとして何か活動している人がとても多い、ということだった。(具体的には書けませんが)ちゃんと生きている人は、意識していないと思うけれど、私から見ると「自己紹介映え」する人が、たくさんいる印象だ。

「オンラインサロン」に入会する人たちの集まりだから、ある程度は感度やトレンド感も高く、問題意識を持った積極的な人が多いとは思っていたけれど、予想以上だった。

 読んでしまったが最後、やっぱり、何を書いたらいいのかわからなくなった。自分が空っぽなことがわかっているから、書くことがない。人のタメになる情報はとくに持っていないし、自分しか経験していないようなスゴイ体験談もない。学生時代から探求している活動もないし、息を吸って吐いて、会社に行き、子どもをかわいがり、家の掃除や洗濯をして、本を読んで、ほとんど「ただ生きている」だけのように暮らしている私は、あえて「他者に伝えたい自分」はない。

 わかりやすい、芯の通った肩書きやストーリーがある人がうらやましい。人生に意味を持たせて生きている人に、コンプレックスを抱く。

 悩んでも仕方がないので何かしようと思って入ったのが、コルクラボだった。それなのに、やっぱり書けない問題にぶつかった。

 たかが、「自己紹介」なのに。自分のことなのに。ググりたくなるけど、検索したって私は有名ではないから何も出てこない。

 WEB上に私はほとんど存在していないし、リアルな場所でも人に言えるわかりやすい肩書きや活動歴を持っていない私は、果たしてこの世の中に存在しているのだろうか? 戸籍はあるし、会社の名刺もあるし、友だちも、子どももいる。けれど、「わたし」の中に積み重なった気持ちやモノの見方、出来事以外の「わたし」を説明できる言葉や肩書きは、ない。

 書かなければ「参加すらできない」から、なんとかひねり出した。けど、本当に嫌になった。いい加減、自分から解放されたい気分になって、悲しかった。

 転職活動などで自己PRをする、仕事でやりたいことを言葉にして形にしていく。自己紹介は、どんな場面でも登場する。そして、いつも黙ってしまう。行動という形にならないと、世の中には存在していないのと同じなのだとしたら、その行動を裏づける動機は、「好き」とか「興味のあること」だ。でも、動けないんだ。

だって、好きなことが、わからないから。

 よく「子どものころに熱中していたこと」を思い返したり、棚卸ししたりするとわかる、というけれど、子どものころの記憶がほとんどない。私は家族と上手くやれていなかったから、ずっと居心地が悪い気分で幼少期から思春期を過ごし、住む場所はあったけれど、居場所はなかった。事務的な会話以外に話をしたこともそんなにない。そのせい、とは言い切れないけど、思い返しても本当に無気力・無感動な子どもだったから。湧き上がって来るものなんてなかった。

 学生時代にハマったものはあるけれど、関心が薄れてしまって、今も続いているものはない。「なんとなく気になる」とかはある。だから、いろんなことに手は出す。プログラミングの勉強を始めてみたり、英会話や短期のビジネススクールに通ってみたり、デッサン教室にも行った。どれもこれも日常生活を差し置いてまで、やりきるほどの関心には至らない。

 実行して線になって、人生につながって、自分を言いあらわせるくらいのものに育てたくなるものは、どうやって見つけたらいいんだろうと困っている。選べない、キメの問題なのかもしれないが。

 「好き」は、大きく分けて2つあると思う。1つは、「生産」できる好き。もう1つは、「消費」する好き。「生産」できる好きは、抽象度が少し高くて汎用性がある。「消費」する好きは、具体的で即物的だ。

 消費の代表として、ポケモンを例にあげたい。ポケモン好きな子どもが2人いるとする。(プリキュアでもいい)

 「生産」できる好き、の観点でポケモンが好きな子は「動物の一種として好き」とか、「ゲーム自体を作りたい」、という概念や仕組みにまで思考を広げられる。(こんな理想的な子がいるかはわからないが)

 「消費」する好き、な子は、カードゲームを親にせがんで買ってもらって友だちとコミュニケーションするため、自分の時間を使うためにポケモンと接している。(大半はこっちだと思う)

 子どものころに養っておかなければその後、身に付けるのが難しいのは、「生産」できる好き、だ。これは仕事につながるから幸せだ。私は、「消費」する好きしか持っていない。何かを見る、買う、という形でしか参加できない好き。

 コルクラボの人は、「生産」できる好きを持ち寄って、みんなでシェアして、また作り上げている。それが、うらやましいし、自分にできる芸当とは思えないから、躊躇している。

 私は”じぶん”というものを深掘りしているつもりだった。ラボに入ったのをきっかけに、自己紹介につまづき、改めて、実はあんまり深掘れていなくて、ずっとおんなじところをグルングルン回っていただけだったことに気が付いた。(やっとかよ)

 ちょうど、私の自己紹介問題を整理するものの見方を発見した。サディ(佐渡島さん)の投稿だ。

「自己紹介を繰り返すことで、自分の立ち位置を理解できて、目的に向かって努力できる」

 なるほど、確かにそうだ。私は、やっとどこにも立ててないことに気がつけた、ということかもしれない。

 この数年、私は生まれ直したいと考えていた。そして、最近、出産したことで、ちょうどいい機会なので自分の子どもと一緒に自分を育て直すことにした。インナーチャイルドというやつだ。「立ち位置」を作っていきたいな。

 オンラインサロンって、なんなんだろうって思っていたけれど、コルクラボに入って1ヶ月。「流さずに考えて、アウトプットを共有する」を習慣にする場所なのかな、というのが今の感想。また変わっていくと思うので、それは次回に! 


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