見出し画像

「佐渡島さんの信者」ではないけど、感動したから伝えたいコルクラボの話。

2日前の月曜日、「4期生が佐渡島さん(以後、サディと呼んでみる)を囲む会」というコルクラボ会員のためのイベントに参加してきた。

はっきり言って、本当に行ってよかったと思ってる。「勉強になった」っていうのは、あんまり言いたくないんだけど、「感動すらした」っていう気持ちがいちばん素直な感想。

コルクラボの外側に居る人から見たら、この発言はとっても「サディの信者化」してるみたいに見えるだろう。実際そうなんだと思うけど、違うんだ!そういうことじゃないんだ!とも言いたい。

今日は、「いや、ほんとにサディの信者じゃないんだけど、私。でも、コルクラボを設計してるサディはやっぱすごい編集者(経営者)なんだって感動したからみんなに伝えたい」っていう、”ながい言い訳”を書こうと思う。

少し(だいぶ)時代をさかのぼりたい。もう10年以上前の話だけど、私は大学の頃に社会学を勉強しており、よく見知らぬ人の「コミュニティ」に参加して「フィールドワーク」をしていた。当時から不思議でならなかった。「なぜ知らない人が、わざわざ集まって同じ時間を過ごせるのだろう?」と。

当時は「mixi」でコミュニティを見つけてた。印象的だったのが、「カラオケ」コミュニティ。この時は、埼玉の大宮に集まって見知らぬ(mixi掲示板では知り合い)男女が30名ほど集まって、ひたすら土曜の昼間に3時間も4時間もカラオケをするだけ。私はもちろん、参加者として、マイクを持った。カラオケは大好きだけど、全然、楽しくなかった。周りの人たちは大盛り上がりしていた。彼らは、ほとんど初対面同士。この時の気づきは、「趣味を通じて人は集える」というくらい。どこかに居場所を見つけられたわけでもなく、今に至る。

そして、現在。オンラインコミュニティが大流行りの時代。なんとなく、mixi時代に似ている気がする。でも、少し違うのはmixi時代は「コト」(つまり趣味とか目的)を軸に集まっていたのが、今は主催する「人」を囲むようにコミュニティができているという点。

サディもこの日、言っていた。4期生同士があまり交流できていないことを解消するために今日のイベントを開いたこと。それから、ラボについて。

「箕輪編集室や落合(陽一)さん、堀江(貴文)さんたちのようなコミュニティと違って、僕は前に出て行ってないんだよね。それに、コルクラボは、おもしろい普通の人の話を聞く機会が多いから、来ないと”どこにおもしろい人がいるかわからない”んだよね」と。

コルクラボは、ピラミッド構造になっていない。サディはいるけど、「フラットな関係」で、たまに発言する程度。だから、いるんだけど、いない、みたいな感じ。もちろん「佐渡島サンのオンラインサロンだから来てる」人ばっかりだけど、前面に出て来ないからコルクラボメンバーは、「強要しないし、受け入れるし、放っておく」という絶妙な空気感が生まれて、”存在している”。

3ヶ月所属して私の中に仮説があった。コルクラボは、「サディが手がけてきた作品」に集まっているから成立しているんじゃないか? これは、他のサロンにないエンタメ性であり、コンテンツだからそれだけで楽しめる。そだけど、サディを囲む会で聞いた彼の発言で、私の理解は別の方向に進んだ。

「学校に行く、子供の友達の親のコミュニティに入る。会社に所属する。こういう機能的なコミュニティは、あるけど、ラボは機能性が全くないんだよね。いろんな人がいることを認め合いたいし、機能的にだけ生きて行く必要ってないんだって思っているから、それをラボで実現したい」

この言葉を聞いて、私はとても感動した。

「どうして、こんなに、生きづらいんだろう」

っていう、気持ちを抱きそうにもないくらいすごい人なのに(そういう気持ちになったこともあるだろうけど、あえて言ってしまう)、「人はあるがままでいいのである。何かするために、何かになるために生きているわけではない」というような考えのもと、運営しているなんて!

聞違っているかもしれないし、汲み取り切れてないかもしれないけど、サディの「人に対する眼差し」に触れて、「ああ、この人は、本当に世の中をフラットにみていて、すごい編集者で、だから、みんな知らない間にサディの作品になっているのかもしれない」なんて思ったのだ。

だって、サディは言った。「ラボから有名になる人をどんどん作りたいんだ」って。

これは、もう、編集者の言葉でしょう。

だから、ラボにいる人は、「自分の本質的な何かに気づける」ように仕組まれているし、「自然に変われる」のじゃないかと思った。それが、毎週設定されている「お題」なのだ。質問で人は変わる。「インプットでは人は変われない。アウトプットの量でしか変われない」ってサディが言った意味は、ここにも通じている。

11月24日の文化祭は、いろんな人のいろんな視点で作られたイベントだから、ラボに入ってなくても楽しめるはず。そして、5期生として活動することは「もともとの自分にかえって行く」体験ができるかもしれない。

私はまだ、肩の力を抜いている最中だけれども、確実に自分を取り戻しつつある感覚を得ているから、もう少し活動したいと思っている。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?