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21世紀の物語とコスモポリタニズム(20.6.27 深夜の連ツイより)


とっさの思いつきで、発信するのもそれはそれで億劫なのですが。

自分の創作物に対する考え方の根っこについて、ぶわあああっと想いが沸き起こって形を成してきたので、ホットなうちに文字にしておきたく。

では、さっそく本題です。


いま、創作物って、メディアを問わず全世界的に「コスモポリタニズム」を志向する傾向にあると思います。地球市民的思考を伝播させる媒体としての役割を、創作物が担っている。ここ数年、僕は特にそう感じます。

いったん一般化して歴史を振り返ってみると、文化は常にそのときどきのイデオロギーを反映してきました。帝国主義の時代にはそれを助長する国家礼賛的な映画が撮られたり、封建制度の時代には領主の権威を示すための美術品が作られたり。

そして、そのイデオロギーが望ましくない方向に凝り固まってしまったときには、文化はそれを助長してしまう側面を持っています。
20世紀初頭のアメリカで、人種差別を描きながらも圧倒的な支持を得、後世の評価が分かれることとなった映画『國民の創生』のように。

しかし、いまの世界はむしろ、イデオロギーが変化する時期、すなわち過渡期にあるのではないでしょうか。
社会の情報化により、差別・貧困・環境破壊・戦争、そういった全地球的問題について、一握りのエリートだけではなく、大衆のひとりひとりが考え、行動に移すことができるようになりました。
こうした社会正義を志向する全世界的ムーブメントの中心に、文化が、創作物があるのではないでしょうか。

いまや世界最大の映画シリーズとなった『マーベル・シネマティック・ユニバース』は、そうしたコスモポリタン的文化形成の象徴ともいえる作品群です。
アメリカ国旗をあしらったヒーローが、アフリカ系アメリカ人に後を託して引退する。上意下達的パターナリズム社会の権化のような壮年男性を、自らの意思を獲得した若年女性が正面から打ち破る。
こうした物語が世界中で共感を獲得し、情報世界を拡散していく。
その過程で、「地球規模で物事を捉え、未来のあるべき姿を模索する」試みが、伝播していっている。そういう面があるのでは。

そして、創作物には、物語にはそれを推進するための仕掛けが備わっています。それは、「ポジショントークからの脱文脈化」です。

ふつう、人がメッセージを発する場合、それは発信者の発言としての属性を付与されざるを得ません。発する側も受け取る側も、そこにポジショントークとしてのバイアスを感じざるを得ないのです。
しかし、物語ではいささか勝手が違います。

作者の意図は根底にありながらも、物語におけるメッセージは「登場人物の手を介して」受け取り手に届くからです。
受け取り手は、物語の中で描かれる登場人物の過去に想いを馳せ、登場人物に感情移入しながら展開を辿ってゆきます。

この「感情移入による擬似体験」によって、物語におけるメッセージは、作者のポジショントークではなく、受け取り手の実体験として、半ば直接受け取り手の心に届くのです。

物語のこうした効用によって、いま、世界はこの急激なイデオロギー転換をさらに加速させているのではないでしょうか。そして、それは基本的に「良いこと」なのではないでしょうか。

物語は、堅苦しい知識体系や前提といったものを必要としません。受け取り手に対し、作者は伝えたい思想のエッセンスだけを届けることができるのです。

もちろん、こうした特性はリスクを孕んだものでもあります。かえって、危険なイデオロギーを助長してしまう可能性もあります。
しかし、文化はいま個人にワールドワイドな視点を与える方向にシフトしている。この傾向は、守っていくべきものではないでしょうか。

物語をきっかけに世界の現状の一端を知り、問題意識が芽生え、未来のあり方を考えるきっかけとする。そういう時代が来ています。


物語から、地球のよりよい未来を創る。


これが、21世紀の文化の理想ではないでしょうか。


こうした思想が根底に流れている作品が、僕は大好きです。
何も地球規模でなくてもいいんです。

主人公だけじゃなく、人の数だけ正義があるんだ、とか(Fate/zero)。

見た目も考え方も、五感さえ全く違う相手とも、わかり合うことが出来るんだ、とか(仮面ライダーOOO)。

世界は残酷で、憎しみと争いは絶えないけれど、それでも憎しみの連鎖は絶たなくてはいけないんだ、とか(進撃の巨人)。

人の手では裁けない悪がこの世にあっても、正しくあろうとする心を捨ててはいけない、とか(PSYCHO-PASS)。

世界はなんだかよくわからないものだらけだけれど、だからこそ輝いているんだよ、とか(キルラキル)。

どんなに悲しくても、「それでも」と言い続けろ、とか(機動戦士ガンダムUC)。

そして、こうしたコスモポリタン的ストーリーテリングの臨界点に到達した作品が、小川一水作『天冥の標』と、中島かずき脚本『プロメア』、そしてアンソニー&ジョー・ルッソ監督『アベンジャーズ・エンドゲーム 』だと、僕は勝手にそう思っています。

マイ・ベスト・オブ・ベストで、本当に素敵なパワーを持った物語たちだと感じます。

こういう、未来を創る力を持った物語を世に広め、次へと続く若者たち、子どもたちに届けるためなら、自分の人生を捧げても良いなぁ、と思ってしまうくらいに。


結論、僕はエンタメ業界に就職したいかもしれません。院進院進と言い続けてきましたが、再考に入るかも。

結局ありがちな進路の悩みかよ、って感じですが、周りが就職を決める中、ウジウジしがちな自分がそれなりに本気を出して自分とにらめっこした結果なので、これはこれで良しとしてあげることにしました。

まる。





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