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4歳の娘と、はじめての国立西洋美術館。

『海のアトリエ』という絵本がある。どうやら多くの賞を受賞していて、なかでも『Bunkamuraドゥマゴ文学賞』という文学賞にいたっては31回目にして初めて絵本が受賞したという、とてつもない本らしい。

4歳になった娘の寝る前のルーティンは相変わらず絵本の読み聞かせで、親の体力と娘の希望を折り合わせて「短めの本3冊」「遊べる要素のある本1冊」「壮大な物語は1章だけ」など日々攻防が繰り広げられているが、『海のアトリエ』はその中でなかなかの強敵である。なんといっても絵本なのに漢字が出てくるからね(通常、幼児向けの絵本はすべてひらがなで構成されている)。つまり、親として読み聞かせるのは結構カロリーの使う本なのである。

ただ、これがとても良い本で、気になる方はぜひ手にとってほしいのだけど、なんと今回の記事の主題はこの本ではない。この本の中で、登場人物が美術館に行く描写があるのだが、それを見た4歳の娘が「美術館に行ってみたい」と言い出したのだ。

娘はつい先日立川プレイミュージアムのミッフィー展で美術館デビューしたばかりで、2回目の鑑賞となる。まぁ前回も今回も、大して見てはいないのだけど

昨年の夏に、ミッフィー展と安西水丸展を訪れたきり、家族で美術館には行っていない。私個人は大学で美術を学んでいたこともあり、子どもと美術館に行くのは憧れもするのだが、自分が好きな場所だからこそ、子どもを連れて行くハードルの高さに前向きにはなれなかった。

そんな娘が、自ら「美術館に行ってみたい」と言い出したのだ。娘は、我が子ながらなかなか賢いように思う。もちろん年少ならではの気まぐれさや、一人っ子特有のマイペースさに振り回されることもあるが、特に4歳になってからは考える力がぐんぐん成長しているなぁと感じる。

本人が望むなら悩む必要もないかと、美術館に行くことにしたのだが、問題はどこの美術館に行くかである。娘がなんとなくデビューした先の2館は、わかりやすく子どももウェルカムの企画展であり、ハードルは低かった。ただ、今回娘が引用してきた『海のアトリエ』の美術館は、絵画や彫刻が飾られたザ・美術館で、一見とても4歳の子が楽しめるようには思えない。しかも私たちの住んでいる東京は、文化資本に溢れているとはいえ、上野の各美術館の企画展がどれほどまでに混んでいるかは想像に難くない。娘が途中で飽きてしまったら。そもそも混雑によって娘のテンションが下がってしまったら。周りにも娘にも気を遣う我々夫婦(もちろん互いに何かを押し付けてイライラし合う)。まず、混むところは避ける。ここは娘が4歳なのが功を奏するわけで、なにも彼女は国宝を見たいわけでもピカソを見たいわけでもないのだ。

ということで、我が家が選んだのが国立西洋美術館の常設展である。

ここを選んでくれたのは夫で、彼が最近新聞記事をきっかけにベルト・モリゾという印象派の画家にハマり、彼女の絵を見るために常設展を訪れていたので、企画展と常設展の動線が完全にわかれているという構造を把握していたのが推しポイントとなった。改めて調べてみると子ども(6歳以上)向けのプログラムも用意されていたので、なんとなく子どもが行っても良いだろうという安心感もあった。

9:30の開館にはやや遅れるかたちで入った会場は、思ったより人がいたものの、日本の美術の中心地でもある上野の美術館としてはほどよい人波で、個人的には「ちょうどいい」と感じた。(結果的に1時間以上滞在していて、最後には「混んできたな」と思う程度ではあったので、常設展とはいえ侮れない)

そんな中で、いよいよ4歳娘・待望の美術館。通常ボリュームの彼女の声も、必要以上に拡張されて大きく響き渡るのがこういう施設の常なので、ひそひそ声で話すこと、走らないこと、大きな音を立てないことを約束して、いざ。常設展を観たことのある夫が娘と手を繋いで歩いてくれたのだが、私は彼女が本当に美術館を楽しめるのか、内心ドキドキしていた。ただ、すぐにそれは杞憂にすぎなかったということがわかる。

「お母さん、かわいくてすてきな絵がたくさんあるよ」

夫と手をつなぐ娘からそんな言葉が聞こえたときに、私は心がくすぐったくなるような感覚を味わった。自分でもあまり意識していなかったけど、少し緊張していたようで、身体のこわばりがほぐれていくようだった。たぶんシンプルに、すごく嬉しかったんだと思う。

4歳の娘はもちろん大人と同じようにじっくり眺めながら観るわけではないので、かなりハイペースでの鑑賞になるのだが、思っていたよりひとつひとつの絵を観ていて、あまりにも自然に感想を口にするので驚いた。いくつか娘の感想で印象深かったもの、記憶に残しておきたいと思ったものを書いておく。

「カラフルでかわいいね」

「この女の子(キリストの左側)、わたしと同じくらいにみえる」

「いただきますってことかな(手をあわせながら)」

「見て!家、持ってるよ」

なんだか、自分の心配はなんだったのかと拍子抜けしてしまうくらい、娘はありのままに美術を楽しんでいた。「怖い」と口にしたらどう説明しようかなと考えていたのだけど、結局いちども(少なくとも私には)言わず、ちょっと癖の強くなってくる20世紀の絵画も、彼女なりの感想を言葉を口にしてくれることに感動した。娘がたくさん話してくれるので、私も自分の感想や少ない知識を引っ張り出して、楽しく鑑賞することができた。

これってまさに鑑賞教育じゃん、と思った。鑑賞教育とは、芸術品を感じるままの気持ちを大事にして一人ひとりの素直な見方を育てていくという美術教育のカテゴリなのだけど、ある程度の年齢になってから美術に興味が湧いた私にとっては、『鑑賞教育』という知識が先にあったことで「その方が良いみたいだからありのままに感じよう」と思って美術に向き合っていることを自覚していたので、ありのままに絵画を捉える娘の感覚がとても羨ましかった。「つまらないかもしれない」なんていうのは私の子ども時代の記憶でしかなくて、今の娘は本当にまっさらな状態で、目の前のものを吸収して言葉にしているのだ。それは、なにがなんでも大事にしたいと思った。

娘はミュージアムショップでお気に入りの絵のはがきを5枚選んだ。いちばんのお気に入りはルーベンスの『眠る二人の子供』。かわいい赤ちゃんが大好きな娘らしさを感じるが、他にも見ていない風景画や点描画を「どうしても気に入った」と交渉されてしまったら、買わないわけにはいかない。そういうわけで、娘のお気に入りのポシェットの中には5枚の西洋絵画が入っている。

記念になるだろうと常設展の図録も購入したのだが、当日の夜に「美術館でみた絵をみたい」というのでさっそく図録を全ページ見た。いったいどこの世界の4歳が西洋美術の図録を寝る前に読みたがるというのだろう。この世の宝を生み出してしまったかもしれない…と悦に浸っていたら、娘が「海で踊る女の人の絵がない」と言い出した。常設展の図録は多くの作品が掲載されているものの、最近増えた作品は載っていないのであろう。西美は基本的に写真撮影可のため、気になる作品は写真を撮っていたが、娘のいう絵はおさめていなかったので、我々夫婦は頭を抱えた。しかしまぁ西美のホームページは非常に便利で、展示会場ごとに作品を検索できるため、なんとか娘の言葉と私の記憶を頼りにその絵にたどり着くことができた。

前衛芸術ナビ派の代表的作家、モーリス•ドニである。娘は「これこれ」と満足げだった。図録に含まれていないだけあって、はがきを買うこともできなかったのだが、娘の中ではかなり上位に好きな絵だったようで、他のドニの絵をみせると「これもかわいいね」と興味深そうにしていた。4歳にしてドニを好きになるセンス。そのまますくすくと育ってほしいところである。

当日だけでなく美術館のことを振り返ったり、一週間経ってもふと寝かしつけに図録を選んだり、すっかり美術館を好きになったはずの娘であるが「次は博物館に行きたい」と言っている。個人的には西美リピートでもぜんぜん問題ないのだが、せっかくなので次はトーハクあたりに行ってみようと計画を立てている。しばらくは常設展が充実している穴場を探してみるつもりだ。

西美、本当に良かった

デザインとやらを学ぶために入った大学でアートに出会い、結局何者にもなれなかった私だけど、少しでも娘と話せたら良いなと思って美術史の学び直しを始めた。歴史への苦手意識が強すぎて全く覚えられなかったヨーロッパの国々の関係性やそれぞれの時代と代表的な作家と作品が、今はなぜかスルスルと頭に入ってくる。年齢を重ねたからなのか、誰かのためだからなのか、自分でもよく分からない。娘よ、私と美術の架け橋になってくれてありがとう。

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