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部屋の片付けが少しずつできるようになった話。

これをやれば気持ちがよい!という終わった後の気持ちを妄想することでできるようになる、かも。なんて、子どもでもできるであろう発見をした。

今日は、ダイニングとリビングの片付けができた。これはわたしの中ではかなりすごいことで、褒め称えられるべき案件である。

実家のじぶんの部屋は、本当に絵に描いたような「汚部屋」だった。ドアからベッドまでの道のみ空いていて、他は洋服やいろんなものが散乱。

わたしの部屋が綺麗だったのは、大学生の頃、失恋した後に「このままじゃダメだ!」って片付けしようと思い立った時だけだ。ゼミの友達にどうすれば片付けができるのか?という議題に対して真剣にアドバイスをもらって、紙に書いてもらって。

1、床に落ちているものを全部ベッドに置く
2、捨てるものを分ける
3、寝るためという目標のもと、ベッドに置いた大量のものを片付ける

こんな感じの書いてもらったメモ通りに片付けを頑張って、全部の床が見えた時は嬉しくてそのゼミの友達に写真を送った。

「これで踵で愛を打ち鳴らせるね!」

当時2人とも好きだったアジアンカンフージェネレーションの新曲だ。新しい良いことが待ってるね!という激励だった。

でもそんな綺麗な部屋も社会人になるころにはお部屋に逆戻り。今も、その友達には「結婚してだいぶ経つけど、部屋は綺麗?だいじょうぶ?」と心配されている。

今は、ちょっと汚い時もあるけれど、だいぶ綺麗な状態に保てるようになったとおもう。夜の散歩をしながらなんでかな〜と考えてみたのだけど、2つ理由が思い浮かんだ。

まず1つ目は、散らかってきたな、片付けた方がいいな、と思った時に「綺麗になった!やった〜!」って思っている自分を想像すると頑張れる、という子どもみたいな理由がモチベーションに気づいたこと。

本当に子どもみたいだけど、結構これは大事。夜のストレッチも「明日の朝体が軽くなる…」って思うとやろうかなと思うし、あとでやろうの方がめんどくさいということをアラサーにして覚えてきたのかもしれない。

それから、2つ目は部屋が汚いことに嫌な気持ちになれるようになったこと。これも大きな変化。汚部屋に在住していた頃は、自分の部屋が汚いことは認識していたけれど、不快な気持ちにはなっていなかった。むしろ、綺麗な部屋だとソワソワしちゃって落ち着かないくらい。

部屋は心を写す鏡、とか部屋の状態=心の状態っていうけれど、それは本当だとおもう。孤独感とか、悩みとか悲しみとかがそのまま部屋の淀みになっていたんだなあと、振り返ると思い出す。実家にいたころよりは確実に先進的には楽にはなっているから、きっとそういうことなんだろう。

そんなこんなで、いま比較的綺麗なダイニングでこれを書いている。やっぱり気持ちがいいね。この気持ちがいい!っていうプラスの感情をエサに、自分をコントロールしてきけたらとおもいます。

週初めで綺麗にできてよかったな。
今週もゆるりとコーヒーとお菓子片手にがんばろ。

気持ちが嬉しいです!ゆるゆるスローライフを楽しんでいきましょう♡