いい女が、なんだ。
追うより追われたい。とか。飲み会の場でよく友達と話す話題。結局最後は「いい女になりたいよね〜」で終わるけど、なんだよ。いい女って。
友達とLINEで恋愛話をしていたときによく出す言葉、「いい女」。いい女になるってことは、いい人間になることに直結する。そんな話を2時間くらい話し込んだりする。
午後9時、ベルリン。タピオカ帰りにロシア人の友達にそのLINEの恋愛話をしてみた。「いい女」、直訳すると'good woman'。そのワードを出した瞬間彼女は「おいちょっと待て」と私を止めた。彼女が言いたいことは大体わかっていた。「いい女性になるってことを、男性と付き合う為の手段にするのは違う気がする。」仰る通りです。女性であること=男性のために自分を変える、というのは人生観として違う。人生、男だけではない。というか、結論から言えば、いい人間になればいい人間がついてくる。その「いい人間」の傘下に「いい男」がいるだけの話。
先に言った通り、「いい女」を突き詰めると結論「いい人間」になる。だっていい女は年収1000万円の男の人を捕まえる人でも、モテる女の子でも、可愛く上目遣いできる女の子でもない。「いい人間」の性別がたまたま女だっただけ(ちょっと、性的嗜好の話は一旦置いておきますね。もちろん、性的嗜好関係なくいい女はいい人間です。)
いい人間、という言葉も人間を良いと悪いに分別しているようで良い気はしないので、先に定義しておくと(こういうところがnoteを読みづらくするんでしょうが、それはよくて)、いい人間とは、自分を追求し続けられる、輝いている人、だと思うのです。つまり、一緒にいたいなぁ、と思える人。これ、何を突き詰めてもそこに終するのではないでしょうか。いい友人。いい両親。いい恋人。全部の形称の「あるべき姿」を取っ払った時、彼らは結局人間なんです。「友人」、「親」、「恋人」:これらの理想像を全て取っ払って、一人の人間として見た時、目指す像は「人間像」であって、友人像でも親像でも恋人像でもないはず。もちろんこれらのカテゴリーにおける理想は人それぞれあるはず。でも一旦軸を社会から自分に戻しましょう?みんなは「友人」として、または「親」として、「恋人」としてだけ生きていきたいですか?他の人の承認に依存して?そうではないはず。親である以前に、恋人である以前に、友人である以前に、自分がある。そこを磨けば自分らしい親なり、友人なり、恋人になれる。近道じゃない?
そんな話。だから、ね?いい女がなんだよ。なりたい人間になればいい〇〇は自然とついてくるんだよ。きっと
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