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正月に将来を考える

正月にすこししみったれているかもしれないが、将来を考える。

私はスタートアップやベンチャー企業で何社かインターンをした経験がある。一貫して思うのは、「エネルギーすごいな」ということだ。関わっているだけで元気にしてくれる力がベンチャー企業とかの幹部にはあるなと思う。ゴールに向かって走っている人は生き生きとしている。

一方で、人はなかなかそんなゴールを見つけられないものである。少なくとも私はどうやらそんな簡単にゴールを見つけられないのだ。見つけられないというより、コミットできないと言った方が正しいのかもしれない。例えば今一つの企業でインターンをすることで、その間にできたこと(例えば物理の相対性理論を深く勉強するとか)ができなくなってしまう。優柔不断な人というのは、こういう「AをしなければできるB」に頭を常に悩まされている。少し話が逸れたが、ゴールを見つけられない人、または一つに絞れないひとは。絶対的な何かに出会えていないのである。でもこれって当たり前のことというか、そんなに簡単に自分のゴールに出会えるものではない。

ここで一つ提案がある。考え方を変えるのだ。「絶対的なゴールがみつからないから絶望的」なのではなく、「絶対的なゴールなどない」と考える。絶対的なゴールなどないのだから今現時点である情報で最善の選択をする。そうれが積み重なって、気づけば立派な城が立っているかもしれない。万が一失敗したら?心配ない。人間瀕死状態になればなんだかんだ這い上がれるものだ。一度底まで落ちてしまえば上がる以外に他はない。

私ごとだが、中学校までは中高一貫の自称進学校に通っていた。周りには医者志望の子が何人もいる。大半の子は対して大志を抱いているわけではないが「親が医者だから」とか「安定していそうだから」とか「選択肢が東大か医学部かしかないから」みたいな理由で進路を決める。合理的だし私もそこまで割り切れたらな、と思う。しかし私みたいに「18歳で進路なんて決めれるかよ何が勉強したいのかすらわかんないぜ」って思う人は消去法で取捨選択すればいいのだ。そうすれば徐々に自分のなりたい自分や興味のある分野に足が進んでいく。こう想像してみてほしい。自分の将来は360度どこにでも進める。大学に進学してもいいし、ドラマーになってもいい、YouTuberになったっていいし、バーでプロのバーテンになったっていい。しかし、どちらかの方向に足を踏み入れてみないことにはその先はみえない。一回バーテンをやってみないとバーテンダーの経験なんてできないのだ、当たり前だが。一つ経験してみる。そして、違うなー、と思ったら、一歩下がる。「あ!これ好きだぞ!」って思ったらまた一歩進む。「少し違うなー」と思ったら90度回転してみる。将来設計は、大きな座標で自分をどこに設置するかの作業だと思う。一つの座標(例えば医者とか、もっと単純に金持ちとか)を設定してそこに直進するのも悪くない。でも原点から時間と手間をかけてたどり着いた将来のほうがなんだか遠い将来納得感が生まれるのではないかなと思ったりする。将来なんて悩むに足りない

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