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あなたを直接笑顔にすることはできないけれど。

普段コンテストに出たりモデルをしたりといったことばかりおもてに出してキラキラしていそうに見えるかもしれないわたしの、地味めな本業の話。
なんてことはない、わたしはそのへんにいるただの会社員だ。


わたしがM1(修士1年)で就職活動を始めようとしたまさにその時、リーマンショックによる氷河期が起きた。
バブル崩壊時の氷河期には到底及ばないが、それでもわたしのひとつ上の年次では卒業直前の時期に内定取り消しが起きたり、混乱と不安が渦巻いていた。


当時、わたしは大学院で国際保健学(国際開発と社会医学、疫学などに総合的に跨り、対象となる国や地域の健康状態のデータを分析して保健政策の提言につなげる分野)を勉強できる研究室に所属していた。

当時の研究といまの仕事でオーバーラップしているところがあるとすれば「国際」というところだけなのだが、それでも、少しでも医学的な分野をかじることは出来た。
医学論文のデータベースにはアクセスし放題だったから、自分の研究テーマにかすりもしないのに主治医が書いた論文を探して読んだりしていた。

ではなぜその分野にそのまま進まなかったのか。

いまでこそCOVID-19の影響で疫学や公衆衛生学が世の中に必要不可欠な分野とされているけれど、わたしが就活をしたリーマンショック時代には世間的にそのような認識は一般的ではなかった(ように当時のわたしには見えた)。
そして自分の性格が研究者に向かないこともM1の前期で既に自覚していた。


リーマンショックでガタガタになっていく社会を見ながら、わたしは「遍く人々の生活や世の中に影響を及ぼすようなことを仕事にしたい」と考えるようになった。
「影響を及ぼす」といっても、決して派手さを求めているわけでも、大きく花火を打ち上げたいわけでもない。
誰の目にも留まらなくてもいい、ただし、いざという時になくなったりストップしてしまったら一人残らず困ってしまうようなことを仕事にして、ひとり心の中だけでドヤりたい(根暗)。

もっと端的に言ってしまえば、医学そのものでなかったとしても、出来るだけ直接的に社会や世の中の生命線をきゅっと握れるようなことに携わりたかった。
そのような分野で働けば、ガタガタになっていく社会をギリギリのところで支えられるかもしれない。
平常時は平常時で、いままで直接お世話になった方達だけではなく、手術費や医療費の出どころとなる税金を納めてくださってきた方達や献血をしてくださった方達などの名前も顔も知らない恩人達に、その分野の仕事を通して間接的にでもわずかでも返せるものがあるのではないかとも考えた。


いま仕事で携わっている分野はあまりにも「正常運転が当たり前」すぎて有り難がられることは基本的にない。
むしろ正常運転でなくなってしまった瞬間に世間様からどちゃくそ怒られるのだ。
何より、あまりにも地味なので、業界に関連する人でない限りはこの分野の存在すら知らないと思う。

入社したばかりの頃は「思っていた以上に地味だったんだけどどうしよう」と愕然としたことも正直あったけれど、入社1年目の年度末に起きた311で、その気持ちも全て吹き飛んだ。
この会社の仕事は、たとえ世の中がどんなことになっても絶対に動き続けないといけない。
地味だと思っていたことこそが、一番重要なのだ。
その瞬間、わたしはこの地味かもしれない分野に携わったことを心の底から誇りに思ったし、就活時の自分の判断は自分にとっては正解だったことを確信した。

今 た ま た ま そうではないだけで、配属される部署によってはリアルに自分自身がエッセンシャルワーカーになるし、社内にはそういう方もたくさんいらっしゃる。
311の時には何日間も社内に泊まり込んで仕事をしている方達がいたし、他の災害が起きた時も、ある朝出社したら突然「今から現地に行くぞ」と言われたりする。
いざという時になくなったら困る仕事に就くということは、そういうことだ。


わたしはお客様のお顔を直接見ることが出来たり、面と向かって「ありがとう」と言っていただけるような仕事をしているわけではない。
わたし自身が日頃随分とお世話になっている美容やエンタメのように、人様のメンタルを爆上げして幸せMAXにしてあげられるような仕事でも、目の前の人を笑顔にしてあげられるような仕事でもない。
誰かの人生を直接照らすことは出来ない。
それでも「誰も知らないところで今日もこっそり世の中を下から支えているのだ」という矜持があると、意外と悪い気分にはならないものだ。


この画像は出張先のシドニーの公園に停めてあったものだ。こういうのも痛車と呼ぶのだろうか。

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