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愛の言霊問題

[ShortNote:2021.1.20]

   
サザンオールスターズの「愛の言霊~Spiritual Message~」はみんな大好きと言っても許されるぐらいにはヒットしたのですが、私は大好きを通り越してこの曲を愛しているので1回聴いたら10回はリピートします。

   この曲の最大の謎はサビの「生まれく叙事詩とは/蒼き星の挿話」で、「叙事詩」は振られたルビ通り「セリフ」と歌っているのに対し「挿話」は「エピソード」とルビが振られているにもかかわらず歌では「そうわ」とそのまま発音されていることです。これはルビの概念を揺るがす問題です。ルビを振っておいて読まない。ルビとは何だったのか。

   10年間サザンを聴き続けて思ったことですが、桑田さんは感性を第一に置いて曲を作っているのかもしれません。というかきっとそうなんでしょう。もちろんコードなどのテクニックや理論的な部分もあるでしょうが、思い浮かんだことを変にこねくり回さずそのままぶつけている気がします。そして前例や規則にがんじがらめにされることなく浮かんだことに挑戦していく自由さがあります。そうでなければ「勝手にシンドバッド」の時「『胸さわぎの腰つき』なんて日本語ないしなあ」とか言って違うフレーズにしていたと思います。そもそも「ない言葉は使わない」という考えがあればこのワードすら思いついていなかったかもしれません。

    ですのでこの「挿話(エピソード)」も、理由や意味は関係なく「歌いはしないけれどもこういうルビを振りたかった」ためではないかと思います。歌に乗せる言葉なので「エピソード」と発音したら歌に入らない詩、「とは」と「そうわ」で韻を踏んでるし、次の行のラストの「ことだ『ま』」の「ま」ともあ段の音で合わせてるので歌では「そうわ」と読むしかない。しかし目で見る歌詞(歌詞カード、テロップ)上でならどんな読み方をしようと自由。歌うための詞はそれこそ「叙事詩」と同じ韻文のような発音や文字数の制約があるけれども、その中にも散文のような自由さを取り込むことに成功しています。これによって歌詞を読んで聴くという楽しみが広がります。

    この「読まないルビ」は愛の言霊だけではありません。ソロ曲の「恋の大泥棒」では英語に日本語でルビを振って歌うのは英語という自由さが発揮されています。「WANTED(おたずね者)」「HAUNTED(闖入者)」のところですね。ただ括弧の中に入れる書き方だとどうも単なる説明のようにしか見えないので、ここはやはり歌詞カードで単語の上に小さなポイントで表記した一般的なルビの体裁で見た方がよいと思われます。読まないのも斬新ですが「英語にルビ振っちゃいけないって誰が決めたんだよ」と言わんばかりのやり方も新しい。

    ちゃんと読む方のルビでいうと桑田さんは「運命」を「うんめい」と歌ったことがないのではないかという仮説をずっと持っていますが、まだ調べてません。いずれやります。

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