会議における反対意見の扱いについて

数年前のツイートで、書きながら考えた記録です。


憲法の条件―戦後70年から考える (NHK出版新書 452) 大澤 真幸 https://www.amazon.co.jp/dp/4140884525/ref=cm_sw_r_tw_dp_x_TVijybK0KAK6Q… @amazonJPさんから

この中で、日本は会議でも全会一致にしたがるという話があって、業務上合意形成に携わることの多い私は、その辺を興味深く読んだ。

反対者が一人でも出ると、会議が硬直しがち。進行役はもちろん、反対する側も勇気を出して発言した手前、踏ん張ってて辛そう。勇気のない人は迂闊に反対できない空気。この本を読んだ後だったので、助け舟を出せた。絶対阻止のレベルじゃないなら決定しましょう。反対意見は対策無いなら議事録に保存。

その時私の頭には、スタートレックのピカード艦長もいた。「これから私は艦隊の司令を破る。反対する者は言え。日誌に記録する。」ピカード艦長も私の先生だなー。

昨日の本に書かれてたことの続き。日本人は全員一致を志向するが、ユダヤ人は全員一致を嫌う。その状態は疑わしい、集団的狂騒の可能性がある、という感覚。私の会議の話は、その直前のエピソードの方が大事だったかもしれない。

商品設計には多くの制約があります。人員、コスト、スケジュール、およびそれらに起因する技術的な制約。理想通りに作れる訳ではありません。リーズナブルな解、といえば聞こえはいいけど、落とし所を探る議論は多いです。あの会議の議論もそうでした。

反対者は、他に解がないことを理解した上で、その解でもいいけど、それでも僕はこの案には賛成できない、と言いました。そういう語順での発言は解釈が難しいのですが、合意は取れていると私は思います。でも、他の人は違った。賛成してもらおうと、押さえつけに入った。全員一致志向が見えた。

反対者は潰されまいと反発します。「この場は議論の場ではないんですか?意見を言ってはいけないんですか?」憤った口調の反撃。司会のリーダーはもちろん、会議室全体が凍りました。サブリーダーとして、私が役に立てると直感しました。

「いいえ、この場は議論の場です。ご意見があるなら伺いたいです。」私が信じる会議の意義を、即座に、きっぱり、まっすぐ目を見て答えること。そしてリーダーに。「この解で良いということなので、合意は取れています。全会一致である必要はありませんよね。」

意見は吟味され尊重され、議事録にきちんと残すことにして、その後は和やかに進行しました。終了後、書記さんが声をかけてくれました。「どうなることかと焦りましたが、冷静で的確な対応でした。皆がほっとしているのが分かりました」。すっごく嬉しかったー!

設計の現場で反対意見が出ることは、むしろ健全で有意義なんですよね。様々なバックグラウンド、様々な技能を持った人間が、熱意を持って、力を合わせて、何かを生み出している状態。素敵なことです。ものづくりの楽しみの一つです。

私が役に立てると直感した背景は、役割以外にもう一つあって。この反対者さんとの信頼関係に自信があった。相手の表情や態度からそう感じているだけなのだけど。ずいぶん前に別件で揉め事があって、また深入り感満載のメールを出したのがきっかけだと思う。

こちらの手の内を見せて、正直に誠実に歩み寄れば、何かいい関係性が得られる。そのことに私は、何か生き甲斐に近い喜びを感じてるんだなと、いま改めて思う。失敗も多いけど、悪いことばかりでもない。そんなに必死で否定しては、もったいないかもしれない。