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海の反対側のまだ知らない街へ

少しずつ、少しずつだけど、旅が日常に戻ってきた。
まだ街中には消毒液とマスクが欠かせないけど、マスク越しに会話もできるようになってきて、程よく人との距離を取りながら、のんびりできるひとり旅も心地が良い。

半年も家にいるなんて初めてのことで、強制的に家にいなきゃいけない今年は、とうに旅欲なんて通り越してしまった。家は家で快適だけど、体に徐々に不調が現れてきて、定期的に旅先の空気を吸わないとおかしくなってしまいそうになる。やっぱり私は旅がしたいのだ。


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そんな私は今、広島県の尾道にいる。ずっと訪れてみたかった街の一つなのに、いつでも行けるからといつもいつも後回しにしていたような気がする。
家から電車を乗り継いで2時間。瀬戸内海沿いで育った私は、いつも島々が浮かぶ海を目の前で見ていたのに、この海の反対側にある街を訪れたことがなかった。

同じ瀬戸内海を望む風景でも、少し位置が変わるだけで全然違う島々の風景になる。
尾道はとても本島と島の距離が近く、船移動も日常だ。日本一短い船旅と呼ばれる尾道と向島は、渡し船でたった5分ほど。なので通勤や通学で当たり前のように使われており、夕方になると、船乗り場付近は自転車に乗った学生や、帰宅する車で道が渋滞している。

きっと私の街の港もこうだったんだろうけれど、進学や就職で徐々に子供は島から離れ、島に住む人口が減り、今では本島と島々を行き来する機会は著しく減ってしまった。

この海沿いの景色を見て、まだ物心もつく前の、幼かった頃の記憶がふっと頭に浮かんだような気がした。


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さらに、尾道は海沿いの街のすぐ後ろを山々に囲まれている。
山の斜面に神社仏閣や住宅が立ち並ぶ様は、まさに坂の街そのものだ。
細い山道を縫うようして古い家屋が並び、息を切らして登った先で振り向くと、見晴らしのいい海と街の景色が望める。
インターネットはもちろん写真もまだなかった時代に、自分の足でこの街にたどり着いた旅人は、きっと深く感動しただろう。
その証拠に、道端にはたくさんの文人や詩人の詩が刻まれている。


尾道に到着して次の日、朝一で尾道のシンボルでもある山上の千光寺まで登ってみた。坂の途中にある神社にも寄りながら、坂道と階段を登り続け、息を切らしながらもなんとかたどり着く。
朝早くてまだ誰もいないそこは、護摩焚きをする僧侶の声が響き渡り、御堂の番をするおばあさんが参拝者を迎える準備をしている。

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「こんなに自由な気分になったのはいつぶりだろう」
大きく息を吸って、山上から景色を眺め、美味しい空気を味わう。ここまで登ってきた疲れも吹っ飛んでしまいそうだ。

日常で呼吸を意識することはあまりない。
だけど素敵な景色を見た時、人は自然と大きく息を吸う。まるでその場の街の空気を取り込むように。
きっと知らず知らずのうちに、旅は私の心も体も整えてくれてたんだろう。


一通り散歩して、ご飯も食べて、また散歩して帰ればあたりはもう夕方ごろ。山からはゴーンと響く時間を告げる鐘の音と、海からは帰る人を運ぶのに慌ただしくなる船の音、街中からは電車の音と自転車で通り過ぎて行く学生たちの声をBGMに、街はだんだん薄暗くなっていく。


世界中を旅してきて、モロッコの迷宮都市と呼ばれる街の道もすっかり覚えてしまった私だけど、生まれ育った場所の目の前に広がる海の先の世界を、今初めて知った。また一つ、新しい世界を知った日の空気はやっぱりおいしい。



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