きっとこんな時間は永遠じゃないから【モロッコ・マラケシュ】
現在地はモロッコのマラケシュ。
すっかり車社会になった現代でも、入り組んだ細い道が続く旧市街の中では
馬やロバが人や荷物を乗せて走っている。
スパイスの香りが漂う迷路のような路地には、まるでアラビアンナイトのようなランプ、絨毯、革靴、食器やアンティークな雑貨を売る商店が所狭しに並び、朝から晩まで活気に満ちている。
夕暮れごろになると広場はさらに賑わい、露店に屋台、あちこちで蛇使いや猿使い、民族ダンスなど様々なパフォーマンスを始める人で溢れ、それを囲むように大きな人だかりができている。
到着したその日は「スノウムーン」と呼ばれる巨大な満月が広場を照らし、
あちこちのモスクから響くアザーンの声が異国情緒をさらにロマンチックなものにさせた。
「あぁ、こんな景色が見たかったんだ。」
旅も長くなってくると、悲しいかな、簡単なことじゃ心が動かなくなっていた。
前は露店で売られている商品の一つ一つに目を輝かせていたし、声をかけてくる人みんなに返事をしていた。今はもう最初の感動にはなかなか叶わないものだ。
モロッコに来て、どの町もそれぞれの味があってよかったけど、やっぱり胸締め付けられるほど心動かされることはなくて。
だから、時々出会う心ときめくロマンチックな街では、映画の中に入り込んだような気分になり、「私が求めていたものはこれだ!」と心がぎゅっと締め付けられる。
そんな街にしばらくいようと決め、何をするわけでもなく、街を散策したり仕事をしにアグラバーのような路地を通ってカフェに行ったり。
仕事も終わって夕方頃になると、夕日で赤く照らされる街を散歩して、賑わう広場を通り過ぎながら適当に食事をとり宿に戻る。
自分でも少し変な気分。
数日の旅行ならともかく、こんな街で普通に過ごしている自分がいて、しかも今回はもう半年以上そんな生活をしているのだ。
これを書いている今も、宿の屋上では見渡す限り月明かりが赤い土壁でできた街を照らしているし、下の中庭からは誰かのギターと笛の声が聞こえてくる。
この暮らしを始める前は、こんな生活に心がときめくほど憧れていた。
でも実際今この瞬間は、少しずつ夢や目標を叶えて来たことや、ゆっくり場所を移動してきたこともあって、場所が変わっただけで生活の延長線上のような気持ちだ。心の中では「特別」だと理解しているけど、これが「旅しながら暮らす」ということなのだろうか。
人生の中で自分で何から何まで選べる期間ってそこまで長くないと思っていて。
子供の頃は親の与えてくれる環境で、数少ない自分が思いつく選択肢の中から物事を選んでいて、30代から50代は仕事や家庭中心になるだろうし、60代からは親の介護も始まるかもしれない。そして気がついた頃に「こんなことがしたい!」と思ったところで行動できる気力と体力は私に残っているだろうか。そもそもその頃にはそんな好奇心も持たなくなってるかもしれない。
そう思うと、今は人生の夏休みのような。夢を見られる期間のような。
そんな気持ちになる瞬間がある。
もちろんやろうと思えばできるかもしれないけど、きっと何事も「生きてる間いつでも」とはいかないと思うし、こんな世界を冒険できるロマンスの期間は、きっと「いつまでも」じゃない。世界だって少しずつ姿を変えていくだろう。
そんな、いつか来てしまう旅の終わりも少し考えながら、今この瞬間を愛しく思う夜。