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怒りの対処法を探す旅

夏も近づき、より開放的になってきた今日この頃皆様はいかがお過ごしでしょうか?

私は最近、我が子に関することとなると感情の表現に問題があると感じてきている今日この頃なので最近、私の暮らしで起こったことをお話しします。

数週間前、我が子が友達と友達の家でTVゲームで遊んでいた時、お互いコントローラーを取り合い、挙句のはてに友達がコントローラーを投げ捨てた後、我が子にに取ってくるように命令し、我が子が素直にそのコントローラーを取りに行く姿を見て、私は怒りが込み上げ、制御ができないほど我が事とその友達に怒鳴りつけました。
特に我が子が友達の横暴な対応に従順な対応が私の逆鱗に触れたようです。

なぜその友達に自分で取りに行くように言わないのか?

なぜそんな対応をする友達とその後も遊びたいと思うのか?

私自身も驚くほどの強い感情が込み上げてきて、我が子は泣きじゃくり、その友達は親が帰ってきても話ができないほど震え上がってしまったようです。

その後、すぐに我が子を連れて家に帰り、怒りが治るまで家の中で物を殴ったり深呼吸をしたりと感情を発散させ、落ち着くようにしましたが、自分のこの突発的な反応に問題があると真摯に受け止め、私のパートナーにもそのことを話し、その後家族同士で向こうの家族と話し合いをすることになりました。

向こうの家族も今までその子がこんなに恐怖に震えたことがなかったので驚いていました。

私のパートナーも今まで私が彼女や我が子に私が家で時たま怒鳴ることがあり、その時は私のパートナーも恐怖を感じる時があると話しました。でも私は暴力を誰にも振るったことがないので信用しているとのことでしたが、私にセラピーなど怒りの対処をする医療手段を取るように家族会議の場で私のパートナーが言いました。

日本では親が暴力を振るうことは未だにありますが、イギリスやオランダでは親でも子供に暴力を振るうと子供は親から切り離され場合によっては親は刑務所に入ることになります。この育ってきた文化の違いも一つの要因でしょうが、私自身も感情をコントロールできなくなってきていることに気づいてきたので、今までの人生で心理療法などは受けたことはありませんでしたが、一歩踏み出すことにしました。



私のパートナーの職場(NATO)の元ボスであるアメリカ人のラットくんにこのことをまず打ち明けてみることにしました。なぜかは私なりの考えですが、日本では親が子供に怒鳴ること自体があまり問題ではないので日本人家族に相談してもイマイチ効果がないと感じる事と、せっかく自分の弱みを打ち明けるなら、最も私の中で私の弱みを見せるべきでは無い人物だと感じる存在(アメリカ人であり、白人男性で、年配であり、軍の経験者でもある私のパートナーの元上司)に一番に打ち明けようと決めました。

予想以上にラットくんは私に親身になり、誰かに助けを求めるのは勇気のある決断だと好意的に私の言葉を受け取りました。そして彼の知る医者の紹介で感情の対処の専門家を紹介してくれました。それと同時に私の一般開業医である主治医に相談して彼の紹介する人物からセラピーを受けるようアドバイスももらいました。なぜならオランダの保険では自分の主治医の紹介する医療従事者のサービスを受けると保険である程度カバーしてもらえるからである。

私の主治医(general practitioner)と面談し、私の怒りの対処について相談してもらい、専門家を紹介してもらうように頼んだところ、彼自身が私の怒りの対処をするコーチとなることになりました。彼は Anthroposophic doctor(人智学) であり、人智学とは、人間の知性が精神的な世界に接触する能力を持っている前提の哲学をもとに、感情や体の問題点などを包括的に捉えて解決を見出そうとする医学です。

私の予想だにしていなかった展開に驚きを隠しきれませんでしたが、誰でも助けになるならありがたいと思い、彼のコーチングを受けることにしました。初めのセッションを受けるまえに彼は私に宿題を渡しました。

各年齢層0−3才、4−6才、8−10才、14−16才、25−50才の成長に応じて友達から虐待(不快な行為)を受けた時に健康的に対応する方法をあげてください

この宿題をこなすのに頭を一週間、フル回転していたら、予約日の前日、ふと朝に気づきがありました。日本の一般的な儒教をベースとした決まりごとにただ盲目的に従うことを拒否した自分がいることです。

  • 年上のものが年下にただ年齢が上だからと偉そうに命令することに怒りを感じ

  • 年下のものがなんの疑問もなく年上のものの言われたことを従順に従う姿に怒りを感じ、

  • 同年代のものも年上にされたことを年下のものに押し付ける行動に怒りを感じ、

  • 年下のものが年上に敬意を払わないことにも怒りを感じ、

  • 両親が私や兄が子供であるからと言葉を真摯に受け止めず軽くあしらい、私達を見下げることに怒りを感じ、

  • 母が私や兄に夫の不満を言い続けるが、自分からその状況を変えようとする勇気がないことに怒りを感じ、

  • 父が自分の保身のために間違っていることを間違っていると言い切れない姿に怒りを感じ、

  • 学校の先生が授業中に居眠りをし、起きた時に生徒たちが遊んでいる姿を見て叱りつける姿に怒りを感じ(この時、授業が終わるまで私はこの教師に説教をし続けました)、

  • 雇い主が雇われのみのものに無理難題を言う姿に怒りを感じ、

この儒教的な概念の延長から、、、、

  • 殆どの日本人が日本の高い地位につく人たちがアメリカ軍に服従しているので、日本でのアメリカの兵隊が犯す犯罪に目を瞑り続ける姿に怒りを感じ、

  • アメリカ兵が日本では日本の法の裁きを受けないことを知った上で米軍基地の周りで犯罪を犯し続ける姿に怒り、

  • 人の立場やステータス、人種や性別の違いで態度を変える人々に怒り、

自分と我が子との関係で怒りを感じたことを振り返ってみて、、、

  • 私が誰か他の大人と会話をしているときに我が子が故意に邪魔をしに来ることに怒り、


根本的に何が許せないのか深く掘り下げてみたところ、

  • 自分の身体や命を大事にしない人々に怒りを感じることがわかりました。

そして怒りの対処法を先日、私の主治医と初めてのセッションを行ったところ、なかなかお互いの理解に食い違いがあり、私が的を得た答えをしていなかったようでしたが、30分の枠の中で彼も親切丁寧にオランダ人ながら英語で説明をしてくれたおかげで私が何を説明すべきなのかがわかってゆき、少し頭の整理もでき、見えていなかったことが見えてきました。

私が主に怒りを感じることは、日本で暮らしてきた中で儒教文化の枠に収めようとする社会的な圧力であることを彼が指摘しました。なので儒教文化で育った人たちから自分の思いに対してどう思うか聞いてみるようにアドバイスをもらいました。さらに、儒教の始祖である孔子は私が怒りを感じるような誰かに上下関係を強要するような考えがあるのかも質問しました。私の論語を昔に読んだ記憶からは礼儀や道関する項目はありましたが、強制的な考えは無かったように記憶しています。これから論語だけではなく六芸(六経)もしくは五経を読み返してみようかと思います。

さらに私にとって思いがけなかった気づきは彼の一つの言葉から生まれました。

社会的な枠組みや誰かから何かを強要させられそうになった時に、

『私はそれに同意しません。私はそれに関わる気はありません』

と言えば良いのではないかとアドバイスをした時でした。

なんとも簡単で明確な言葉で誰かから従わせられようとした時の回答であり、今までその言葉を感情を荒げずに言うことができなかった自分にも驚きを隠せませんでした。

日本の文化のみで成長し成人した自分からはこのような考えが生まれなかったこと自体にも驚きました。私はすでに高校生の時にオーストラリアにホームステイを1ヶ月ほど、29才でフランスに住んだ経験もあり、イギリスにも半年、今ではオランダで5年以上住んでいるにもかかわらず、違う文化圏での暮らしから学ぶことができていなかったことにも驚きました。

日本人として日本で暮らしていくにはこの言葉を使うだけでは解決にならないことも知っています。多くの日本人が金持ちであろうと貧乏人であろうと社会的な立場が高かろうが低かろうが、社会の枠から出るような行動をした時の精神的な外的圧力に耐えなければならないことも知っています。その空気を読まなければならない圧力に耐えきれずに精神的に異常をきたし鬱になるものや自殺するものたち、いじめをして憂さ晴らしをするするものたちも日本の中に多くいることも知っています。

(このことをパートナーに話したときに納得したように、イギリスでも社会の枠から外れたことをしたら生きていくことが多少辛くなったり、サポートが十分に受けられなくなったりなどの制裁はあるが、日本に住む日本人ほどの社会的制裁は流石にないと言っていました。)

何はともあれ、彼とのセッションは続きます。

アシュムシュが私に説明するようにアドバイスした事

  • 自分の持っている道徳観に気づいてください。そうすると孤立した怒りを回避することができます。

  • 友達に不快なことをされたときの子供の健全な反応とはどのようなものでしょうか?

  • 何が悪い反応でしょうか?

  • 親の役割とはなんでしょうか?(私とパートナーの二人の役割)

  • 子供の役割とは?

  1. 0−3歳児

  2. 4−6才

  3. 8−10才

  4. 14−16才

そして大人になった年齢まで

  1. 25−50才


  • あなたは自分で怒りを変えるべきだと思いますか?それとも今のままで良いと思いますか?

  • 怒りを感じた時の良い示し方と悪い示し方を伝えてください。

これが次回のセッションまでの宿題となりました。


彼との会話の中で、私の怒りの根幹としてあげられるものの根本は人間に対する尊厳を欠けた行為をした時、私は誰にでも怒りをぶつけるのだということです。

そこで彼か私に聞きました

『例えば、1才の幼児があなたからどのようにして命の大事さを知ることができるのでしょうか?』

私は、人間であり生き物であれば息をし、心臓を動かす行為で命を繋いでいることは共通しており、そこに感謝の気持ちと喜びを感じ、私がそれを感じていれば言葉に出さなくとも1才の乳児にも何かしらの形で伝わると答えました。1才児ではどんな人間でも言語は理解できないだろうと私は感じるからです。

そして彼はさらに聞きます

『それではシベリアにある木から1才の乳児が命の大事さを感じることができるのだろうか? 言葉もなく伝わるのであれば他の生き物からの伝わると考えるのでしょうか?』

私はみたこともないシベリアの木のことを理解する必要ないと答えました。だが、木も呼吸をし同じように命を感じることはできるとも答えました。

続いて彼は聞きます

『1才の乳児が木の下に横たわり何か大事さを感じるだろうか?私はそうは感じません。』

私は答えます。その通りでしょう。あまり木の例えは理解できませんが、私は経験から少なくとも0才から3才まで子供の行う全てを受け入れようと努力しておりましたがもうすぐ5才になる我が子のさまざまな対応に全てを受け入れきれなくなりましたと。

すると彼はサッと表情を変えて

『そうでしょう、すべて子供が何をしても良いのなら、あなたが怒りを感じる要素など何もないでしょう。次回までに親としての役割、子供の役割はなんなのかを伝えにきてください』

と言い残して握手をして初めてのセッションは終わりました。


家に帰って振り返ってみると、とてつもなく何か使ったことのないエネルギーを消費したことと、自分の内面を誰かに明かすことで自分がとても脆弱な状態であるようにも感じました。

我が子が学校が終わってから私が迎えにゆき、近くの公園で友達と遊んでいる姿を見て、その友達たちも私と仲良く一緒に遊ぼうとしたりと友好的な友人に囲まれている我が子の状況を観察して、私が障害となるべきではないと強く心に誓いました。

私の魂に居続ける「プライド」「尊敬」「尊厳」といった概念が形を変えて違うものになっていくのが感じます

血のつながりから見てみると、母のまともであろうと気品高く高貴な生き方を求めるがあまり、周りの人たちも同じように振る舞うことを期待することでそれが毎回叶わず、疲れ、失望し、人と関わることが億劫になりどんどん孤立化していくのを見てきました。

母の父であり私のおじいちゃんでもその頑なで厳格な性格から人を遠ざけ、可能な限り一人で生きていこうとするのを見てきました。私が海外に住む前におじいちゃんと一緒に暮らしていた時にその孤独を噛み締めて死んでいこうとするおじいちゃんの覚悟を感じました。

私の父は自分の心を押し込め続け、子供に本当の気持ちを打ち明けず自分の殻に篭り続け定年間近での脳卒中からいろんな人と関わることが困難となっているのも見てきました。父としてそれが責任ある姿だと我々に示していたのでしょう。

私の兄は自分の両親との関係をあまり快く思っていない状態をずっと感じ続けているようです。私の理解では、兄は私が実家から出て暮らすようになり、たまに実家に帰るときに兄が家でゲームをし続けているのを見ていた時から兄は実家暮らしに不快感が募っていることを感じていました。兄としては親の期待に応えようと大学で学び、良い仕事に就こうと努力をしていたが大学で知り合った婚約者との関係とその家族の社会的な立場が高いということで自分の役割を果たせると感じ、今では結婚相手の家族の方を優先するようになり、自分の家族や自己の否定感に苦しんでいることでしょう。兄の子供達はその高い社会的な立場の家族のもとで育つので一応は兄にとっては成功かもしれません。

こんな感じで私の血の繋がった家族のプライドの高さから良いことも多いかと思いますが幸せを感じているでしょうか?私はこの輪廻を断ち切る必要はありませんが転生させるためにエネルギーを使うことにしております。

私の子が何か怒りや悲しみを感じるごとにうまく表現できず怒鳴ったり、自分の殻にこもったり、人を避けて孤独になり続けたり、自己否定をして苦しみ続けるような選択をしてほしくないからです。

ラットくんが、私が彼に心の問題を打ち明けた時に言った言葉です
「あなたはここで誰かあなたを助けてくれる人を探すという最初の一歩を踏み出しました。これはとても長い旅路の始まりです。私はあなたがより良い人となるための勇気と意欲を称賛します。誰に会うかということは私には確信がありませんがあなたの主治医が推薦する人がいいと思います。物事をゆっくりととらえて状況に取り乱されないようにしてください。私はあなたに良い波動を送り、この旅路であなたのことを思います。」

長い文章となりましたが最後まで読んでいただいてありがとうございました。


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