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過去の経験があってこその今がある(自己紹介)

初めまして。Mayaです。

こんな見た目をしていますが、割と思考回路は正常です。


真面目に不真面目。


これこそクリエイターの資本だと考えています。
何事も発想力、想像力が生産性を高めると思ってます。

よろしくお願いします。


このnoteは、私の日々の思ったことや考え、価値観だったりを
書き綴る ” エッセイ ” の場にしたいと思います。


日頃インプットの機会はあっても、アウトプットの機会がなかなかないので
ここで発散させていただこうという魂胆です😀ふふふ



では、改めまして自己紹介しますね!


■名前

Maya.

過去活動していた時のものも含めて、名前はいくつかありますが、今はこの名前で活動させてもらってます。


■お仕事

・DTPデザイナー
・ライター
・パーソナルスタイリスト
・カメラマン(写真中心)
・ポートレートモデル
・ナレーション
・司会
・DJ
・雑誌の副編集長

現在いただいているお仕事は上記の通りですが、過去やっていたことや経歴は下記になります。

アパレル店員/商用モデル/舞台監督/脚本家/役者/声優/作詞/ヴォーカル

・趣味の範囲→ イラストレーター/自主ゲーム制作/小説/漫画


■生い立ち

1990.09.13生まれ。AB型。北海道の小さな田舎町に生まれる。
実家は農業を営んでおり、父母そして2人の妹、祖父母、故93歳のひいおじいちゃんひいおばあちゃんと生活していた。

小・中学生の頃は、体型もふくよかで顔もお世辞にも可愛いとは言い難く、クラスの女子や上級生から「デブ」「ブス」「ゴリラ」の罵声は日常茶飯事。上履きに画鋲を入れられた事もある。家庭でも親と祖母がなかなかうまくいっていない時期があり、かなり波乱に満ちた幼少期だった。

高校に上がり、親元を離れて下宿。
心機一転しようと思い、短かった髪を伸ばしたり、化粧を覚える。
演劇部に所属し、部長になる。高文連では優良賞を受賞。

演劇の楽しさを知り、高校卒業後は札幌へと拠点を移し、演劇を一から学ぼうとパフォーマンスの専門学校に入学。
ヴォイストレーニングや演劇の基礎知識、アフレコや脚本の書き方などを教わり、在学中に「劇団イナダ組」やハドソン携帯電話用アプリ「天外魔境 ZIRIA」のCV出演、「のぼうの城」のエキストラ出演なども経験。
夏公演、卒業公演は自身が手掛けた脚本で演出・出演もした。

専門学校卒業後、東京へ上京。親に反対されるも、「いつ失敗するかなんて誰もわからないんだから、今出来る事はしておきたい!」と言い放ち、援助を受けない約束で一人で頑張る事を決意。某声優事務所直属の養成所に特待生として入る。
しかし、1年で居場所はここじゃないと思い、養成所を辞め、飲食業や接客業、派遣など仕事を転々とする。

25歳になり、アパレル店員としての仕事にやりがいを見つけ、ゆくゆくは社員という話も出ていたが、今一度自分の人生や将来の事を考え始める。

そんな悩みを抱えている中、演者として関わったキッカケで知り合った大社長に「うちで仕事をしないか」と誘われ、自分の勘と今後の可能性を感じ、二つ返事で住居を後にし、徳島へ拠点を移す。

現在は、DTPデザイナーとして働いている傍、パーソナルスタイリストや、ポートレートモデル、カメラマン、ライターなど多方面で活躍の場を広げている。
最近では、ローカル雑誌の副編集長も勤め、徳島に新しい風を吹かせようと日々努力している。


こんな感じです!

かいつまんで言うところの
「やりたい事やってる・やらせてもらってる人」です。笑

「やるからには全力投球」なので
摘み食いで仕事をしている訳ではなく、
もらったお仕事はクオリティの高いものとして
仕上げられるようにしています。

プロ意識は健在です。

石橋を叩いて渡るタイプとは真逆と思われがちですが、違います。
石橋を叩いて渡る為にもまずは石橋を作るところから始めているだけです。

適当は適当ですが、何も考えずに生きている訳ではなく、
テストとかでよく出る「適当な答えを選びなさい。」のニュアンスです。


何卒これからわたくしMaya、そしてこのnoteをよろしくお願いいたします!



SNSもやっているので良かったらぜひフォローしてくださいね♪
Twitterは割と更新率高となっています。

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ではでは、自己紹介はこの辺で!
失礼します。

by Maya.

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