大神島、ヒデおばあの晩御飯

懐かしい、ヒデおばあの家

夕方16時10分、大神漁港から宮古島島尻漁港へ行く最終の連絡船が出発しました。

観光客、そして島尻に家がある新婚さんのあきさんは
船に乗って宮古島へ出発。

大神島には島人さんと、私とかのこだけになりました。

食堂に戻り、大神島に来たら遂行しようと思っていたミッションをすることに。

それは
久賀井のヒデおばあちゃんちを訪ねること。

3年前、島の散歩中ににいにいと話をしていたら、
お家に入れてくださったヒデおばあ。
たくさんのコーヒーとお昼ご飯と、
たくさんのお話を聞かせていただいて、
出発の船のぎりぎりまで
お家で遊ばせていただいたのです。

そのヒデおばあ。
変わらず元気にしているかなぁと、
京都のお菓子を持って訪ねました。

小さな小さなヒデおばあのお家

ヒデおばあの家は、集落の上の方。
お家の場所をにいにいに念のために教えてもらい、
小さなお家の前につきました。
建てつけの悪そうな玄関の扉。
もちろん表札もありません。
「多分ここのはず」とそおっと玄関を開けました。

「ヒデおばあさんですか?わたし、3年前に旅行でここに来て、
おばあちゃんにコーヒーやご飯をいただいたものです。
その後、子どもが生まれ、二人でここにきました」

ピンクの黒の花柄の可愛らしい洋服を着たヒデおばあは
3年前と変わらないお茶目な笑顔で私を迎えてくれました。
もちろん3年前のことなんて、とっくの昔にお忘れだと思いますが、
「旦那さんは元気?」
「子育ては大変でしょう」
と、まるで今までに何度もお会いしているかのように、
親しく声をかけてくださいました。

ちょうどおじいさんの晩御飯を終えたところのようで、
「これ、京都から持ってきたお菓子です」
とお土産を渡すと、
「これ食べて」
と、夕食をごちそうになることに。

正直、少し期待していたこともあり、
ここでもかのこはヒデおばあとおじいに可愛がってもらっている間に、
私はお食事を頂戴することにしました。

メニューは島で採れた大根のごまドレッシングのサラダに、
おじいが朝獲ったという魚のあら汁。
そして白ごはん。
どれもこれも美味しいものです。
とくに獲れたての魚で作ったあら汁は絶品。
「お乳あげてるの。だったらお汁はたくさん飲みなさいね」

と2杯もいただきました。

大神島の暮らし

おじいとおばあから、
またまたたくさんのお話を聞かせたいただきました。

おじいはもう92歳になるけれど、もう何十年も漁師だったから、
息子たちに止められているけれど、漁をしているということ。
お子さんたちは宮古島に住んでいて、週に一度、遊びにくること。
お孫さんがサンフランシスコにして、小さい頃は服でも買いなさいと、
宮古島の郵便局からお金を送っていたこと。
かつて漁は島の漁師数十人で行なっていたが、おじいさんは
特殊な網を開発し、一人で数200キロもの魚を捕っていたこと。
最高記録は600キロだったということ。
一度量に出たら、10万円も20万円も稼ぐことができたこと。
漁は魚に教えてもらったということ。
おじいは漁がうまかったから、お婆を一度も働かせたことがないこと。
そして電気や水道がなかった時、島のために尽力したこと。

ヒデおばあは6人子供を産んだこと。
あきぼうのお母さんは10人産んだから、ヒデおばあは少ないこと。
島には赤ちゃんをとりあげるおばあさんがいて、
しまのお母さんはみなそのおばあさんにお産を手伝ってもらっていたこと。

島の暮らしは厳しかったこと。
水が通っていなかった頃、水不足になると井戸の周りに番をして、
水が湧いたら順番に家の人が汲んでいたこと。

何十年も連れ添ったおじいは、いまはお友達みたいな関係であること、
お茶飲みともだち、ご飯を一緒に食べる友達であること。

色々な話を聞かせていただきました。

かわらないヒデおばあ

ヒデおばあの語り口調は音楽のようで、
かわいいおとぎ話を聞いているようです。
おじいは一見怖くて厳しそうですが、
じっと目を見ると、驚くほど丸くて澄んだ目をされていて、
生まれてたての子犬とおしゃべりしているような気分になりました。

通りすがりの観光客を家に招き入れ、
島の暮らしの話を聞かせ、
ご自身の家族、孫の話をし、
そして晩御飯や飲み物をご馳走する。

そんな分け隔てのない優しさに満ちたおもてなしが
今もなお大神島には息づいているのです。

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