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親との距離

2泊3日の帰省のつもりが、台風にひよって東京に戻るのを一日延ばしました。今日はのんびりして移動中は本を読もうと思っていたのですが、新幹線に乗るのを諦めた後、仕方なく仕事をすることにしました。

実家では両親(70代後半)が週末だというのに休む事なくちょこちょこ動いているので、自分だけダラダラできない雰囲気です。自分の休めない性質は生い立ちによるものだったと気付きました。

実家にいる間くらいのんびりしたいのですが、何もしてないと必ず父親に「暇そうだね」と指摘されます。「暇で悪いか」と心の中で叫びながら、いそいそとパソコンを開いて仕事を始めると父は満足そうな顔をしています。昔からこんな感じだったなぁ、と思い出しました。

私はテレビを見させてもらえない子供でした。父がテレビ嫌いすぎて家にテレビが来たのは私が小学校に入ってからだったと記憶しています。そのあとも、テレビを見られるのは父親が帰宅するまでで、父親が車を車庫に入れている間に急いでテレビを消して自室にこもる毎日でした。

私が今エンタメの仕事をしているのは生い立ちのせいかもしれません。ほぼ反動でこうなったということで間違いなさそうです。

昭和の家父長制を絵に描いたような家庭でしたので、誰も父親には逆らえませんでした。現代のペアレンティングから考えると驚くような子供の育て方ですが、うちは極端だったにせよ、当時の父親は程度の差はあれ子供と仲良くしようという態度は見せなかったように思います。

現代の友達のような親子を見ると羨ましく思います。私の父親は古い人間である上にコミュ障なので、自分のことを何も話してくれませんでした。父親の子供の頃の話や若い頃の話は母親から聞いただけで父の口からは聞いた事がありません。いつか聞けたらと思うのですが、照れてしまって聞くことができないでいます。

今はずいぶん丸くなって毎日台所に立つ父親ですが、なかなか距離が縮まらないまま今に至っています。きっと後悔するんだろうなあと思いつつ、ここまで来たらこのままの関係の方がいいような気もするのです。

地元の親友が今年、認知症の父親を施設に入れたという話を聞きました。最後まで抵抗していたけれど、病院っぽい雰囲気の施設に連れて行ったらあっさり折れてくれたそうです。

コロナで面会が一切できないのでそれきり会っていないらしいのですが、実家を片づけていたら父親の大量の日記が出てきたそうです。

彼女は一時期重い病気にかかっていたのですが、その頃に父が書いた日記に涙したと言っていました。何だか映画のような話です。

今回は私も初めて父とエンディングノートの話をしました。両親ともに身体は元気ですがいつ何が起こるか分かりません。実家の片づけも徐々に始めたいと思い、現状把握をしました。自分と弟の学習机がまだ残っていたりして、これを自分で捨てるのかと思うと複雑な気持ちになりました。

子供のいない私は、自分が親になった事がないので一生子供のままです。身勝手な性格は親になれていないからかな、なんて都合よくエクスキューズに使ったりしていますが、もし自分が親になっていたら、親がどんな思いで自分を育てていたのかを少なくとも想像することはできたと思うのです。

そうして想像することで両親との距離も縮まったのではないかと思うと、今の生き方になんの不満もない私も、子供を持たなかったことをほんの少しだけ残念に思うのです。

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