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環境と心理

先ほど、学部の時の友達から急に連絡がきて少し話をした。
なにかその時にすごく引っかかるものがあって、それでこれを書いている。

久しぶりと行っても卒業式以来だから、約半年ぶりの連絡だった。
内容としては、「年末、飲もうや!」的な。
通話時間は1分半ほどでかなり短い会話だった。

その中で言われたのが「なんか最近お前のインスタ、キモいな(笑)」
これが、かなり引っかかった。

辛辣だーーー

確かに、最近やたら頻繁に投稿するようになった。
投稿する内容は景色とか最近読んだ本とか、服とか。

なぜ頻度が増えたかと言うと、おそらく影響を受けているからだ。この半年で出会った人々の。

僕が出会った人々は個性が爆発しているので自分からどんどん発信する。

そんな人たちのことが僕の目には「何者か」に映った。

前に書いたことがあるが、「何者かになりたい」とはおそらく誰もが抱いている感情だと思う。

でも、逆説的に言えば「何者かになりたい」と考えている時点でその他大勢の中の一人だけど。

まぁ、それで、恐らくというか確実にその人たちの影響を受けている。

だから、今までは受け身で「発信されるのを待っていた側」の人間だったのが「発信する側(したい側)」になったというのが自分の解釈である。

恐らく、その友人は僕がこんな感じで文章を書いているのを発見すると
同じように言うと思う。

別にここでその友人に対して文句を言っている訳ではなくて
単純に「あぁ、そうなんだ、仲良かったのにそんな感じに今の俺が見えるのか」と思うくらい。

言われた時は割とショックで何度もその言葉が頭の中で反響していたが、こうやって文章を書いているうちに自分のことを客観的に見る良い機会を与えてくれたなと感じている。

さて、題名の「環境と心理」だがこれはMETAFIVEの曲名から取った。
その曲のPVの中で、個人で動いていた人間が最終的には大勢の波に飲み込まれる。

まさに現実の社会に置いてもそんなことは多いんだろなと思う。

今の自分みたいに
「俺はこんな人間だぜ!!」って外に向かって発信しても
周りの声に流されて、時にはバッシングを受けて、
尖っていたマインドもいつしか丸くなって、最終的にはその他大勢の波に飲み込まれる。
そして、「こんな人生じゃなかったのになぁ」って。

別にマジョリティが悪で、マイノリティが正義とかそんなことを言いたいのじゃなくて。

マジョリティの生き方を好む人がいるのは全然良いし、みんながマイノリティだと(なんか矛盾してる)社会は間違いなく回らない。

ただ、僕はマイノリティ側であり続けたいし、
「あいつ、変わってるな」って言われ続けたい。




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