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初めてのヒッチハイクを失敗した夜に



昨晩、生まれて初めてヒッチハイクに失敗した。


大阪で昼間にイベントに参加していて、その後神戸に移動し、高速バスで広島に行く予定だった。

しかし、イベントが少し押したのととても面白かったことで出発が遅れ、バスを逃してしまった。

僕自身の予定、広島で会う予定だった女の子の予定も狂わせてしまっていたので、ヒッチハイクで向かって、なんとかしようと考えた。

三宮の100円ショップでスケッチブックとサインペンを購入し、一番近いインターチェンジに向かった。

インターチェンジ近くで、どこで待てば車を捕まえやすそうか、どこに向かう車が多そうかをナンバープレートを見ながら考えたりに約30分を費やした。

そして、本格的にスケッチブックを上げ、ヒッチハイクを始めた。

全身を使って、信号待ちしている車ひとつひとつに頼むようにスケッチブックを見せた。


約30分後、疲れて座って休憩していたら、警察がこちらに歩いてきた。

「インターチェンジに入った?」

と聞かれた。入ってない。100mくらい離れた場所で座っていただけだ。

ICで仕事している人と警察がやり取りした後、こちらに戻ってきて、

「ICに入って危ない人がいるって110番押されてん。服装も聞いたんやけど、完全に君のことやねん。」

いや、意味不明。ICどころか、車道にも出てない。

言い訳はしたが、信用もされず、

「色々あると思うけど、ヒッチハイクは危ないからやめとけ。」

と言って、去っていった。

僕の個人情報や所属も聞かれなかったし、警察の人自体は優しく感じたけど、考え方には嫌悪してしまった。

自分の経験の範疇だけで世の中を判断し、指導を頼んだ先生でもないのに人の行動を定義しようとする警察という存在。始めから若者を見下した態度。やっぱり公権力はどうしても好きになれないなあ。

日本では、ヒッチハイクをするだけで警察のお世話になってしまうらしい。


もしかしたら、関西圏では比較的警戒心の強く、ヒッチハイクの少ない神戸という土地柄もあるのかもしれない。その後も止まってくれる車は現れず、結果的に、僕はヒッチハイクに失敗した

そして、広島の友人に謝罪し、帰宅した。


そもそも、ヒッチハイクに興味を持ったきっかけは、旅のコミュニティと関係を持ったことである。ゴールデンウィークに「タビイク」というプログラムに参加、その後「TABIPPO」という団体の学生支部にジョインした。その中には数多くのヒッチハイク経験者がいて、みんなとても楽しそうにそのときのことを語っていた。

お金もかからない、色んな人との出会いがある、遠くに行ける。なるほどなるほど。面白そう。

自分が楽しむことに人生の軸を置いて生きている僕にとって、もってこいだと感じた。


ヒッチハイクをするにあたって、たくさんブログも読んだ。場所ごとにブログを読んで、コツなどを確認した。

でも、できなかった。


なんでヒッチハイクができなかったのかを必死に考えた。考えるほど、自分のできないことの多さ、無力さに病みそうになった。


1つ思いついたのは、「男子大学生1人」という運転手からみたヒッチハイカーの属性である。

そういえば、ついこの前、TABIPPOの友人が

「青森のねぶた祭りに参加したあと、ヒッチハイクで東京まで帰った。10分くらいしか待っていない。」

と言っていた。よくよく考えると、その友人はとてもかわいい女性1人という属性だった。

確かに、男1人で運転していたら寂しいから女の子を乗せて話したい、という需要は非常に大きいだろう。それに引き換え、男子大学生1人、運転手から見ると不安になる。

そもそも男という存在は全人類単位で考えると、存在自体が嫌われることが女性と比べて圧倒的に多い。「中年以上の世代の男性はそもそも存在自体が嫌われているので、若者に助言すべきではない」という考え方もある程度通説として広まっているように感じる。

また、女性から見た「普通」と思う男性は、実際には男性の上位20%だというデータがある。

つまり、男性の下位80%は普通の男性ではないと捉えられている。僕の経験上、同じ人間として捉えられているかも怪しい。

そんな男を車に乗せようと思う人はとても変わり者で、そりゃ何時間も待つわな、と感じた。


でも、男だからヒッチハイクはとても難しい、というわけでもなく、カップルなら全然乗せたい人もいるだろう。男にパートナーがいるという事実は、他人が非常に信頼できるポイントとなる。

例えば、生活スタイルがめちゃくちゃなことで有名な落合陽一氏、ネット芸人のえらいてんちょう氏やイケダハヤト氏は既婚者で、子供もいる。普段何をやっているかわかりづらい彼らだが、そのような点で人間味を感じさせる、人間的に信頼できる人物であることを表現して、大きな社会的信頼を得ている。


まあ、要するに男1人でヒッチハイクはハードモードである。

ただ、僕の周りには男1人でヒッチハイクした人もたくさんいるし、これはあくまで傾向、偏見である。


仮に僕が神戸で乗せてもらったとして、果たしてどれくらいの時間がかかって広島についていたのだろうか。思い返すと全く計画性がなかった。

夕方にヒッチハイクを始めて、その日中に広島に着けばいいかな、と思っていたが、よくよく考えると神戸から広島まで直行しても4時間。だいたいヒッチハイクは×1.5だと言われているので、調子よく行っても6時間。

次の日にはまた広島から帰ってこなければ行けないにも関わらず、無理に広島まで行っても何もできなかったんじゃないかと思う。

小刻みに乗り継ぐ作戦も考えた。姫路ナンバーの車をよく見かけたので、姫路まで行こうとも考えた。これも、仮に姫路までは行けたとして、その時点で広島に行くことを諦めたら、またヒッチハイクで姫路から神戸に帰らないといけない。最悪である。


もう1つ、仮に乗れたとして、僕は運転手の人と上手く会話できたのだろうかという問題がある。

ヒッチハイカーを乗せる理由はただの人助けというよりは、寂しさを紛らわせたい、話したいことが大きいだろう。でないと利害関係が一致しない。

僕はトラックメイカーで、クリエイターで、バックパッカーである。バイトも約10個、サークルや学生団体を4つ経験してきた。たくさんのフリーランスや起業家と会って話してきた。

ごくごく普通の大学生よりは色んなことを経験しているつもりである。


だが、それを上手く話せる自信は全くなかった。

今まで同じコンテキストを共有している人とばかり話しているので、それをいちいち説明していると、マウントを取り続けてしまう。僕なら、マウントを取り続ける後輩との会話はできるだけしたくない。

また、インターンの選考会やイベントで自己分析をたくさんした結果、僕はADHD気質があって、いわゆる「喋れるコミュ障」だということもわかってきた。

話すことに抵抗は全くないが、「初対面の人と何時間も話す」となると訳が違う。しかも、確実に夏のこの時期は高速道路が渋滞する。

相手が不快にならないように話せるとは思わなかった。



最近、「何でも挑戦しろ、リスクを取れ」という風潮がある。挑戦することでもし失敗しても、その挑戦から得られた経験で成長できるというものである。うん、たしかに。

しかし、管理できないリスクはとるべきではないことに最近気付かされた。

ヒッチハイクくらいならそれほど大きなリスクではないのかもしれない。でも、前述したとおりヒッチハイカーの属性やスケジュールによって、リスクの度合いは変化する。

そもそもリスクを管理できていないので、挑戦から経験は得られるものの、準備していった場合と比べて得られる経験は圧倒的に少ない。バックパッカーはあまり持ち物や目的地の情報を入念に調べない傾向があるが、それは何ひとついいことがない。

ヒッチハイクに関しても場当たり的ではなく前々からの準備が必要であっただろう。




神戸の街から六甲山の「山麗電飾」を眺めて、体力は残っていなかったが頭は無意味に回転し、眠れない夜にこんな文章を書いた。

感覚を忘れる前にこの文章が書けてよかった。


また自分が成長してきた轍を振り返るために、このnoteを見返したい。


それではこの辺で。


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音楽を作ったり、旅したりする20歳。noteは思考と活動の備忘録。
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