だから今日も、声高に「好き」を。

ぼくらが声高に叫んできた「好き」が、いつからか暗い夜にあかりを灯すようになった。だれも見向きもしなくても、ただひたすらに、ぐらぐらの、曲がりくねったデコボコの地面にぼくらは「好き」を積みかさねて、じりじりと、その高さを増していったんだ。
だれかの「好き」が、ほかのだれかの「好き」を照らす。反射して共鳴して、お互いを引き立て合う。すこし背の高いだれかの「好き」を、ほかのだれかが見上げる。よし、わたしもやってみよう。そう思って、新たな「好き」を積みかさねる。たくさんの「好き」が、ときにお互いを照らしながら、ときにお互いを刺激し合いながら、すこしずつ、すこしずつ。
「好き」は一人ひとつなんて決まりはないから、いくつもの「好き」をあちらこちらへ伸ばしていく人もいれば、ひとつの「好き」を大切に大切に、まっすぐ伸ばしていこうとする人がいる。横に拡げていこうとする人もいる。そんな、思い思いの「好き」。それがこうして、街をつくるんだ。

街を眺めていると、日々その景色が変わっていくことが、よくわかる。
突き抜けるような「好き」が、ある日突如として眼前にそびえ立つことがある。じりじりと積みかさねてきた「好き」の、その優しい光がぽわっと、ふっと、苦しそうに明滅していることがある。残念ながら、輝くことをやめてしまった「好き」がある。
ぐらぐらの、曲がりくねったデコボコの地面を何とか均そうと、悪戦苦闘している人がいる。楽しみながら「好き」を輝かせる人、「好き」とともに生きる覚悟をした人。要領がいい人も、そうでもない人もいる。「好き」が「苦しい」と同義の人もいるだろう。

そう、この街はみんなが思い思いの「好き」を積みかさねることでその彩りを保っている。
まるで地中から芽吹くように、湧き立つように、次から次へとあらわれるだれかの「好き」。ぼくらが声高に叫んできた「好き」が、街をつくる。新しい「好き」をつくる。
今日もきっと、たくさんの「好き」がこの街に生まれる。ぼくらの「好き」が、そんな新しい「好き」たちを照らす。反射して共鳴して、影響し合う。

この街は、みんなが思い思いの「好き」を積みかさねることで、その彩りを保っている。
だから今日も、声高に「好き」を叫ぼう。
ぼくらの「好き」が、ぼくらの大好きなこの街の、魅力そのものであることを。
きっともっと、ぼくらは誇らしく思っていい。





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