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HSPのわしがカフェインやめたら、途端に体調が良くなったハナシ。

この記事はブラックコーヒーを飲む人を否定しているわけでもなければ、カフェインの存在を悪と定義づけているわけでもない

朝1杯のブラックコーヒーで幸せになる人がいるのもわかる。かつての僕もその1人だったからだ。


僕は朝インスタントコーヒーに砂糖2杯、ミルクを1個入れるという習慣を、3年続けてきた。

通信制高校に通っている時、どうしても朝パっと起きることができず先生に相談した時、「何か朝に1つルーティーンを作っておくと良い」と言われたのがきっかけだった。

「例えばなんですかね?」「そうだなぁ…。コーヒーを飲むとか、運動するとかは?」

家に引きこもり生活で晩年運動不足の僕に、朝から走るみたいな事はとてもできないと思った。


ある朝。試しにコーヒーを一杯淹れて飲んでみた。

それを三日間続けてみると、口の中に広がる苦さが心地よく感じるようになった。

英語の勉強も絵の練習も運動習慣も、何一つ習慣と呼ばれるものが身に付けられなかった僕にとって、朝コーヒーを一杯飲む1時間と言うのは貴重な習慣になった。

今思えば、コーヒーを飲むということ自体にも効果はあったと思うがそれ以上に、朝にコーヒーを飲みながら1時間ゆったり自分のことについて考えている僕……というものに浸るのも楽しかったんだと思う。やばめなナルシスト全開である。


確かに、朝コーヒーを飲むと、1日をシャキッとした気分で過ごすことができた。

ただ、自分の場合には毎日学校に行かなければいけないわけでもないし、どこかに出かけなければいけない用事も日常の中ではほとんどなく、すべてのことを通販で済ませているので、どうせシャキッとしてもそのシャキの使い道はあまりなかったのだが。

つまり、日常の中で特にやる事は無いのに丸一日興奮状態が続き、無駄に体力を消耗するというような期間が3年間続いた。言い方は乱暴だが、体感としてはまさにそんな感じだった。


そんな特に代わり映えのない生活を3年間ほど続けていたある日。朝の生活に異変がもたらされた。

いつものようにインスタントコーヒーのふたを開けスプーン2杯分入れて、それとおんなじ量の砂糖を入れ、お湯を入れてミルクを入れてそのスプーンでかき混ぜて、いつもの調子でそのスプーンをシンクに放り投げる。

朝の1口目のあの苦さに毎朝点数をつけるのが僕の習慣だった。

さて。今日は何点だろうか。最近やっと百点をコンスタントに出すことができてきたんだ。今日も匂いはいい。期待してるぞ…


ゴクリ。


その途端、いつもは感じない位の窮屈さに、僕は思わずコーヒーのカップを口から離した。

あれ?なんだかおかしい。分量間違えたかな?全くおいしいと感じない…


もう1口2口飲んでみるが、感触は変わらない。むしろ、ひと口ごとに胃が重くもたれていくような感覚が僕を襲う。

普段めちゃくちゃに胃腸が強くて胃もたれなんてほとんどしたことのない僕が、まさかコーヒーの1口や2口で胃もたれするなんてありえないだろう。

今日はたまたま淹れ方が悪かったんだ。また明日に期待しよう。

僕はその日カップ一杯のコーヒーを飲んだが、点数をつけることができなかった。



体調の異変が始まったのはその日からだ。

もともと体だけはべらぼうに強く、どちらかと言うと精神のほうに弱さがあったのだが、コーヒーをおいしいと感じなくなったその日から、ゴトリ、と音を立てるように精神が崩れ始めたのだ。

心臓がバクバクして、腕を自分の手で触ると鳥肌が立つ。喉の奥に何か詰まったような息苦しさも感じる。その辛さに隠れてはいるが、胃のもたれ感も尋常ではない。

ルドヴィコ・エイナウディの音楽を聴きながら、体の感覚過敏のあまりの辛さに涙を流す。

自分の体調のあまりの変化に原因を探す気力もなかった。とにかくこの荒波のような不調がおさまってくれることだけを祈って、音楽の波に集中していた。


それでも僕はコーヒーを飲み続けた。こういった不調のときには朝のルーティーンを変えない方が回復は早いだろうと思ったのだ。

しかしコーヒーを一口飲んだ瞬間、昨日の一口目の数倍のもたれ感が、僕のストマックに直撃した。

それはまさに直撃と呼ぶにふさわしい衝撃だった。

そして、一瞬思ったのだ。「もしかしたら自分の不調の全ての原因はこいつ、このカップの中の黒い液体にあるのではないか?」と。

しかし、僕はその説を信じなかった。

だって3年間もこの習慣を続けてきて、いきなり体がコーヒーを受け付けなくなるなんて、そんなことはない。きっとない。

食べすぎた思い出はないけれど、きっと何か自分が覚えていないところで、お菓子でも食べ過ぎたんだろう。

その日も僕はコーヒーを全て飲んだ。


すると、その日は更なる地獄が待っていた。

昨日の体中の感覚過敏や体の不調が、倍くらいになってしまったのだ。

その日は体の感覚過敏にプラスして、胃の重さが特に酷かった。なんだか常に吐きたいような吐きたくないような、そんな感覚。


3日目も同じようにコーヒーを作った。

しかし、僕はある疑念をやっと持った。

もしこのコーヒーが体に悪さをしてるんだったら、1日ぐらい止めてみてもいいんじゃないだろうか?

確かにコーヒーを飲むと一日中しゃっきりして過ごすことはできるが、ここ二日は全くその効果は感じられない。

別に今日は特段予定もないし、ぼやぼやと過ごしていても支障はない。

たった1日、たった1日だけだ。もしこれで体調も精神の崩れも治らないんだったら、素直に大人しく寝ていよう。


そして僕は作ったコーヒーをシンクに捨てた。

そうしたら不思議なことに、その日1日は身体の感覚過敏や、手で体に触れるとゾワゾワする感じが一切なく、胃のもたれもなく。

朝にカフェインを取らない分、通常のシャキッとした感じはいつもより劣るが、別になんら生活に支障はない。

最初はどうしてこんなに自分の体調が良くなったのかわからなかった。


しかし、その日から僕の身体は変わり始めた。

朝はからっきしお腹が空かなくてなんにも食べる気にならなかったのが、朝起きると朝食を欲するようになった。

かなり宵っ張りだったのが、夜の2時になると必ず眠気を覚える。4時とか5時まで起きていると吐き気を覚えるくらいになった。、、まあ普通はそうなんだろうけど。

そして、やっぱりコーヒーを飲むと一口目から胃がもたれる感覚がする。


僕は思い切って、朝のコーヒー習慣をやめることにした。

大体にして、どこに働きに出るわけでも、学校に行く訳でもない僕が一日中しゃっきりして過ごさなければいけないなんてことはないのだ。

自分自身、結構せっかちな方で、わりと1日パワフルに生活したいタイプだから、その時の自分にコーヒーは合っていた。


しかし一転。

コーヒーのない生活は、ゆったりとしてはいるものの、別に心地悪くない。

そうなのだ。思い返せば今までは、カフェインで無理やり体を叩き起こしていたような感覚。

でも、本来の自分は結構ゆったりペースで動く人間で。

そして何よりも、朝にコーヒーを飲んでしゃっきり目が覚めたって、思い返せば別に一日中何もしていなかったのである。

例えば、カフェインを摂って1日行動的に過ごしたり、何か勉強がはかどったりするのであればその意義はあるんだろうが、思えば自分のカフェインを取った後の行動はいわゆる「空元気」や「無駄元気」。元気になったからって別に何をするわけでもなかったのである。


カフェインをやめると、1日ゆったり過ごせるようになった。

体調不良もパタリと止んで、これじゃ正直……精神薬を飲むよりも、カフェインを飲まない方が相当身体には効果がある。


同時にそれは精神にも影響があった。

日々ゆったりと過ごすことによって、体や生活の変化に伴い、精神の方も安定してきた。

小説を書く手も波に乗り始め、別にコーヒーを飲まなくても、いや、むしろコーヒーを飲まない方が安定して小説を書くことができた。



コーヒーを飲まなくなってから約2週間になる。

実は今日の朝、少し気を抜いてしまって、業務用のタピオカミルクティーを飲んでしまった。

冷凍されたタピオカと濃縮された紅茶の素が入っていて、それを牛乳で割ると、タピオカミルクティーになるというものだ。

正直それも、完全に失敗した。ミルクティーだろ?カフェインの含有量なんてたかが知れてる。と思った自分が馬鹿だった。

結果的に、ついさっきまで僕は1時間半ほどソファーで横になって、ただ黙ってYouTubeを見ていないと耐えきれない程の胃のムカムカに襲われた。


自分はHSE型HSPというあまりいないタイプのHSPなのだが、自分の体が変化したというだけではなくて、もしかしたらこの自分の持っているHSPという気質が、カフェインに何かしらの過剰反応を起こしたとも考えられる。

面白い研究があって、パニック障害を持っている人に1日5杯のコーヒーを飲ませると、半数以上がパニックを起こしたという研究があった。

つまり、コーヒーに含まれるカフェイン量にはそれぐらいの刺激性があるということである。


なので、少しの刺激に敏感な人やパニック障害を持っている人、そしてHSPの人は、多少カフェイン類を避ける生活をしてみると何か変わるかもしれない。



僕は今まで、カフェインなんてみんな摂ってるもんだし、そんな大して効果はないんでしょう?と思っていた。

そう思っているものこそもう一度見直してみると、生活が根本から変わってしまうくらい、いい方向に傾くこともあるのだ。


最近の世の中はありがたくて、カフェインレスのコーヒーやノンカフェインの紅茶でも、普通のコーヒーや紅茶と変わらないクオリティが保証されている。

もし自分の生活の中でカフェインが邪魔をしている感覚がある人は、1回やめてみてもいいと思う。

それで生活がいい方向に変わったらなおよし。僕もそれを願っている。


この経験が誰かの役に立てば嬉しい。生活の中で見ればほんの小さなことかもしれないけれど、それが生活のクオリティを上げる可能性があるのだから。


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