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愛してるぞ、フォロワー!

─私の私によるフォロワーのための文章です─


私ほどフォロワーを愛している人間はいないと思う。フォロワーには一生頭が上がらない。フォロワーがいなければ私はとっくにnoteの世界から足を洗っていただろうし、文章を書くことすら諦めていたかもしれない。フォロワーは偉大だ。親の顔より見たフォロワー。

noteでは「いつもありがとうございます🌷」だなんて言っているけれど、心の中はいつだって「愛してるぜ!!!!!」の雄叫びの嵐だ。それはもう野太い声で叫んでいる。そしてスキをもらうたびにその1000000倍くらいのパワーで「スキ!!!!!!!!!」と思っている。

まあ謙虚であることは大事なのだけれど、私はそこまでいい子じゃないんだよごめんねと思いながら丁寧な人のフリをしている。Twitterでは素が出がちだけれども。フォロワーさんを愛していることは事実ですよ。呼び捨てしてごめんなさい。

どこまでキャラブレしても受け入れてもらえるのだろうか。いや有名人でもなんでもないのでそんなこと気にするのも変な話なのだけれど。でもプロフィールに散々なんでも許せる方向けだと書いてきたので、ここには許してくれる人しかいないと信じている。

というわけでダルいノリは続行。


フォロワーが好きだ。私のキャパが足りないせいでいつも様子を見に行けているわけではないけれど、時折過去によく反応をくれた人のことが気になってストーキングしに行ってしまうほどには好きだ。愛が強すぎて気持ち悪いと我ながら思う。

最近読みに行ってないのに急になんだこいつ、とドン引かれていたら申し訳ない。けれどむしろドン引かれるのは私にとってはいい方で(マゾじゃない)、ふと気にかかったフォロワーさんのほとんどは完全にnoteから姿を消してしまっている、というのが現状なのである。

ある時からぱったりと更新が止まったページ。まるでその日から時間ごと止まってしまったかのように、どこか寂しげなセピア色にも見える画面が映し出される。そうかぁ、まあいろいろあるよな、と少しばかりしゅんとした気持ちで帰りを待つ。なんかこの話前にもしたな。

とどのつまり、私のことを見ていてくれてなくても、生存していてくれるだけで安心するのだ。物書きなんて特に気が乗らなくなる率が高い趣味だろうから、長く続けられる人の方が珍しいと思う。私だっていついなくなるかわからない。だからこそ、地道に続けてくれている仲間(と勝手に思っている)を見つけると抱きしめたくなる。

どの人もフォロバして常に見守りたいのはやまやまなのだけれど、フォローが多すぎて一部の記事しか追いきれないのは個人的にいただけない。その上私が一日に追える記事の量も非常に限られている。そんなわけでとてつもない歯痒さを感じつつも、せめていつもありがとうのスキをとマイペースに伺っております(ちゃんと読んでから!これ大事)。


フォロワーにはいつまでもここにいてほしい、本心はそう願ってやまないけれど、書くことは自由だ。強制されるものではない。だから書きたいときに書きに来てくれたらいいと思うし、更新が途絶えたとしてもいつか再開するその日まで、少なくとも私というフォロワー愛にまみれた人間だけは待っているので安心してほしい。

ということは、私も当分ここにいないとせっかく戻ってきても出迎えられなくなるな。任せろ。そこにフォロワーがいる限り、私はここに居続けることができるから。

自分のためだなんだと言いながら、結局は誰かの支えがないと立っていられないのだ、私は。なのでフォロワーがいなくなったらあっさりやめてしまえると思う。それまでの間は、もっといいものを書くために、そしていつでもおかえりが言えるようにここにいるつもりだ。

露骨で痛々しい媚び売り記事だと思われても構わない。ただ私の愛する気持ちに決して嘘はないということだけ、わかっていただければ。いつも傍にいてくれる人にも去っていった人にも、等身大のでっかい愛を。

そしてさらに欲を言うならば、今後とも皐月まうをよろしくお願いいたします。



まう

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皐月まう
ご自身のためにお金を使っていただきたいところですが、私なんかにコーヒー1杯分の心をいただけるのなら。あ、クリームソーダも可です。