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雨、本のページはしんなりとして

いつの間にか梅雨入りしていた、らしい。てっきり台風による湿気が雨を降らせているだけだと思い込んでいたから(間違いではないけれど)、ちょっと拍子抜けした。季節の移ろいは早すぎて、いつも他人事みたいな感覚になる。ついこの間までは桜が咲いていたはずなのに。

とはいえ、つい数日前まではもったりとした暑さのせいで数ヶ月先のことまで思いやられていたから、少し涼しくなってくれたのは嬉しい。湿気で伸びた髪がうねるから、仕事中に髪を下ろすのをやめた。そして次の休みには美容院へ行こうと思う。


しかしこんな雨の休日には、外へ出ることだってできやしない。いくら車でも初心者には雨の運転はきついし、何より雨の日は出かけること自体が億劫になる。車に乗るのは好きだけど、それとこれとは話が違う。

出かけることがままならないから、午前中は大人しく本を読むことにした。

息苦しい小説を読んでいる。親と子のこと、生と死のこと、生きづらさをふんだんに詰め込んだ物語だ。読み進めれば進めるほどしんどくて、それでもどんどん先へ、先へとページをめくってしまう。続きが気になるというよりは、とにかくいち早く救われたくて、物語の中に一筋の光を見つけたくてひたすら読み進めている、という方が近い。

小説はいい。救われても、救われなくても所詮物語に留まれるのだから。そうはいかない現実こそが厳しくて苦しくて、切ないのだ。物語のようにうまくいかないこともあれば、物語よりもうまくいってしまうことだってある。よくぞこんな人生を生きているな、私たち。


そういえば手帳を持ち歩くようになってから、その月ごとに読んだ本のタイトルと作者名をメモする習慣がついた。さらに最近は、その感想をインスタのストーリーにまとめるのがマイブームだ。

高3の夏休み、つまり受験生の命懸けの夏、私はなぜか貪るように本を読んでいた。迫りくる受験のプレッシャーと積み上がる問題集、全てから逃げ惑っていた情けない夏の思い出だ。
私は母の本棚から本を借り、図書館にも通い、たまに本屋に寄っては買うなどして狂ったように本を読みふけっていた。

しかし私はその頃読んだ本のことを、まるで覚えていない。本の内容はおろか、タイトルすら記憶の片隅にも残っていなかった。それは実質読んでいないも同然ではないか、と思う。あの読書は一時の逃避にすぎず、私の血にも肉にもならなかったのだ。

再び本を読むようになった今、あの頃の二の舞にはしたくないと思い、インスタの隅っこでひっそりと記録を始めた。本の表紙の写真と感想文めいたもの、たったそれだけの軽い記録だけれど、これがあるからこそ今度の私はきちんと本が読めているな、ということがわかる。その本の中身を忘れてしまったとしても、私が読んで感じたものから、芋づる式に本の記憶を手繰り寄せることができるのだ。

読み終えた本を閉じて、この余韻を手放さないうちにと手早く記録を済ませる。顔を上げると、あんなに降りしきっていた雨の勢いは弱まってきていた。
これなら今から図書館に向かっても大丈夫そうだ。次に読みたい本のことを考えながら、私は身支度を整えることにした。


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