「経済」は回すものなのか

COVID-19の流行によって様々な社会的影響が生じて以来、「経済を回す」という表現を耳にする機会が増えました。時として、感染症対策と二者択一であるかのように用いられることもありますが、ここではさしあたりその当否には立ち入りません。

「経済を回す」とは「物流(モノ)を回す」とか「貨幣(カネ)を回す」といった表現からなんとなく意味を類推できる表現です。しかし、この例のように「回す」ということばを「流通」のような意味にとると、「経済」という抽象的概念とはなじみません。そこで、この表現(言い回し)ははたしてどれほど分析的に考えられているのだろうか、という疑問が生じます。

そこで、「経済を回す」ことを考える前提として、この表現が使われるようになってきた背景をまとめてみた、というのがこの記事の趣旨です。

(1)「経済を回す」用例を簡単に検索

まず、Googleで「経済を回す」を完全一致検索してみます。結果は約 367,000 件。なお、トップに表示されたのは島澤諭氏の記事「「経済を回す」という誤解」(https://news.yahoo.co.jp/byline/shimasawamanabu/20201006-00201666/)でした。

次に、日本語コーパス「少納言」(https://shonagon.ninjal.ac.jp/)で「経済を回す」を検索すると、0件。検索語「経済」、後文脈「回」で「経済対策のツケが回る」と「(経済の)復」(3件)でした。

国会図書館デジタルコレクション(https://dl.ndl.go.jp/)では11件。一番早い『大阪府環境情報センター所報』23号(2003年)は限定公開なので読めません。次に早い『サステナnew』20(2011年)では、研究者の発言として「高知県の農業施設で使っている原油は約五〇億円だそうです。約五〇億円が中東に流れ、そこの地域の経済を回すのは悪いことではないのですが」と出てきます。これは現在の使われ方に近いといってよいと思います。

(2)新聞記事で検索

ここからは、データベースを使って新聞記事をみてみます。なお、以下に示す記事名・該当箇所については、著作権法にいう「引用」の範囲内と判断したものであることを付け加えておきます。

まずは朝日新聞(聞蔵II)。1999年以前の縮刷版は0件。1985年以後で81件。古い順に並べて早い方の5件を挙げると、

2001年06月15日 朝刊「経済の再建、現実路線へ 北朝鮮・金総書記(世界発2001)」
2007年12月12日 朝刊「(経済気象台)下手な大工で切っては継ぐ」
2009年02月05日 朝刊(青森全県)「定額給付金を三村知事、受領方針 「地元で使って」」
2009年04月26日 朝刊「(経済コラム 補助線)米ビッグ3救済 米国再生は中流層復活から」
2011年06月10日 朝刊(新潟全県)「被災者ら7人入社「復興に貢献したい」 亀田製菓、震災うけ採用」

となります。一番古いのは金正日総書記(当時)の「98年春の金総書記の幹部向け講話」で

「(北朝鮮では)社会主義法則に合わせてどう経済を回すかという計算が全くない。」

というものでした。81件のうち第39件(2020年05月09日 朝刊 長崎全県)以降は、COVID-19の発生以降のものです。2011年6月以降、2020年5月までに34件、それより後、12月6日までに42件となります。

次に、読売新聞(ヨミダス歴史館)で同じことをしてみます。こちらは平成・令和のみ47件。もっとも古いのはの地方選挙の報道(2010.06.25)、COVID-19禍以前に22件、うち7件は2019年という分布でした。

最後に日経テレコン21です。一括検索すると、こちらはさすがに多く102件。もっとも古い記事は「米景気好調どこまで――メリルリンチ、コール氏、国際証券水野和夫氏(けいざい闘論)」(1999/10/04 日本経済新聞・朝刊5面)に

米国は自国経済を回すのに必要な資金を確保するために、世界に貯蓄を増やしてほしいわけだ。

という一文でした。

記事分布としては、次に古いのが2007/11/18, 2010/10/18, 2011/05/03という順番で、COVID-19禍以降に65件(2020年3月に2件ヒットしますが、COVID-19と無関係の文脈。これを加えると67件)。2019年、2018年と6件ずつヒットしました。目についた用例を挙げると、

だぶついたお金で経済を回す(2007/11/18)
日本経済を回すエンジン(2010/10/18)
外食など消費で経済を回す(2011/05/03)
日本経済を回すひとつの歯車(2013/04/24)
文字通り経済を回すお金が増えている(2014/04/22)

などです。

細部に立ち入るときりがないので省略しますが、早い時期には発言(口語)や比喩で用いられた例が多いようです。この点は、これまでに見てきた事例とも合致するといえそうです。

(3)まとめ:どう使えばよいのか

以上からいえそうなことをまとめます。

・元々は口語?

早い時期の用例には会話体が多いです。政治家・実務家あるいは研究者、いずれの発言にしても、具体的状況が念頭にあったり、より解像度の高い理解を共有していることを前提としたりして、その上で簡単に表現したことばである、という可能性があります。ただし、より確実に論証するためには対談・議事録などを丁寧に追う必要がありそうです。

・新しいことば?

平成前半期までは検索にヒットする例がほとんど見当たらず、2010年代に急増した感があります。自民党の政権奪還以降、経済政策が重視されたことと軌を一にするのかもしれませんが、これについては政府関係資料を詳しく検討する必要があります。一つの可能性としては、会議の発言としてよく使われた言葉が次第に書き言葉として一般化した、という筋書きがあるかもしれません。

・視点は?

日経の記事にあるように、機械にたとえて「回す(動かす)」という動詞が出てきた可能性があります。この場合、「経済」とは刺激を与えると「機械的」に反応するもの、という意識が前提になるのだと思います。一方、「回す」主体は、そういう機械を操作できる存在である、となります。その「機械」がそもそも操縦可能である、という前提も存在していることになるでしょう。

機械を動かすことにたとえるのは確かに直感的にイメージしやすいのですが、①現実の「経済」はそんなに簡単に制御・管理できるだろうか、②「回す」主体は結局国民個人ではなく「機械(全体)を見渡せる存在」例えば政治家や行政になるのではないだろうか、という疑問がわきます。実際、早い時期に「経済を回す」という言葉を使っているのは国家レベルの指導者や政治家・経営者です。

敢えて名乗ることもありませんが、当然私は政治家や高官ではありません。とすると、「私が経済を回す」というのは元々の意味や使われ方から言っておかしいということになるでしょう。「経済」にはいくつかの意味がありますが、

人間の共同生活を維持、発展させるために必要な、物質的財貨の生産、分配、消費などの活動。それらに関する施策。また、それらを通じて形成される社会関係(『日本国語大辞典』「経済」)

と考えれば、一市民である私が経済に関わりを持つ場合には、回したり止めたりする主体ではなく、末端で行うとか担うということになるのだと思います。

以上のことが正しいとすると、「経済を回す」というのは、比喩の要素があるために意味内容が曖昧になっており、かつ管理者・操縦者のような立場からの言い方ということになります。新しく多用されるようになったために、社会全体にはまだ共通の理解がないことばでもあります。したがって、考え方や経験が違う人とのコミュニケーション(議論や広報)に用いる場合には、意図した内容が伝わらない危険をはらみます。また、いわゆる「上から目線」に近いニュアンスを帯びてしまうおそれもある、といえそうです(必ずそうなる、ということではありませんが)。

だとすると、目下の政治課題や社会問題に関わって何かを考えるとき、あるいは他の人と話し合ったり伝えたり、誰かが言ったこと・書いたものを理解しようとするときには、漠然と「経済を回す」と言い表したり、「経済を回す」と書いてあるものをそのまま飲み込むよりも、「誰が・どうする」ことなのかを具体的に考えるのがよさそうです。無用な思い違いや論争を避けらるなら、その方がずっと「経済的」でしょう。

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