少年たちの真夏の夜の夢【打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?感想】


楽曲は何度も再生した。しかし本編は?

米津玄師節な切ないメロディラインの主題歌と、シャフトの美しすぎる映像が流れ、否が応でも大作だと思っていた作品。しかし、なんとなくしかし…
私は劇場に見に行くことがなかった。
というのも、先に見に行った友人たちの感想が軒並み「微妙」だったからだ。
ネタバレになるからということで詳しいことは聞かなかったが、「こんな映像と音楽の映画で、どうして面白くないのか?」と疑問に思いつつも、結局劇場まで足を運ぶことをしなかった。
レンタルビデオ屋にも行ったが、「借りて面白くなかったら嫌だな…」という気持ちから借りることはなかった。
悲しいかな、人の意見にすぐ左右される弱い生き物なのだ。

そんな折、今回の自粛期間。
アマゾンプライムで見られることを知り、「打ち上げ花火、本当に面白いのか?面白くないのか?」の謎を解明する時がついに来たと思い、すぐに見ることにした。

結論から言うと、「青春映画で、酷評とは思えない。しかし細かいところが気になる」というものだった。


簡単なあらすじ。
ヒロインのなずなは学校でもひときわ目立つ美少女。主人公典道と親友の祐介は密かになずなのことを気になっていた。そして花火大会日、ひょんなことからなずなと三人で水泳対決をする。勝った祐介はなずなから「花火大会を見に行こう」と誘われる。
典道はそれを知ってショックを受けるが、実はなずなは両親の再婚をきっかけに、この町を脱出…「好きな男との駆け落ち」を考えていたのだ。
少しずつ歯車が狂いながら、少年少女の夏が始まっていく…。


がっつりネタバレしていくので、未視聴の方はご注意ください。




あまりにも美しすぎる背景が、リアリティから離れていく。

シャフトといえば映像美だ。
独特のアングルと演出。そして日本であり、日本ではない独特の背景。化物語もまどか☆マギカも見ていたが、その非現実を特に味わえるのが「学校」だ。
上記2作とも、主人公たちは学生で、学校に通っている描写がある。化物語はありえない量の机と椅子。そしてヒロインのひたぎが落ちてきた、高すぎる吹き抜けの螺旋階段。
まどマギの全面ガラス張りになっている、日本だとまずない教室。広くて長すぎる廊下。
これらがあることで、この作品は「フィクションであり、何が起こってもおかしくない」と視聴者に思わせることができる。
だから変な怪異が現れても驚かないし、少女たちが魔法を使っても驚かないのだ。いちいち冒頭に説明しなくても、これがフィクションだと、無意識に理解できるからだ。

今回も主人公の典道となずなも中学生で、最初は学校のシーンが入る。
化物語を思わせる大きな螺旋階段と吹き抜け。
そして25mと思えないほど大きく綺麗なプール。
単純に美しいのだが…この学校、明らかに他と浮いている。
というのも典道たちが暮らしているのは茂下町という海沿いの田舎の町。
主人公の典道の家は木造のいかにも古い家だし、親友の祐介の家もいかにも田舎の病院という廃れた感じがとても出ている。
しかし、あまりにも学校が綺麗なのだ。
この浮いた学校がフィクションの証なのかもしれないが、しかしこの映画は設定こそフィクションだと思ったが、少年少女たちの感情や関係はとても「生々しく、リアリティを感じた」
好きな子に好きと言えない。好きと言われて恥ずかしくて突っぱねる。まだ友情が大事。そしてその友情も一種の自己満足、自分勝手さを持っている。
そういう少年少女の特有の生々しさがとても印象的だった。
だからここは学校も田舎風の普通の学校にした方が、より少年少女に目が行きやすかったと思う。
映像美が「これはフィクションです」と大きく主張してしまっているがために、リアリティが影をひそめてしまったように思う。



あまりにも美しいヒロイン


そしてなずな達が着ている制服も、あまりにもかわいらし過ぎる。
スカートはフリルで、切れ込みが入っており、リボンもついている。

そしてそれを着ているなずなは、あまりにも美しいのだ。
浮世離れしていると言ってもいい。
水泳部なはずなのに色は抜けるように白いし、男子生徒よりも背も高い。
ちょっと中学生に見えなくて、不安になった。
どこの場面をとっても美しいため、普段と違う浴衣姿やワンピース姿があまり映えなかったのは残念だと思った。
制服姿しか知らない同級生の、普段とは違う服装を見て、ドキドキするのが青春じゃないかね!?うん!(力説)

とにかく美しいのだ。
彼女は両親から逃げながら「水商売しようかな?」「アイドルになろうかな?」と精いっぱい自分を売り込もうとしている。
見ていた私は「どっちもいけそうだなぁ」と思ってしまった。
現実的に考えたら中学生の子がいくらお化粧しようが綺麗だろうが、どうしても内面の幼さというのはにじみ出てしまうものだし、大人にはそれがわかる。
少し逸れるが、「天気の子」の中で主人公の陽菜が水商売をしようとしていたが、弟との生活のため、自ら身体を売ろうとしている姿は痛々しかった。
もちろんなずなはあくまでも自分の想像だけで、中学生という幼い子が、身体を売ることが実際にどれほどつらく恐ろしいものであるということを知らない。
良識ある大人であれば「そんなこと止めて帰っておいで」と言いたくなる。
しかしこの映画のなずなは大人っぽく、とにかく美しくて、そして妖艶だ。
「…年齢偽ればいけるのでは?」と思わせてしまう。
自由奔放な母親の真似をして背伸びしているということらしいのだが、背伸びに見えない。年相応に見えてくる。
唯一年相応に見えたシーンは、母親に連れ戻され、引きずられながら泣いているシーンだ。
あの瞬間だけ、「そうだ、この子まだ子供だったんだ」と思えた。

学校が浮いていることとも繋がるが、映像による説得力が低いのだ。
中学生たちのひと夏の逃避行という青春映画の雰囲気に、浮いているものがちらほら見えるのだ。
そしてそれらがとても美しいからついつい気になってしまう。
シャフトの映像美が、こんな形で影を落とすとは思えなかった。




たくさんの「もしも」は青春の夢


主人公の典道は不思議な玉を使って、何度も何度も「もしも」を繰り返していく。
もしも、自分が水泳に勝ってなずなと花火大会に行けたら?
もしも、追いかけるなずなの両親から逃げて電車に乗れたら?
もしも、駆け落ちが成功していたら?
色々なもしもを繰り返していくうちに、世界はどんどん歪んでいき、丸いはずの打ち上げ花火は平たくなってしまう。
そしてどれだけ行っても、電車が海を走っても、結局なずなと典道は憧れの東京に出ることはできないのだ。
だってもしもはあくまでももしもで、少年の夢に過ぎないのだ。

大切なのは、一歩踏み出すことだ。
二人の本当のゴールは憧れの東京じゃない。
ひと夏の夢を超えて、多くのもしもに歯噛みしながらも、現実を生きて「大人」になることだ。
この繰り返しの夢の中では、少年が好きな女の子を思ってベッドでゴロゴロしているのと変わらない。
この夢を終わらせるためには、自分で直接その子に想いを伝えるしかないのだ。

不思議な玉は最後砕け散り、数多のもしもを見せて散っていく。

ラストは視聴者にゆだねるような形になっている。
私としては典道となずなが、それぞれ一歩踏み出した世界を望んでいるが、果たして…。

ラストのあっけなさに肩透かしをくらってしまったのは本当だが、でも中学生の初恋も家出も、後から見れば儚く、一瞬で散ってしまう打ち上げ花火のようなものだ。
青春のきらめきなのだ。
二人が駆け落ちできたかもしれない。
両親と和解できたか?それとも喧嘩しているか?
典道はなずなに想いを伝えられたのか?
それとも何も言えずにただ別れたのか?
様々な「もしも」を以って、このひと夏は少年の夢であり、青春の一ページ。
このもどかしさやモヤモヤが、この映画の醍醐味なのかもしれない。

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