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私が「みん日」から「でき日」に乗り換えたわけ

私は国内日本語学校で教えるみんなの日本語ラバーです。

そんな私が職場の使用テキストを「できる日本語」に乗り換えました。
その理由をまとめてみようと思います。


私がどれくらい「みん日ラバー」なのかと申しますと・・・

どの文型が何課に入っているかと聞かれたら、秒で答えられます。
人間未習語探知機です。(授業で未習語を使ってはいけないとは思ってません。)
みん日なら、突然の代講も笑顔で対応できます 笑。

たぶん多くのみん日ラバーが同じ特技(?)をお持ちなんじゃないでしょうか?

みん日ならやろうと思えばノー準備でも授業ができるので、楽チンです。

先輩からは

教科書を教えるんじゃない!教科書で教えるんだ!

と教えられ、

授業準備は授業時間の3倍かかるのはしかたがない。それがいい授業をするための必須条件!

と思ってやってきた世代なので、「みん日で話せるようになるのに、何でわざわざ新しい教科書を使う必要があるんだ?」とおっしゃる先生方の気持ちが痛いほどわかります。
…と言うか、私自身もそう思ってました。少なくとも6年くらい前までは。

でも、数年前から様々な問題に直面し、みん日を使い続けることに疑問を感じ始めました。その問題が以下です。

①東南アジアなどから来る学生のほとんどが母国で「みん日」を文法訳読法で学んできている。
②みん日で文型を積み上げていくには、学習者の文法理解力、論理的思考能力が必要。
③みん日で日本語能力を伸ばすには教師の時間と熱意と力量が必要。

この問題を解決するにはどうしたらいいかと考えたとき、「みんなの日本語」をやめるという結論に至りました。

私の関わる学生と「みん日」の限界

 まずは①と②についてです。

 ここ数年、私の関わる学生達に来日時のレディネス調査をすると、ほぼ100%がみん日を勉強したことがあると言います。

 ですが、「勉強した」というのは国によって実に様々で、なぜか本冊は一度も見たことがなく、メインテキストは「翻訳・文法解説書」で25課まで終わってる学生がいたりもします。

 どのような授業だったかと聞くと、ほとんどが先生が文を翻訳し、文法を母国語で説明するのを聞いたりする・・・文法訳読法のようです。それもけっこう中途半端な。

 クラス分けのために、プレイスメントテストを行うと、ゼロスタート同然で始めなければ・・・ということが多く…

 来日の時点で、みんなの日本語2周目というのも稀なことではありません。

 真面目で意欲の高い学生ほど、「もう勉強したのに!」、「こんなのわかっているのに」と不満を言っているようですが、文の意味はだいたいわかっていても、活用は全くできなかったりします。


 活用ができないと、文型シラバス的には「定着している」とは言えないので、下のクラスになってしまうのです。みん日はオーディオリンガルの本なので、正確性が求められます。当然、正確な活用が求められます。

 文型シラバスの教科書を使うことは文型をつみあげていくこと。私の学校では3ヶ月に一度達成度テストをして、到達目標に達していなければ、もう1度同じところを勉強するクラスに移動するルールにしています。


 この方法だと、みんなの日本語1でも後半で達成度テストに合格できない学生が出てくるのです。

そうです。

 国で25課まで勉強したのに、来日時に1課からやるクラスに入れられ、それでも目標を達成できなかった学生はみんなの日本語3周目に入るということです。

 私だったら、うんざりすることでしょう。

 これは私たちのやり方の問題かもしれませんが、「文型シラバス」なのに、文型が積み上がっていなければしかたがありません。みん日とはそういう本だと思っています。

 むしろ、みん日なのに、文型が定着したかどうかに関係なく、時間がくれば中級に上がっていくシステムの中では、来日後数か月で授業について来られなくなる(わからないから寝る)学生がいるのは仕方がないことと思います。

 そして、みんなの日本語Ⅱに入ると、この「繰り返し」が必要になる学生が増えてきます。

 なぜなら、Ⅱは「意志・無意志」、「状態・動作・変化(瞬間)」などの文法概念の理解が必要になるからです。

 みんなの日本語はこういうものを比較し、使い分けを論理的に考え、覚えなければならない教科書です。「どういう場面で使われるのか」と同時に、こういう使い分けを理解するのはけっこう大変なことです。
 
 日本語教師養成講座で文法を教えていても、意志無意志という概念や、アスペクトなどが理解できない日本人もいますので、理解できるかどうかは日本語能力だけの問題ではないと思います。

 中韓の学生中心だった頃は学生達も詰め込み授業に慣れていて、英語等でこのような勉強もしたことがある学生が多く、あまり問題だとは思わなかったのですが、ベトナムやネパール、スリランカの学生と関わるようになって、「理解できない学生がいる」という問題に目が背けられなくなって来ました。

文法概念がわからなくても話せるのでは?

 みん日は自分で練習を工夫しない限り、練習AからCまであまり「自分のことを話す」練習がなく、ひたすら形の練習が続きます。

 会話場面も日本語学校の留学生に相応しくないものもあるので、私は多くの先生方と同じく、みんなの日本語に他の教科書からタスクや会話を探して、取り入れることが多いです。

 あるとき、使い分けの練習ではあまりできていなかったクラスで、「できる日本語」の会話を取り入れたところ、文法的にはあまり理解していなくても、「この場面ではこう言うのだ」という理解だけできちんと言えるようになる学生の姿を目の当たりにしました。

 この時から、文法概念の理解や論理的思考能力が高いと言えない学生たちには文型シラバスより良いものがあるのではないかと思い始めました。

そして、もう1つの理由。
これが最大の理由です。

「みん日」を教えられない先生との出会い

 わたしはこれまでいろいろな先生方と教科書談義をしてきました。

 先生方と話していて感じたのは、「みん日で十分だ」とおっしゃる先生方の多くはご自身も同僚も工夫たっぷりの授業ができる方ばかりで、その教育現場に何の問題も起こっていないんじゃないかということです。

「レベルが高い」「いい学校」で教えていると、みん日の問題に気づかずにいられると言いましょうか。

 決して「いい学校」とは言えない私の学校では「みん日」では学生が混乱し、わからないからとやる気をなくす学生を生み出してしまうことがあるのです。その原因は上記の学生の文法概念理解の限界という問題もありますが、教師側にもあります。

 もし、「いい先生だけ」で授業ができるなら、ちょっと大変ではありますが、みん日にいろんな副教材を入れつつ、場面に合わせたコミュケーションの練習もたくさん入れて、なんとか話せるようにしていけるんじゃないかと思います・・・。

 でも、みんながみんなこういう授業をしてくれるとは限らない。そんな環境だったら?


 私は実名でnoteやTwitterをやっているので、ここに実体験を書くと、個人や団体が特定できてしまいそうですが、あまり追求せず、たとえどこの誰かが想像できても、そっと胸に閉まっていただけると助かります 苦笑。

(本当に本当にお願いしますよ!何とぞ何とぞ。)

 私は数年前にある日本語教育機関の専任になりました(その学校を離れて数年経つので、時効ということで書きます)。はじめの1週間、学校の雰囲気を知るためにそこで教える先生方の授業を少しずつ見せてもらったのですが、そこで目にしたのは・・・

みん日なのに、何の場面設定もなく、手引きにある導入例文を2つ見せて、リピート→その後、意味が入ったかどうかも確認せず、すぐに練習に入っていく先生。
パターンプラクティスもそこそこに、「では、練習Bの2をノートに書いてください」と指示し、学生が書き終わったら、練習が終わったことになっていた先生。
練習Cの絵カードを見せながら、教科書をリピートさせていた先生。学生は絵カードではなく、手元の教科書を見て音読するのみ。

愕然としました。
しかも、こういうやり方をしている先生が半分くらいいたのです。

なんじゃこりゃー⁉︎
こんなんで話せるようになるわけがない。なぜこういう授業になってしまうのか?

 ここで非常勤の先生方とコミュニケーションを重ねていくうちにわかったのはみんなの日本語を十分に使いこなすには「時間」と「熱意」と「力量」が必要だということでした。

「みん日」を教えるには時間が必要

 その学校で働く多くの先生が「主婦」でした。生活の中心は家庭で、日本語学校の仕事は一部でしかありません。

 私が新人だったころは自由な独身で、生活=日本語教育と言っても過言ではありませんでした。あの頃の自分は「食べる」、「寝る」などの生きるのに必要なこと以外の全ての時間を授業と授業準備に使っていました。それでも、勉強のために徹夜したこともあります。

 今、新任でお子さんがいるみなさんにあの生活を要求することはできません。

 それでも、中にはよい授業をしてくださる主婦の方もいらっしゃいます。そういう方がなぜそれができるかと言えば、寝る時間を削ったり、家族に頭を下げたりして、なんとかやりくりしてくれていたのです。日本語教育への熱意や学生への愛情で自分の生活を犠牲にするようなことは本来あってはならないと思います。

 日本語教師としてキャリアを積みたいと思ってくれたお子さんのいるお母さん先生が、子育てしながら無理なく教えるには、準備に時間がかからない体制を作るしかない。そう考えたとき、みん日を私の「理想」どおりにやるにはどうしても時間を使わざるを得ないのではないかと感じました。

「みん日」を教えるには熱意が必要

 先生方とコミュニケーションをとっていくうちに、子育てを卒業したり、長年勤めあげた仕事を退職して日本語教師をはじめ、比較的自由な時間がある方の話も聞きました。

 そういう先生方の多くが、第二の人生を楽しむために日本語を教師をしています。

 私は新人の頃からずっと上手に教えられるようになりたい、日本語教育の知識を増やしたいと思い続けてきましたが、どうやらそういう先生ばかりでないことにもこの学校で気がつきました。

 みんなの日本語は文型シラバスとしてはよくできた教科書ですが、とにかく与えられたものを正確に話すことを目標としています。「自分のことを表現する」練習が少ないので、この本で話せるようにするためにはどうしても、教師が練習を作る必要があります。

 そして、その練習の有無は教師の熱意に支えられています。つまり、教師の熱意がそれほどでもなければ、練習が少なくなってしまうのです。

「みん日」を教えるには教師の力量が必要

  中には時間も熱意もあるのに、なんだかちぐはぐな授業をしている方もいました。

 これは教え方の研修をせねば!!と思ったものの、その頃その学校の教師不足はすさまじく、自分も授業をたくさん持たなければならなかったので、全体的な研修をする余裕がありませんでした。まずは新任だけでも何とかしようと、その学校では全くやったことがなかった研修を始めました。

そこで新任の先生方にとって、文型シラバスの教科書は簡単ではないと気がつきました。

「みん日」の難しさ


 私はみん日で「文型を教える」というのは「形」、「意味」、「使い方(使われる場面、使用制限など)」の3つを教えることだと思っています。

 でも、私が携わった多くの新任教師が「形」を教えることに一生懸命で、意味や場面、使用制限には無頓着になりがちでした。

 それはみん日の練習AやBが動詞や形容詞の接続を練習するものが多いので、仕方がないことと思います。

 意識が「形が作れるかどうか」にいっていると、練習も確認も「形」が多い…。ですが、「形」は意味や使用場面がわからなくても、「言える」のです。

 例えていうなら、私がIPS細胞の論文を読み上げるようなものです。
IPS細胞のことは何も知らない私でも、論文を読み上げることはできます。スピーチ原稿を暗唱すれば、原稿を見ないで音読することも可能でしょう。

そして、山中伸弥教授なら、私の論文音読を聞いて、意味を理解してくれるでしょうが、読み上げている私自身は内容が全くわかっていないということがあり得ます。

多くの新任教師の練習はこんな感じじゃないかと思われます。

 授業中に「ミラーさんに英語を教えてもらいました」と言えるようなった学生が、授業直後に「この本は◯◯先生が教えました。」と言うのを聞いたことがあります。

 それは「人にNをVてもらいました」のドリルをやった後に、

「大丈夫ですか?」 「ええ、ミラーさんに手伝ってもらいました」

とコミュニケーションの練習をしたつもりになっていたのに、この文型と授業直後の実際の場面がつながらなかったからに他なりません。

 経験が少ないうちは「ドリルが言えている」のを見ると、「文型の意味や使い方もわかっている」ような気がしてしまうようです。


 そして、みん日だけを使っていると、このことに気づかずに授業を終わってしまうことが多いのです。

 この問題を解決するには、教師がもっと意味や使い方にフォーカスを当てるべきなのはもちろんですが、教科書自体に意味や使い方の練習が入っていれば、特に意識しなくても、自然に目がいくのではないかと思うようになりました。

「みん日」の難しさその2

 文型の形が同じものに複数の意味があること気がつくにはセンスと勉強が必要では?と思います。

 みん日の「〜ておきます」は事前準備、事後措置、放置の3つが同じ課で教えられます。

 多くの先生方はパーティーや出張の準備をするという場面設定して、準備から導入するんじゃないかと思います。

 あるとき、その学校の中堅の先生が講師控え室でこんなことを言っていました。

 授業中に学生から、「パーティーの前に、ジュースを冷蔵庫に入れておきます」はわかるが、「パーティーの後で、ジュースを冷蔵庫に入れておきます」の意味がわからないと質問があったんですけど・・・。

 ちなみに、前者は冷たいほうが美味しいから、パーティでおいしく飲むための準備として、冷蔵庫にいれる(事前の準備)
後者は冷蔵庫に入れないと、腐るかもしれないし、冷やせば次回飲むときもおいしく飲めるだろうから、冷蔵庫に入れる(事後措置)です。

「事後措置」だと言ったら、わからないって言われたから、辞書で調べてって言ったんだけど、辞書に「事後措置」って載ってないって言われちゃって・・・。

これを聞いたときはぶっ倒れそうでした。「事後」と「措置」なら、辞書にもあったかもしれません。ですが、その意味がわかったところで、使えるようになるのでしょうか??

 また、あるときは存在文と所在文を教えるときに、どちらを教えるときも椅子と猫の同じみん日絵カードを使って教えてしまったために、

「椅子の下に猫がいる」と「猫は椅子の下にいる」はどう違うのか?

と聞かれた先生が「同じ」と言ってしまったという話もありました。

 みんなの日本語は文型をもとにシラバスが組まれていて、例えば「〜ように」は「〜ように(目的)」、「〜ようになりました」、「〜ようにしています」が同じ課で教えられます。


 私たちネイティブ日本語教師はもちろんこれらの文型を使って話すことができますが、子供の頃に自然に覚えてしまったために、説明するとなると1から勉強する必要があります。

 私はそれを勉強するのは当たり前で、それが授業準備だと思っていましたが、みんながみんなこんなふうに思っているわけではないこともその学校で知りました。

 どんな教科書を使うにしても、文法知識が必要なのは同じですが、例えば場面シラバスやCanーdoシラバス、タスクシラバスであれば、たとえ文法知識が甘かったとしても、同じ課に形の似た文型が並んでいることはあまりないので、上記のような説明をしなくても、学生を混乱させることはありません。

 ですが、文法の知識が曖昧なままでみんなの日本語を教えると、学生の質問に答えられず、学生を混乱させ、信用を失ってしまうのです。

 その学校ではクラス替えや担当替え直後に学生から「先生を変えてほしい」というクレームがよくありました。

 これは知識が足りない先生が教えても学生を混乱させない教科書に変えたいと思うきっかけとなりました。

私が使いたい教科書

以上の経験から、私が使いたいのはこんな教科書だと認識しました。

学生が母国であまり使っていない本
学生の文法概念の理解や論理的思考力が低くてもついてこられる本
教科書をなぞるだけの授業をしても、授業の体裁は保てる本
文法知識があまりない教師が担当しても、学生を混乱させない本

 今は上記の学校を離れましたが、みんなの日本語を教えるには教師の時間と熱意と力量が必要なことは変わらないと思っています。

 教科書を変えるにあたって、私が候補にしたのは「みん日」と同じ3Aネットワークの「大地」と、アルクの「できる日本語」でした。(なぜ他は候補に挙がらなかったのかはまた次の機会に)

「大地」は「みん日」と同じ文型シラバスですが、練習やタスクに工夫があって楽しい授業ができそうです。
 

 ですが、やはり「文型導入」を教師が考え、それなりの練習を足したりしなければならないことは同じで、文型知識が足りない教師が担当した場合の問題は残ると思いました。

「できる日本語」は場面が日本語学校の学生に合っていること、教科書をなぞるだけの授業をしても、授業の形になりそうなことが採用を決めたいちばんの理由です。

 また、教え方に関する発信がよくされていること、嶋田先生のセミナーもよく開かれていることから、担当者が勉強しやすいのではないかと判断しました。嶋田先生から教師研修に使えるビデオをいただいたことも決め手でした。

 お付き合いのある海外留学エージェントに聞いてみると、「大地」使用の学校はありましたが、その時は「できる日本語」を使っている教育機関はありませんでした。それから数年たった今は、あるにはあるのですが、文型積み上げでなければ、正確に積み上がっている必要はありませんので、もう達成度テストの結果によっては、同じ範囲をもう1度繰り返すというやり方は止めようと思っています。

 幸い、「でき日」は同じような場面でできることをスパライラル的に増やしていくというコンセプトのようで、復習もやりやすいと感じています。

 こんな理由で「できる日本語」に乗り換えることにしたのでした。

 「みんなの日本語」は時間と熱意と力量のある教師がある程度の文法概念の理解や論理的思考ができる学生に教えるには良い本だと思います。

 でも、私の環境では「みん日」を使い続けることは難しいのです。

しかし簡単ではない

 文型シラバス頭の私が、「できる日本語」を使いこなすには、学び直しが必要です。

 プレイスメントテストや期末テスト作りから悩みに悩んでいます…。
文型頭が染み付いている私にとって、「初級文法の正確さ」という呪縛から抜け出すのは至難の業。気がつくと、文型の達成度を測るテストを作ってしまっています。

 自分の頭の固さが嫌になることもありますが、この挑戦を楽しみ、いっしょに担当する先生方とともに学んでいこうと思います。

長々と書きました。
読んでくださってありがとうございました!

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