錬金術師と狂犬症候群(レイビース・ナイト):15

 朱纏の対応は早かった。錬金術師からの連絡を受けると、すぐさま件の技師に接触を図るよう部下に伝え、そしてその音沙汰がないことをすぐに特定した。錬金術師の悪い予感が当たってしまったということだ。
 1時間も経たないうちに、錬金術師は緋芽と共に事務所に呼ばれてその報告を受けた。予感が的中したことにため息をつく錬金術師の隣で、緋芽は気まずそうに誰もいない空間に視線を送っている。理由は当然、充琉の存在からだった。
「……緋芽。何でそういう大事なことを真っ先に僕に報告しないんだよ」
 朱纏の声色はいつもと変わらない陽気さを保っていたが、それが100%心からのものでないことは容易に想像出来る。身内であっても贔屓せず徹底的に制裁を下す朱纏の秘めた苛烈さを知っているからこそ、緋芽はまともに彼の顔を見ることが出来なかった。
「あたしだって、その……充琉がいることはビックリだったし。どう報告したらいいのか分からなくて」
「普通に報告すればいいだけじゃないか。変に色つけて話されるほうが迷惑だけど?」
「う……」
 ダメ元で口にした言い訳も速攻で打ち返され、緋芽はますます背中を丸めてそっぽを向く。と、隣の錬金術師はそんな彼女を横目で見やると気遣うように口を挟んだ。
「その辺にしとけよ朱纏。底意地悪いな」
「分かったよ、アル君がそう言うなら」
 緋芽を責めたところで、何も事態は進展しない。それよりも優先すべき事象が山積みになっている現状なのは間違いなかったので、朱纏も渋々と言った感じでその言葉を了承する。咥えていた葉巻を灰皿に押し付けて、困ったようにため息と一緒に言葉を吐いて。
「事情は後で充琉本人を呼んで聞いたほうがいいかな」
「あいつがそう簡単に話すタマとも思えねえがな。それに、問題のマキナのメンテをどうするかが先だ」
 充琉のガード役のマキナは相変わらず不在の現状だ。ということは、このまま彼女が事態に介入し続ける場合誰がその安全を確保するのか――店にいつ戻れるかどうかというだけの話ではない。錬金術師の懸念はもっと深刻なものである。
 朱纏の言葉の通り本人を早急に呼び出せるならそうしたいところだが、あの性格からして素直に聞き入れるかどうかが難点だ。
 と、朱纏が腕組みをして渋い顔で口を開く。
「それなんだけどさ、ちょっとアル君にも見てもらいたいものがあるんだよね」
「あ?」
 言って、朱纏は傍に立つ部下に合図を送る。すると錬金術師たちの前のテーブルにタブレットを置き、ある動画ファイルを再生させた。映っているのはどうやら何かの施設の外に配備された監視カメラの映像らしい。視線を逸らしていた緋芽もようやく正面に向き直り、錬金術師と一緒にその動画に注目する。
「さっき連絡をもらってから、急いで調べさせたんだ。例の技師の仕事場近くの防犯カメラなんだけど、そこに映ってる影に覚えはある?」
 朱纏が示したのは、カメラが捉えた映像の中央付近。仕事場の玄関と思われるドアが突然内側から大きな衝撃により吹き飛ばされる。そしてそこからのそりと姿を現したのは――獣のような異形に変貌した裸体のマキナ。
「こいつは」
 見間違うはずがなかった。ここ最近錬金術師の頭を悩ませ続けている『狂犬病兵』の姿そのものだ。ということはすでに件の技師はその凶刃にかかって死んでいるのは間違いないだろう。ではその元となったこのマキナの正体は――
「それ、どうもメンテを任せてたガード役のマキナっぽいんだよね……今調べさせてるんだけど、中にはその残骸らしきものも今のところ見つかってないんだ」
「それって…!」
「ああ、むちゃくちゃマズいんじゃねえのか」
 緋芽の血相が分かりやすく青ざめ、錬金術師も冷静ではあるものの表情に緊張感が走る。『エマ』のキャスト達にあてがわれたマキナは大路と同型――つまり、人間の血液を燃料代わりにして出力を向上させられる機能が備わっているモデルだ。即ちその時点で『狂犬病兵』が人間を襲う理由がもう一つ出来てしまったことになる。ただ近くにいる人間を殺害して終わるのではなく、その血を取り込んで自らのエネルギーに変えることもしてしまう。より手の付けられない存在になってしまったと言っていい。
 かつ、そのマキナは恐らく今も見つかっていないのだろう。何しろこの一件は今の今まで誰も知らなかったのだから。
「緋芽、充琉を止めるんだ。これ以上首を突っ込めばあの子もただじゃ済まない」
 朱纏がいつもの陽気さを押し殺し、冷ややかな声で告げる。緋芽に拒否権などあるはずもなかった。事態を笑って流すような余裕は今の彼にはない。反抗すればいかに身内と言えど命の保証は出来ないだろう。
こくこくと何度も頷き返し、肯定の意を示す緋芽の様子を確認すると朱纏は錬金術師に視線を送る。
「アル君。何かいい方法はない?」
 その意図はもちろん『狂犬病兵』の活動を止める方法についての相談だ。錬金術師なら何とか出来るだろうという信頼故の期待。問いかけられた錬金術師は片手で額を押さえながら、心底憂鬱そうに深い息をつく。
「どいつもこいつも面倒押し付けやがって」
 止める手段があるとすれば、狐からも言われていた発信機だろう。しかし現状ではそれにつながるヒントが何も掴めていない。止めたいのはやまやまだが、そう出来るだけの材料が手元に揃わなければ事態を打開することも出来ない。今の錬金術師にはまだその糸口すらも見えていなかった。
 改めて一体誰がこんな厄介なものを『掘り起こした』のか。製造過程ごと闇に葬られた、禁じられた殺人兵器。データをサルベージするだけでも至難の業だが、そんな忌まわしいものを作るなどまともな技師なら間違いなく拒絶するはずだ。噂レベルだとしてもここまで曰くつきの厄ネタなのだから。

 ――まともな、技師。

「いや……待てよ」
 ふと、錬金術師は何かを思いついたように顔を上げた。そう――技師だ。マキナに関わる何かを作るなら専門の技師が要る。データをサルベージしたところでそれを形に出来る手段がなければ無用の長物だ。つまり件の犯人はハッキングだけでなく技師としての腕前にも精通していることになる。いやそもそも技師自身が実行犯だとすれば、その開発・設計のデータは間違いなくその手元にあるはずで。
「この動画、日付はいつだ?」
「大体2週間ちょっと前かな」
「メンテに出してすぐじゃねえか。まあいい、そしてこの街で『狼男事件』が起こり始めた時期は――」
 警察署で与太たちから渡された事件資料を思い出す。弓魅が襲われたのが3件目という話だったが、その前の2件もそこまで遠い日付の話ではない。この動画が撮影された日付よりは後だったはずで。つまり――これが本当の『最初の事件』。その現場がメンテナンスを行っていた技師の仕事場だったのであれば考えられる可能性は。
「――その技師だ。最初に『狂犬病兵』のレシピを実行した馬鹿はそいつだ」
「ちょ、どういうことよそれ!?」
 隣で素っ頓狂な声をあげたのは緋芽だった。マキナのメンテナンスを依頼された技師が実験台のようにしてマキナを『狂犬病兵』にして暴走させ、挙げ句に殺害されたというのは随分突拍子もない推論だ。しかし錬金術師は動揺もせずに言葉を続ける。
「自分で作った『狂犬病兵』のテスト稼働。暴走してるマキナが人間の区別なんざ出来るわけもなく、皮肉にも自分が殺されてテストは大成功ってわけだ」
「大成功じゃないわよ!本人が死んじゃってどうするわけ!?」
「無駄死にじゃねえだろうさ。そうさせた『依頼人』からすりゃあな」
「『依頼人』が別に……?」
「ダブルブッキングにしちゃ、随分とツケが大き過ぎだよねそれ」
 皮肉交じりに、朱纏が口を挟む。その口角はどこか愉快そうに吊り上がっていた。望むか望まないかでなく、彼の予想通りに錬金術師が事態の解決につながる成果に辿り着こうとしていることに満足してだ。
「依頼っていうよりは、脅しかなむしろ?」
「どっちでもいい。俺にとって重要なのは、そいつの元に足りねえレシピのページがあるかもしれねえってことだけだ」
 過ぎた期待かもしれないことは錬金術師も承知している。だが、今はその可能性に賭けるしかない。動機が何であれ『狂犬病兵』を現代に蘇らせた張本人が特定出来たのであれば、その手元により詳しい製造レシピのデータはあったはず。
 また、同様のものを大量生産出来るだけの製造ラインは真っ当な手段では確保できない。だがその管理を担当している人間がいなくなって野放し状態になってしまえば話は別だ。いくらでも自由に必要なパーツを確保することが出来る。そのラインさえ押さえれば――『狂犬病兵』を止めるための有力な手段も手に入る。
「朱纏、場所を教えろ。すぐに行く」
 これ以上ここで思考を巡らせる時間も惜しい。錬金術師にとっても朱纏たちにとっても、あるいはこの街自体にとっても、この一手は出来る限り早めに打つべきものに違いなかった。

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