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【 第31回 】子どもをあなどることなかれ(2)

◆「思い」は伝わる

前回のコラムで、小牧中学校で行われた3年生への「普通救命講習」のお手伝いをしたことを書きました。
その後、生徒たちが書いたアンケートを見せていただく機会があり、246名分の感想を読ませていただきました。
一言二言の感想ではなく、びっしりと書かれているものが多くて驚きました。
私が思っていた以上に、どの子も講習を受ける意義を感じてくれていることがわかる内容で、とても感心しました。
多くの子どもが「いざという時には、助ける人になりたいです」と書いてくれていて、講習を担当した私たち大人の思いが届いていることがわかり、とてもうれしかったです。
これは、先生方や救急救命士の皆さんが、講習の中で、繰り返し子どもたちに言い続けてこられたからだと思います。
「思い」は伝わるんだ、ということを実感しました。

◆教えすぎない

先の「普通救命講習」の中で、救急救命士の方から聞いたお話です。

消防署では、いろいろな年代の人々に講習を行っています。
「講師をするうえで気を付けていることは何ですか?」とお聞きしたところ、返ってきたのは「相手に合わせて、話し方や内容を考えます。とくに中学生など、子どもが相手の場合は、教えすぎないことが大切です」という言葉でした。

年代によって、それぞれが持っている知識も違いますし、経験も違います。
大人の場合は、多少専門的な言葉で説明してもわかってもらえますし、簡単な説明ですぐに理解してくれるでしょう。
でも子どもの場合は、丁寧に説明しなければ、細かく教えなければ、できるようにはならないのかな、と思っていました。

しかし、救急救命士の方は「教えすぎてはいけない」とおっしゃいました。
お話をするうちに、そこには「自分で考えさせたいから」という思いがある、ということに気付きました。

私たちが、現実の場で心肺蘇生を実施したり、AEDを使ったりする場面というのは、まさしく緊急事態が起きた時です。普通は、パニックになります。
そんな緊張する場面では、誰かの指示を待つ一分一秒も無駄にはできませんから、自分で考えて行動できることが必要になります。
ですから、「やり方」を一つ一つ丁寧に教えて覚えさせることももちろん大切なことですが、それよりも大きな流れを把握させて、細かいことよりもとにかく行動できるように、という講習をされているということなのだと思いました。

◆自分で考えられる子ども

振り返って考えてみると、私たち大人は、子どもたちに「自分で考える」ことをさせているだろうか、という思いがわいてきました。

親は、子どもに苦労させたくないという思いで、何でも先回りして環境を整えてやります。
失敗しないように、いつも「転ばぬ先の杖」を用意してやります。
できないことを、できるようにと教えますが、待ちきれずに、だいたいは代わりにやってしまいます。

先生方はどうでしょうか。

大人が「子どものために」という思いでやっていることが、もしかしたら、子どもが「自分で考える」機会を奪っているのかもしれません。
本当にそれは「子どものため」なのか、実は「自分が手間を惜しんで楽をしたいだけ」なのではないか・・・
時には、少し立ち止まって、そうした問いかけをしてみることが必要かもしれませんね。

◆じっくり待つ

子どもたちが「自分で考えて行動できる」ようになることには、時間が必要です。
すぐにできるようになる子もいれば、何倍も時間のかかる子もいます。中には、最後まできないままの子もいるでしょう。
何でも「早く、早く」を求める風潮があります。できないよりはできた方がいいですし、同じできるなら早い方がいい、というのはよくわかります。
でも、子どもの長い人生を考えた時、今できなくても、いつかできるようになればいいこと(主に生活面)は、たくさんあると思うのです。
ですから、子どもの限界を簡単に決めつけないで、それぞれの子をよく見つめながら、子どもの力が熟すのを、じっくり「待つ」ことができる大人になりたいものですね。

(2015年10月5日)

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2013年4月~2018年3月まで、5年にわたり寄稿・掲載された教育コラムの原稿集です。

保護者の視点で考えていた教育のこと、また先生方へのエールなど、自由に書かせていただきました。


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