2021/12/01(1-p.54)
12月になって、だから何ってこともない。でももう年を越すのか、また1年が始まって、なんとなく、朝無理やり起きないといけない感じに似てる。もっと年の暮れ感を味わいたいのに、もう、あと1ヶ月経ったら問答無用で、
「おっっはよー、ございまーす!」
と「スッキリ」の天の声よろしく、
「朝だよーー!」
「あけましておめでとーございまーーすっ!」
と、また暮を待ち焦がれる生活になるのか。
12月2日、推しが毎日更新してた日記が、1ヶ月で終わった。とくに読んでなかったんだけど、「今日から日記を更新します。そうでもしないとインスタの更新をまったくしないので」と言っていたのがもう1ヶ月前で、もう1ヶ月経ったのか、と思うけれど、気をつけて! そんなことはなくて、この1ヶ月は長かったし、この1ヶ月はいろいろあった。いろいろあったと言っても覚えてないので、何もなかったのとほとんど変わらないんだけど、しかもその上、「もう1ヶ月経ったのか」という実感は今ある実感だから強いのでより1ヶ月経つのが早かったって気持ちを増幅させているんだけど、そんなことなかったはずだ。
11月は1日の日記をサボった以外はちゃんと書いたみたいだ。あら、奇遇ですね! 今月も1日はサボりました。なんか規則性があるのかもしれないけどたぶんない。ただの偶然。pha『人生の土台になる読書』を昨日買った。
人は無意味に耐えられない。
どんなことでもそこに意味があると思いたがる。人間の弱い心は、ランダムな物事の中に、勝手に意味や意図や意思を読み取ってしまう。
これも、84ページで紹介した、人間の脳が持っている「認知バイアス」の一つだ。
つまり、ギャンブルというのは、架空のわかりやすい意味や物語を信じたくなる自分の心との闘いなのだ。
正しいのは確率だけだ。余計なことを考えずに、淡々と確率に従って打ち続ける人間だけが勝つことができる。
それはギャンブルに限らず、仕事でも一緒だ。自分勝手な物語を作らずに、いいやり方を冷静に選ぶ人が、一番勝率が高い。
ただし、まったく物語や意味を持ち込まず、確率だけに従って行動するのは、とてもつまらない作業ではある。
無意味の中に勝手な意味を読み取るからこそ、人はただサイコロを振り続けるだけのゲームに物語性を見出して楽しむことができる、とも言える。
(pha『人生の土台となる読書——ダメな人間でも、生き延びるための「本の効用」ベスト30』ダイアモンド社pp.212-213)
「月の変わり目ってなんか気持ち的に……、ねぇ? だから日記をサボりたくなっちゃうよね」
とは思わない。たまたまそうなっただけだ。ああいいぞ、この、まったく日記を書きたくて書いてない感じ。今電車に乗ってるんだけど、ほんとに時間潰して書いてる感じ。世の中に無駄なものを生み出してる感じがあってすごくいい。この前職場に嫌な電話がかかってきた。僕は、
「あの〜……、日本語分かりますか?(笑)
日本語の問題だと思うんだけど(笑)」
と言われた。
たしかにその顧客とのやり取りでこちらは1つミスをしてしまっていた。それについてはごめんなさいなんだけど、それ以前に先方は、揃えて下さいとお願いしたものが揃ってない、書類にも不備がある、「日本語分かりますか?」と言われたが、書類に書かれてる日本語の方がまずおかしい、また書類が揃ってない、でも急いでるというからこっちも妥協して、多少不備はあるけれどと返信をしたのに、その1個のこっちの間違いを持ち上げていろいろ抜かしてきやがった。さいご、
「ちゃんと仕事をしてくれればそれでいいんで・す・よ」
とほざいて、
「てめぇだよ」
と言いたい。サポートに入ってくれた先輩にもいろいろ言ってたみたいで、殺しはしないけど呪いたい。というか呪ってる。効果は知らない。
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