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三浦春馬はブレーキのないトロッコに乗っていたのか

三浦春馬さんが亡くなってからなんとなく彼の功績をチェックしている人も多いようだ。私もなんとなく見始めたらやめられなくなって今日に至る。

興味深いのは、YouTubeなどのコメント覧で「特別ファンではなかったものの涙がでる。なんと才能豊かな人だったのか。今更だけど日本の芸能界は本当に惜しい人を失くした。」という趣旨のコメントがやたらと多いこと。

同感である。例えば主演したミュージカル「キンキーブーツ」。いろいろなビデオをもう150回ぐらい見ている。見るのをやめられないほど魅力的なのだ。なんという色気、きれっきれの動き、華やかさと強さ、そして決して媚を売らないたたずまい。踊って歌えて、しかも大輪の花のように見る人を惹きつけずにはいられないあの天性の存在感。

彼をおいて誰が「キンキーブーツ」のローラになり得ようか。あれだけ才能溢れるエンターテイナーが今の芸能界に存在するだろうか。実力、美しき容姿、舞台上での存在感をあわせ持つ人間が。

北米在住の私は北米の舞台をいくつも観賞してきたが、三浦春馬は海外のアクターと比べても全く遜色ない。稀有な人材がこの世を去った。

あの才能を捨てるなんてなんともったいないと外野が思うのは勝手だが、本人の絶望は本人にしかわからない。死の直前までその気配さえみせず笑顔の仮面をかぶっていた三浦春馬。彼のその強靭な精神力が仇になった。

関係者が口を揃えて「真面目で努力家、人柄も良かった」と評する。これだけ完璧かつ誠実であろうとする人間が周囲の過度なる期待を担う。そうした状況下で日々背負っているものの重みに押しつぶされない者がはたしているのだろうか。

彼のスケールとは比べものにならないが、頑張りすぎてある日突然ぽきっと心が折れてしまう経験は私もした。ベストを尽くして尽くして、それでもまだ頑張らなければいけないという強迫観念。振り払っても振り払っても影のようについてまわる。

私の場合はブレーキのないトロッコに乗っているような感じだった。ぐんぐんと加速して、先に待ち受ける破滅という名の暗黒を十分すぎるほど察知しながらもどうしようもできない。心の中では必死に「誰か止めてーーー」と泣きながら絶叫しているのだが、その声は決して周りにとどかない。

そんな状態で息も絶え絶えに日常生活をまわしているうちに、壁に激突してついに暴走は終わりを告げる。ある人は重いうつ病で寝込み、またある人は自分の存在を消す。

悲報を聞いて久しぶりにあの恐怖と絶望を思いだし、涙がでた。今もまだ涙がでる。友達でもファンでもないのにこんなことってあるのだろうか。彼の死が私だけではなく多くの人の涙を誘うのは、彼が貫き通した真摯さがどうしようもなく我々の胸に迫ってくるからだろう。

孤独と苦悩とを引きずりながら、ただひたすら荒野を歩き続けていたであろう彼の姿が目に浮かぶ。彼の眼には何が映っていたのだろうか。

その死は悲劇としか言いようがないが、痛いほど理解できる。全てから解放されて、彼は今幸せだろうか。

三浦春馬さん、心からご冥福をお祈りします。

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