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東日本大震災3.11でどのように活動してきたか

東日本大震災3.11を通して自分はどのような活動をしてきたのか。
当時の状況を記録してきたメモをもとに活動記録資料の1つとしてここに残しておきます。

<東日本大震災の前に備えていた防災対策>
・10年前頃(2000年頃)から宮城県の映像メディアで30年以内に大震災が発生すると言われていたため、防災対策を練り始める。
・仙台市の洪水・土砂災害ハザードマップ等を参考に安全と思われる地域の賃貸マンション(仙台市青葉区八幡)に決定。 
・大家に毎月水道代を現金払いする時、筆談で室内の設備状況や地域の様子についてやりとりを重ねていくうちに大家からも地域の情報を教えてくれるようになり、信頼関係が築かれた。
・iPhoneとiPadを購入し、緊急事態に備えて「杜の都防災メール」に登録するだけでなく、SMS、Twitter、Facebook、mixi、Skype、Tango、Facetimeなど情報・コミュニケーション経路の複線化を図る、懐中電灯やメモ手書きなど関連アプリをダウンロードする、電源確保のため複数のノートPCや充電器を満充電する等の備え。
・災害用備蓄品に加えて停電下でも手話や筆談での会話ができるようにソーラーランタンや懐中電灯を用意。

<東日本大震災発生>
■3月11日
 宮城教育大学3号館3階の会議室で手話言語法制定推進事業実務者会議の調査分析の最中に突然iPhoneが振動し、直後に大地震が発生。  
 仙台市から杜の都防災メールの速報が届く。「杜の都防災メール 震度速報  2011年03月11日14時46分頃 宮城県北部で震度6強の地震を観測しました。宮城県南部で震度6弱の地震を観測しました。 宮城県中部で震度6強の地震を観測しました。 念のため、津波に注意してください。(以下略) 」
 宮城教育大学グラウンドに手話通訳資格を有する職員と一緒に避難した後、Twitter等で情報収集。
 SMSやメールは回線やサーバのパンクで不通や遅延。送信したメールは受信まで2時間以上要した。深夜未明に徐々に復旧。
 深夜に各方面から安否確認のメールやSNSメッセージが届く。
 Twitterで被災聴覚障害者の安否や避難状況を逐一報告。
■3月12日 
 TwitterやSMSなどを利用して宮城教育大学聴覚・言語障害教育コース学部生・院生、東北地方の聴覚障害学生、宮城県内の聴覚障害学生支援関係者の安否を確認する。東北地方の聴覚障害学生の安否確認は、PEPNet-Japanや全日本ろう学生懇談会とも情報共有しながら進める。
 Twitterや大家とのメールを利用して、居住地域のガソリンスタンドやスーパー等の状況を収集する。
 入会していた北海道・東北地区聴覚障害教職員懇談会で東北の聾学校の被災状況や必要な支援等について情報共有・意見交換する。
■3月13日
 宮城県ろうあ協会関係者と相談し、Twitterで同会の災害対策用の公式Twitter「@miyagirou」を立ち上げ,管理者として情報を集約・発信。宮城県内の聴覚障害者の安否情報収集やガソリン、聴覚障害関係の支援物資、救援資金などの救援要請を投稿し、同協会事務所に連絡する業務を担う(後に設立された宮城本部にアカウント管理を移行)。
■3月15日 
 聴覚障害学生支援でつながりのあった日本財団国際協力グループと連絡体制を構築し、携帯端末の3か月間無償提供や配布計画(宮城県に50台,福島県に30台と決定)等、聴覚障害者支援に関する意見交換を行う。
 東北地方の聴覚障害学生全員の安否確認完了(全員無事)。
■3月16日
 設立当初からつながりのあったPEPNet-Japan(日本聴覚障害学生高等教育支援ネットワーク)と、被災大学の聴覚障害学生支援についてモバイル型遠隔情報保障システムの活用等について意見交換を行う。
 つながりのあった知人のご紹介で大阪(青年会議所)JCの協力で水、食料、生活用品など関西から聴覚障害者が多数いる被災地へピストン輸送して頂くよう要請。
 この頃から全国各地の聴覚障害者個人・団体等から支援物資の提供やどのような支援が必要かについての問い合わせが来るように。
■3月17日
 宮城教育大学聴覚・言語障害教育コース学部生・院生全員の安否確認終了(全員無事)
■3月18日
 宮城県ろうあ協会内に設置された「東日本大震災聴覚障害者救援宮城本部」との情報共有を開始。
■3月19日
 自宅のテレビやFAXが利用可能に。水道やガスはまだ使えず。
 知人の筑波技術大学教授を通してご紹介頂いた雑誌社オルタナから支援に関する連絡を受け、東日本大震災聴覚障害者救援宮城本部に提供するよう依頼。
■3月20日
 TwitterでSoftbank孫社長(@masason)にiPhone50台、iPad10台の無償提供を要請。要請が受け入れられ、21日に要請通りの台数が届く。(株)プラスヴォイスが技術協力したいとの申し出があり、各端末の初期設定、マニュアル作成、利用者への利用支援窓口、利用者への配布等を行う。
 以前から聴覚障害学生支援でつながりのあった宮城県内の手書き要約筆記・パソコン要約筆記の各代表に呼びかけ、みやぎ難聴協内に難聴者・中途失聴者を中心にした「災害対策宮城本部」を設立。任期付きで本部長を担当。メールやFAX等による被災アンケート調査の作成・実施、調査結果をもとにした救援体制(訪問支援活動など)の構築と救援指揮を行う。
 宮城県内の被災大学の障害学生支援コーディネーターと連絡し、モバイル型遠隔情報保障システムによる支援の要望の有無を確認し、PEPNet-Japanに支援を依頼。
■3月27日
 平時から活動していた聴覚障害児の家庭訪問支援を再開し、聴覚障害児の状態把握や心のケアを行う。
■4月8日
 みやぎ難聴協会員全員の安否確認終了。
 避難所で過ごすある家族から相談依頼があり、対応。日本手話学会を通してつながったCoda研究者の方々や本部関係者と情報共有しながら県内のCodaとご家族への支援体制を検討する。
■4月15日
 被災聴覚障害者に対する心のケア・支援に関する研修を開催。
■4月18日
 宮城教育大学で被災した聴覚障害のある乳幼児(0~3歳)とご家族の集いを主催。
■4月27日
 日本財団RODAプロジェクト助成金を獲得し、「災害対策宮城本部」の救援活動を展開する。
■4月30日
 以前からお世話になっているNHK教育ディレクターと被災地の聴覚障害者の現状や生活再建の課題等について情報交換、河北新報社に被災聴覚障害者の状況について情報提供。
■5月以降
 宮城教育大学が授業を再開することになったため学生指導・学生支援に専念すべく、災害対策宮城本部長の任期を終了。