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相模原障害者殺傷事件の「死刑判決」。これは、何かの終わりなのか、それとも、何かの始まりなのか。

私は、横浜地方裁判所での判決の様子をWebで確認し、「死刑判決」になったことを知った時は、本当にこの判決でよかったのだろうか、これで終わりなのだろうか、という動揺や戸惑いを感じました。もちろん被告人が起こした行為は到底許されるものではありません。裁判所は、主文を最後に回し、判決理由を先に述べており、上記の判決が出された数時間後に判決理由の全文が公開されました(【判決全文】植松被告に死刑判決「計画的かつ強烈な殺意に貫かれた犯行」 [公開日時 2020/03/16 19:45])。この全文を読んでいるうちに、聴覚障害当事者として様々な思いが胸に去来し、ある時は障害のある子どもの教育に関わる専門家としての自分自身の仕事を省みたりしました。今回の判決をきっかけに一度、現時点での考えをまとめてみます。

まず、障害当事者としての様々な思い。相模原事件をめぐって「優生思想」がキーワードとなって障害当事者や専門家を交えた議論が幾度もなされてきました(例えば、現代思想2016年10月号「緊急特集 相模原障害者殺傷事件」)。特に、他者による介助が必要とされる身体障害当事者の方々からは、相模原事件が起きた時は「ショックを受けた」「私たちの存在を否定された」など痛みや強い悲しみが込められた声が多く出されていました。そうして障害のない者による「優生思想」の問題について改めて問い直すようになっていきます。聴覚障害当事者である私は、そうした身体障害当事者の方々の声には非常に共感・理解できますし、「優生思想」についても考えねばならないと同意しています。ただ、相模原事件が起きた時の私の胸に去来したものは少し違うものでした。どちらかといえば子ども時代に何度も経験した「自分の存在を無にする」とまるで自分の身体と心が解離したような感覚に襲われました。これは語っても良いものなのかためらうほどの内容だったので、当時はあえて言わないままでしたが、今回の判決をきっかけに語ってみようと思います。

まず、そうした感覚を持つに至った背景から語ります。聴覚障害当事者である私は、子どもの時から聴者が多数の社会(マジョリティ社会)で石を投げられたり補聴器をいじられたり授業で発表する順番をとばされたりとあからさまな善意と悪意に満ちたいじめや差別を受けてきました。耳が聞こえない者は私一人だけであり、マイノリティでした。「マイノリティ」とは、障害の有無などに基づいて区分されうる社会集団であり、かつその社会において集団構成員が絶対的に少数となるものだけではありません。むしろ、「集団のなかで、異質な者、普通でない者、いるべきでない者とみなされ、差別や排除の対象とされる人々のカテゴリー(石川准, 1999)」といえるものです。そうした集団において通常の成員とされる者は「マジョリティ」です。ですから、マジョリティからあからさまにいじめや差別をされていなくても、目の前で音声で何を話しているかわからない世界を日常とし、そこに私を無頓着に置き続けることは、「(この世界に私は)いるべきでない者」と認識させるのに十分すぎるほどの効果をもたらしました。この世界で自分も話したい、自分も皆と笑いたいという欲望がどうしても暴れてしまい、叶わない現実との葛藤に苦しんだ末に、そうした欲望との対話を自分から幾度も解離させる努力をしました。これは、自分がやはり納得して生きたい、そのようになってみたいという欲望を持つ主体としての私を何度も容赦なく切り刻むことであったといえます。何度もそう繰り返して。当時の私はこれを「精神的自殺」と名付け、自己調整の十八番のように何度も行いました。現在も身体の奥まで沁み付いているように感じます。

ところで、マイノリティの一属性として「スティグマ」というのがあります。スティグマの意味は「烙印」ですが、現在は「権力の下で、ラベリング(レッテルを貼ること)、ステレオタイプ(固定観念)、分離、社会的ステイタスの喪失、差別、この5つが、一緒に起きている状態」という定義があります。さらに、東京大学の熊谷晋一郎先生によれば、そのスティグマには3つのスティグマがあると言います。私自身の当事者体験を3つのスティグマと関連付けて捉え直すと、次のように言うことができると思います。当時は、聴者のように話せることや聴こえることを「正常(あるいは規範)」と捉えて疑わない聴覚障害教育の思想がマジョリティによる「公的スティグマ(非当事者が当事者に対して持つもの)」として蔓延し、かつマジョリティがそう話したり聴こえることができない子どもたちの人権を保障する法律を整備したり障害のある者は特殊学校に行くものだという教育制度や不文律の価値観という「構造的スティグマ(規範やルールや法律や価値観など、社会に埋め込まれている様々な構造的な要素に宿っているもの)」もかぶさってくることで、私は聴覚障害があるから「いるべきでない者」と自分自身にスティグマを持つようになる。これが自己スティグマ(当事者が当事者に対して持ってしまうもの)です。先にも言ったように、これはマイノリティしか持ちえない一属性です。スティグマには、私はマジョリティに排除、あるいは殺されてもしかたのない存在なのだというところまで思わせるほどの力があります。ですから、相模原事件が起きた時は、マジョリティからまたいじめられるかもしれない、差別されるかもしれないといった恐怖や不安よりも、「精神的自殺」をしていた当時の、殺されてもしかたのない存在なのだという、まるで自分自身の存在に痛みや感情を全く感じないような感覚の方が強くよみがえってきたのです。それほど自分が自分を殺すことに全エネルギーをかけて生きてきたからなのだろうと思います。これは、身体を動かすことができる聴覚障害当事者が経験する固有のスティグマ体験なのでしょうか。

もっと言うと、そういう自己スティグマを持つと、私がいる世界が良くなるためには自分がいなくなった方がよいということも真剣に考えてしまうわけです。私がいなくなればいつも説明や通訳をしなければならない友達はめんどうくさくなくなって喜ぶだろう、先生も楽になれるだろう、と中学校時代に何度も思い詰めて、しかもそれは間違いではないと思うほどでした。本当に自殺しようと考えたこともあります。これに関して、被告人の判決理由全文のある個所を読んで感じたことがあります。判決理由全文では、「重度障害者は不幸であり、その家族や周囲も不幸にする不要な存在であると考えるようになった」「重度障害者は不要である、重度障害者を「安楽死」させられる世の中にしなければならない、…(略)…。そうすれば無駄な金がかからなくなって、ほかのところに金が使えることになるから、世界平和につながるといった内容の発言をするようになった」と述べられています。私のような障害者がいなくなれば世の中は良くなる。そう読んだ時に、ふっと私が中学校時代に毎日考えていたことと重なっていると感じたのです。被告人の言動は明らかに「優生思想」に基づくものであり、それは当然なくなさなければならないものです。ただし、そういうときの「優生思想」とは、障害のない者が障害のある者に対して持つもの、あるいは、障害のある者が障害のある者に対して、というふうに誰かが他者に対して持つというイメージだろうと思います。私も、高校時代に、自分と比べて音声を話せない、読話ができない同年代の聴覚障害当事者に対して「優生思想」とまではいきませんでしたが、マジョリティ社会に適応できない人はだめだよというふうに結果的に公的スティグマを持ってしまったことがあります(Note記事参照) 。ところが、他者に対するそれだけでなく、中学校時代の私の場合は、自分自身に対して「優生思想」を抱き、自分自身を殺そうと思い続けていたわけです。自分を殺すために実行できる身体機能を備えているわけですから。

ですから、障害のある者が自分自身に対して「優生思想」を持つベクトルもあるのではないか、と言いたいのです。私にラベリングした「精神的自殺」は、「優生思想」を体現した行動です。そして、前述の公的スティグマや構造的スティグマは、自分に対する差別や偏見を持つ「自己スティグマ」だけでなく、自分に対する「優生思想」を持たせることまでに及ぶことのだ、と危惧を抱く必要があるのかもしれないのです。事実、聴覚障害当事者の中にも、そうした経験を通して、精神を病み、命を絶ってしまった事例があります。

したがって、「優生思想」について考える時、他者に対してだけでなく自分自身に対しても持ちうることもまず認識する必要があるでしょう。そして、そうした自分の内にある「優生思想」との対話の仕方を考えてみることが必要なのだろうと思います。もう死にたい、自殺したい―言い換えれば、私は私を殺したい、私がいなくなった方が世界は良くなる-という「優生思想」としての声を次のように変えるのです。私をそのように思わせているものは何か、と他者と共に対話しながら、困りごとの本質を観察し、困りごとの構造や対処法を見出していくといった「当事者研究」としての声に。そのように変える力を獲得できる経験や場所が私たちには必要なのではないかと思います。残念ながら、被告人は、そうしたまなざしを自分自身の人生や生き様にうつしかえして考えてみたり、あるいは他者としての障害当事者の声に耳を傾けて対話したりすることなく、一方的に根拠すらないモノローグに完結させ、今回のような結末に至った。現在もなお他者と共にそう対話することは難しい状況のようです。死刑が実行される時までそういう状況が訪れることはあるのでしょうか。

それから、自分が他者に対して抱く「優生思想」に関しても考えねばならないことがあります。判決理由全文では、被告人は「仕事中、利用者が突然かみついて奇声を発したり、自分勝手な言動をしたりすることに接したこと、溺れた利用者を助けたのにその家族からお礼を言われなかったこと、一時的な利用者の家族は辛そうな反面、本件施設に入居している利用者の家族は職員の悪口を言うなど気楽に見えたこと、職員が利用者に暴力を振るい、食事を与えるというよりも流し込むような感じで利用者を人として扱っていないように感じたこと」と、現場の実態に対する被告人の認識が語られています。「北摂杉の子園」の松上利男理事長さんは、今回の事件を受けて「彼(被告人)は『未知の異常者』ではない。元職員である以上、施設での勤務中に起きた出来事や人間関係の中に動機につながる何かの要因があったと見るのが常識だ。障害者虐待防止法では施設内に虐待防止委員会を設置し、虐待があれば市の虐待防止センターへの通報が義務づけられている。障害者への暴言や虐待行為があったとき、施設側はどのような対応をしていたのか。…(略)…。虐待が日常的に起きている施設は通報しないケースがほとんど。」と語っています。つまり、被告人の内にあった「優生思想」を支持、あるいは助長するような環境が知的障害者入所施設「津久井やまゆり園」にあったことが示唆されています。

私自身、様々な障害のある子どもの教育に関わる専門家として学校支援で全国各地を回ったり保護者や教員の相談支援に取り組んでいると、残念ながら学校現場でも障害のある児童生徒の人権を侵害し、虐待をはじめとする威圧的な指導、不適切な係わりをする様子が散見されます。当初はその様子に疑問を持っていた心ある教員も、疑義を唱えることが許されない学校現場の体質に抑圧されて、自分もそのようにするようになってしまった、という問題も起きています。介護現場だけではありません。福祉、教育、労働などどこもかしこもあらゆる現場でそれが起きているはずです。その現場でマイノリティが声をあげぬことをいいことに、しかも世間に知られぬように密室で行うということは、自分の内にある「優生思想」や「公的スティグマ」を満たせる場所を確保することに等しいのです。本来は率先して優生思想をなくすべき現場でありながら、実際はむしろ維持してしまうところに現場の自浄作用の限界を痛感させられます。

また、「優生思想」はなくすべきだとどんなに声高に主張しても、肝心のところが抜け落ちているように思えてなりません。「優生思想」が、「マジョリティ社会が人間の価値を評価し、社会にとって有害な人間や不要な人間は排除してもよいのだ」という思想であるとすれば、その代わりにどのような思想を持つ必要があるのでしょうか。それは美談のような理想論ではなく、現場で生きる、具体的で、展開可能な論でなければならないでしょう。被告人は、「本件施設で勤務を開始し、当初、友人らに対し、本件施設の利用者のことを『かわいい』と言うことがあった」とありますが、これは初めて障害のある者と係わった時に抱く一種の肯定的な感情です。それはそれでよいのですが、重要なのは、現場で障害のある者とつながるうえで「突然かみついて奇声を発したり、自分勝手な言動をしたりする」利用者に接する時、当時の被告人はどのような思想を持ってどのように接していたのか、ということです。これについては私の管見では被告人がそこまで詳しく語ったかどうかは見当たりませんでした。被告人や松上利男理事長さんが語っていたように、現場がそうした行動をする利用者に対して「優生思想」や「公的スティグマ」を内包した係わりをする環境であれば、先ほどの肯定的な感情をいかに現場で生きる者としてどのように発展させて係わったらよいのかその態度を歪ませ、障害のある者を排除する方向へ考えさせることになるだろうと思います。

さらに、被告人は、おそらく「障害のある人間一人ひとりも細やかに調整して生きているということを根底に認め、その調整の姿を私たちにもうつしかえしてどのように調整して生きるのかを考える思想」を、利用者との係わり合いの場で、ゆるぎない経験事実を持って見出すという経験を得ていなかったのではないかと思います。これは端的に言えば「優生思想」の対極にあるものとしての「個々の生を見出す思想」です。「生」は「生きる姿」、あるいは「調整する姿」に置き換えてもいいと思います。そう考えるのは、私自身、障害当事者であるだけでなく、障害当事者への教育のありかたを考える専門家としての経験もあるからです。学生時代の私は、聴覚障害領域の教育に関する研究活動と大学からの抑圧や差別と闘う障害学生運動に没頭していたため、他の障害当事者の存在や生き方まで関心を向ける余裕はありませんでした。大学教員になり、様々な障害のある子どもを持つ親御さんや担当する学校教員からの依頼をきっかけに家庭や学校の現場に入って出逢うようになりました。

そこには、言語を使いこなせることが人間として有利なのだ、社会を変えるためには自分からまず頑張ることが前提なのだ、などと私自身が受けてきた聴覚障害教育や学校教育で形成された様々な思想が一気に破綻することばかりでした。そして、幸いにも破綻する一方だけで終わらずにすみました。というのは、障害のある者の生活や実態について数値化し、量的分析を重視する調査研究から、障害のある者の生活や生きる姿をよりミクロ的な視点で細やかに質的データとして記述し、その意味を探り、確かめる実践研究に自ら決意して方向転換できる環境にいたからです。方向転換したことで、様々な障害のある子どもの何気ない視線や仕草、障害の特性で捉えると見落とされてしまいがちな子どもの手指や身体の動き、これらをその時々の状況の変化との関連で細やかに見ることができるようになったのです(Note記事参照)。そうすると、専門書で語られているように「○○障害があるから、△△というふうになるのだ」といった、個々ではなくカテゴリとして捉える障害特性論を凌駕するほどの、子どもたちの逞しく工夫して生き抜いていこうという調整の姿がありありと現れてくるわけです。その姿に私は絶句し、感動し、励まされました。そして、その子どもの姿を私たちの係わりを考える拠り所にし、熊谷晋一郎先生が言うように子どもがより依存先を増やして自立していけるような教育支援をその時その場で立案・実践・提案するようになりました。ようやく「個々の生を見出す思想」とはこういうことだと納得し、他者に伝えられるところまで進めていくことができたわけです。ですから、被告人のように最初こそ肯定的な感情を抱くことができていた支援者がその後でそのようにこれから経験できる環境が全国的に隅々まで実現されることが、「優生思想」の抽象的になりがちな議論に立ち向かう、1つの重要な取り組みになるのではないかと思います。

ちなみに、「個々の生を見出す思想」を実感し、実践できる域まで到達すると、今度は、「優生思想」や「公的スティグマ」を無意識に内包して係わったり研究をしていると思われる学校教員や大学教員の発表を聴くたびに、まるで障害のある子どもが否定されているように感じ、悲しみ、何かへの怒り、嘔吐しそうな不快感や眩暈を覚えることが増えてきました。そうか、これが私自身もおそらく公的スティグマに対して最初はそのような感情や感覚を覚えていたのかもしれない、それがいつしかそう感じなくても済むように自分の身体と心、あるいは物語を解離させていったのではないか、とそう思いました。改めて「優生思想」や「スティグマ」は、そんなふうに自分の感覚や感情まで歪ませたり、そのように感じる神経ネットワークを断ち切ることで人間であることを崩壊させてしまうほどの力を備えているのだと感じています。

したがって、今回の横浜地方裁判所で出された判決理由の全文は、法律上1つの区切りをつけ、かつその判決がいかに妥当であるかを淡々と細部まで述べられたものである一方で、被告人は死刑実行に至るまでの残された人生をどう生きるか、そして、被告人にそのような重大な殺人罪を犯させるほどの背景は何であったのかをどのように議論していくのかまでは当然触れられてはいません。ですから、法律的には何かが終わったけれども、社会的にはまだ終わったわけではなく、これから何かを始めないといけないということだと思います。

今回の判決理由全文を受けて現時点で私なりに考えられることは、これまで述べてきたように、1つは、「優生思想」は他者だけでなく自分自身にも向けられるものでもあり、だからこそ自分自身はどう向き合うか、「対話」のありかたを模索すること。もう1つは、「個々の生を見出す思想」を体現化できる現場を全国の隅々まで満遍なく増やしていくこと。そういうことだと思います。