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「自己/当事者」の話。

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記事一覧

多くの皆さんに『聴覚障害×当事者研究』が届きますように。

2018年、2019年に宮城教育大学で開催した「聴覚障害当事者研究シンポジウム」。 聴覚障害領域における様々な「困りごと」と「当事者研究」とをつなげた実践事例をシンポジウムの場で紹介する取り組みは日本で初めてであり、シンポジウムの反響は大変大きいものでした。この取り組みに関心を持ってくださった金剛出版の編集者の藤井さんから書籍化の話をいただきました。 本書では、シンポジウムで紹介した事例に新たな事例を加えるとともに、「聴覚障害当事者研究」の考え方、進め方、気をつけておきたいこ

自ら発信すれば世界は変わる。

小学3年から中学3年までの6年間、学校で心ない差別といじめを受けてきました。この状況をどうにかして変えたいのになかなか変わらない不条理な現実にもがき苦しみ、中学3年の弁論大会で決意してもがき苦しんできた6年間の経験を率直に語りました。そうしたら学校でのいじめと差別は嘘のようになくなり、さらに集団会話の内容を伝えてくれたりその時に流行っている面白い話し方を教えてくれたりして皆とよりつながる経験が増えました。自ら発信すれば世界は変わる。そういうことを確信できたのです。この確信は、

東日本大震災3.11でどのように活動してきたか

東日本大震災3.11を通して自分はどのような活動をしてきたのか。 当時の状況を記録してきたメモをもとに活動記録資料の1つとしてここに残しておきます。 <東日本大震災の前に備えていた防災対策> ・10年前頃(2000年頃)から宮城県の映像メディアで30年以内に大震災が発生すると言われていたため、防災対策を練り始める。 ・仙台市の洪水・土砂災害ハザードマップ等を参考に安全と思われる地域の賃貸マンション(仙台市青葉区八幡)に決定。  ・大家に毎月水道代を現金払いする時、筆談で室内

ダイアログ・イン・ザ・ライト:異なる身体性の遭遇と対話への信頼

先日、ダイアログ・イン・ザ・ライトに行ってきました。 ダイアログ・ミュージアム「対話の森」で行われているプログラムの1つで、長年実施している「ダイアログ・イン・ザ・ダーク」がコロナ感染拡大によって難しくなったため、期間限定で新たな取り組みとして展開しているものです。このプログラムでは、ゲスト(聴者)が8名で1グループを作ってアテンドを担当する視覚障害当事者と活動するようです。そのように組み合わせでの活動の詳細については、以下のWeb記事で把握できます。 「対話」こそ想像力

ダイアログ・ミュージアム「対話の森」で行った当事者研究ワークショップ。

コロナの感染再拡大が見られていた7月下旬。 ダイアログ・イン・ザ・ダークの視覚障害当事者アテンドの皆さんとオンラインで2日間、当事者研究ワークショップをしました。 ダイアログ・イン・ザ・ダークとは何でしょう。公式ホームページ( https://did.dialogue.or.jp/about/ )では次のように述べられています。 この場は完全に光を閉ざした“純度100%の暗闇”。普段から目を使わない視覚障害者が特別なトレーニングを積み重ね、ダイアログのアテンドとなりご参

首長記者会見の生中継の放送や配信に手話通訳が映るために何をしたらいい?

1.はじめに 2020年2月以降の新型コロナウイルス感染者の増加を受け、4月8日に安倍晋三首相が「緊急事態宣言」を発令したことについて記者会見が生中継で行われました。記者会見の生中継で、NHK及び民放各局のすべての番組に手話通訳がついていたことは記憶に新しいでしょう。このNote記事「記者会見の放送に見る手話通訳-今後も放送されるのか?-」でも触れています。 言語的マイノリティであるろう者が、どの局の番組を選択しても、私たちの生活や文化に深く関わってくるほどの非常に重大な情

第2回聴覚障害当事者研究シンポジウム2019報告書が完成しました。

2019年9月29日(日)に宮城教育大学で開催した「第2回聴覚障害当事者研究シンポジウム2019」の報告書が完成しました。第1回シンポジウムと同様に無料でダウンロードできるようにしましたので、関心がある方はぜひご覧ください。 第2回聴覚障害当事者研究シンポジウム2019報告書(PDF版) シンポジウム当日のプログラム、開催趣旨、基調講演(東京大学先端科学技術研究センター准教授 熊谷晋一郎先生)及び聴覚障害当事者5名による話題提供の内容を書き起こしたもの、および参加者の方々

相模原障害者殺傷事件の「死刑判決」。これは、何かの終わりなのか、それとも、何かの始まりなのか。

私は、横浜地方裁判所での判決の様子をWebで確認し、「死刑判決」になったことを知った時は、本当にこの判決でよかったのだろうか、これで終わりなのだろうか、という動揺や戸惑いを感じました。もちろん被告人が起こした行為は到底許されるものではありません。裁判所は、主文を最後に回し、判決理由を先に述べており、上記の判決が出された数時間後に判決理由の全文が公開されました(【判決全文】植松被告に死刑判決「計画的かつ強烈な殺意に貫かれた犯行」 [公開日時 2020/03/16 19:45])

「困りごと」を返す。

困りごと。 ある状況に直面して自分が生きにくい状態になる、つまり「困りごと」が起こった時に、その「困りごと」をどうするかを考えます。 その時に考えたいのは、「困りごと」は誰のものなのだろうか。つまり、本人が「困りごと」をどうするのかを研究するのか、それとも、そうでない者(いわゆる代理人)が研究するのか、ということです。 このことについて深く考えさせられるようなひとつの出来事がありました。 その出来事は、以前にある企画で人工内耳を装用している子どもたちとの対話で起こった

聴覚障害当事者の「視覚」の話。

聴覚障害当事者は、聴者とは違って、視覚への依存度が高い傾向があります。それにもかかわらず、聴覚障害当事者の「視覚」はどうなっているのかをとりあげた文献はあまりないのです。聴覚障害当事者といえば、聴覚に障害があるということで「聴覚」に関心が向けられがちです。それで、聴覚障害関係のテキストを見れば「聴覚」のことは載っていても「視覚」のことは載っていないのです。 そこで、ここでは、聴覚障害当事者の「視覚」に関心を向けて、聴者のそれとどのように違うのか見ていきたいと思います。おそら

自分自身について思索する「熱量」。

自分自身について思索する、とはどういうことだろうか。 これについて、教育心理学者の西林克彦が長年研究している「わかったつもり」のメカニズム(図)との関連で考えてみよう。 例えば、自分を棚上げしてAというものごとを考える。Aは〇〇だ(文脈1)、自分は△△だ(文脈2)、というふうに。図でいえば、左側で文脈1において部分1(例えば、Aや〇〇)と、文脈2において部分2(例えば、自分や△△)と適合している。しかし、文脈1と文脈2はつながっていない、つまり、不適合、ということになる。

東日本大震災の「その後」。

3月11日。その日が近づくと、「東日本大震災」が再び起こりそうで非日常を生きているような感覚に襲われる。未曽有の自然災害は、聴覚障害当事者としてどう生きるのか根源的な問いを突き付けてきた。被災地では、聴覚障害当事者たちに様々なつながりにくさが起こっていた。 自分以外の家族は皆聴者という環境で家族に気を遣って緊急情報や生活情報を聴けないまま黙り続けていた。コーダの子どもが聴覚障害のあるご両親のために情報を伝えようと夜の避難所で気を張り詰めながら起き続けていた。補聴器を装用して

聴覚障害×当事者研究の話。

2018年9月9日(日)。宮城教育大学のある青葉山では朝から小雨が優しく降り注いでいた。この日は日本初の開催となる「聴覚障害当事者研究シンポジウム2018」。 シンポジウム当日は、講師、実行委員、参加者などあわせて総勢約100名近く集まり、予想を超える大好評。聴覚障害分野でも「当事者研究」ができるのではないか、必要ではないかと共有できる機会になった。 ところで、「聴覚障害当事者研究」とは一体何だろうか。聴覚障害分野で聴覚障害のある本人が研究するイメージがあるかもしれないが

「責任」とは何だろうか。

巷で「自己責任」というコトバが流行しているようです。 このコトバが行き交う状況に、私は非常に違和感を覚えます。「自己責任」の意味は、前後の文脈から推測するに、自身の行動によって生じた過失の場合だけ自身が責任を負うものだ、ということらしいです。 しかし、これは「責任」の意味を抑圧する側が断片的に都合よくとりあげたものであり、しかも「責任」とはその人自身の内に閉ざしたものだとみなしているように思います。 果たしてそうでしょうか。例えば、J・F・ケネディ大統領の就任演説のこと