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小学生の僕を変えた小さな成功体験

こんにちは、Freelance Filmmakerの松浦竜介(りょうすけ)です。ウェブCMなどの映像コンテンツを制作しています。発信をしていくにあたって、僕自身の生い立ちから現在に至るまでの経歴を記事にしています。関心を持っていただいた方、一緒にお仕事をされたい方、なんだかよくわからないけど僕に絡んでみたい方、僕はこんな人間です。ぜひご覧ください。 
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少年期 

幼少期は内気だった僕の性格は、少年期にかけてより活発になっていった。
それには家族に加えて小学校の先生の手助けがあったからだと思う。

運動会が大嫌いだった僕に転機が訪れたのは小学校2年生のとき。体育の疋田先生にサッカーの授業で褒められたことがきっかけだ。褒められたと言っても、小学校2年生では子どもたちの運動神経に大した差はない。しかし、当時の僕にとってはそんなことよりも、褒められたこと自体が嬉しくてたまらなかった。誰かに言われないと自分は何が得意なのか自分ではわからないのかもしれない。僕の心の琴線に触れたのは、実際に僕がサッカーが得意かどうかという事実ではなくて、自分はサッカーがうまいと認めてもらえたことだった。僕は自信を持ったことでサッカーが好きになり、みるみる上達していった。たった1回の授業がその子の人生を大きく変えることもあるんだと思う。それ以来、僕はスポーツ全般が好きになっていった。そして運動会も。

小学校での小さな成功体験

サッカーにはまりまくった僕は、授業の合間の短い休み時間でさえグラウンドに飛び出してボールを蹴った。次の授業が始まる頃にはいつも汗だくになって着席していた。小学校にサッカー部があれば迷わず入部していただろう。しかし、小学校にも中学校にもサッカー部はなかった。ジュビロユースに参加しようと見学に行ったことはあるが、人見知りな僕には馴染めそうになかったのでやめた。小学校5年生のとき地元にサッカーの少年団ができたので、そこで練習した。ポジションは左サイドハーフだった。友だちの誘いでソフトボールの少年団にも入った。小学校6年生ではどちらともキャプテンを務めるようになり、幼稚園では泣きじゃくって参加すらしなかった運動会も、クラスの中心で活躍できるようになっていった。
僕の可能性を信じ、才能を伸ばしてくれた疋田先生に感謝が尽きない。

小学校5年生まで所属していた部活の名前は、たしか「運動部」だったと思う。
サッカー、キックベース、ソフトボール、マラソンなど、何でもありの部活だった。しかし小学校6年生のとき、その運動部が廃部になってしまった。理由はわからない。運動部に所属していたほとんどの生徒たちは陸上部に移った。僕もその一人だった。

陸上部

僕は短距離走が得意で、100m、200m、そして100m×4リレーの選手に選ばれた。顧問の尾崎先生は若くて厳しくて温かい先生だった。伸び盛りとはいえ、陸上はいくら練習してもなかなか記録に結びつかないこともよくある。しかし、先生からは「納得のいく結果が出なくても簡単にあきらめるな!もっと食らいついてこい!」と何度も指導を受けた。僕たちは厳しい練習を乗り越え、大会では納得のいく走りができた。尾崎先生は今でも尊敬する先生だ。

小学校5年生のとき担任だった小松先生も尊敬している。先生は僕の陸上の練習に付き合ってくれることもしばしばあった。6年生になり、小松先生が僕の担任ではなくなってからも毎日朝礼前のランニングに付き合ってくれた。今思えば季節を問わず毎朝のように走っていたのだから、先生もきっと大変だっただろう。とても仕事だからと割り切ってできるようなことじゃない。小松先生にも本当にお世話になり、感謝が尽きない。

教室での授業のことはほとんど覚えていない。生きていくうえで大事なことは、すてきな先生たちとの出会いや放課後の課外活動などを通して学んでいったと思う。スポーツを通して小さな成功体験を積み上げることができ、それが自信に変わっていった。それをはじめて実感することができたのが少年期だった。仲の良い友だちもたくさんできて、本当に楽しい学校生活だった。
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