こころの薬は生きるを楽にするか。
楽に生きられるようになるにはどうすれば良いか研究してきた中で、このnoteという場所は思考整理や掘り下げが出来るし、他の方の頭の中にもお邪魔できるので楽しいです。
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高齢者ケア職なので今週末の休日もおこもりで、先週に引き続き断捨離を猛烈に断行してるのだけど、土曜日は昔趣味でやっていた写真達の処分。
原宿でグループ展をやるぐらいには夢中で取り組んでいたので、販売用も含めて種類も量もそこそこ残ってたのを思い切ってさようならしたよ。
断捨離は先週もやってて、書類系は情報量が多いから捨てるのが苦手と書いたけど、写真は撮った時の想いが詰め込まれてるから、処分にすっっっごくエネルギー取られてグッタリ。
グループ展をやっていた時ぐらいのメンタルはまだまだ良くなく生きづらさも強かったので、写真から発せられるエネルギーや撮った時に込めた想いの記憶みたいなものに当てられちゃった。
でもこれらがなくなってスペースが広がったら、絶対気分も軽くなって新しい流れが入ってくるはずだから、ヘロヘロしつつも最後まで踏ん張れました。
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そんな私ですが、心の調子が良くなかった時期は精神科のお薬を限界値で飲んでいました。
当時の主治医にもっと辛さが軽くなる薬はないのかと聞くと「これ以上強い薬はないし、出せる量の一番多い量で出している」と言われるほどの最大最多量。
それだけの強い薬を飲んでいると日常生活はままならなくて、ベッドから起き上がることもできないような日々でした。
なのに限界量でも一向に辛さは消えず、治療してるのにもかかわらず辛くて動けない自分の不甲斐なさに、涙を流すばかりの日々でした。
もっと言うと薬を飲み始めてからどんどんメンタルは悪化していき、飲む前はただ胃が痛くなって落ち込むことが増えてきた程度だったところから、自殺未遂を繰り返すまでに3ヶ月で一気に変化して、精神科に入院せざるを得ないところまで転がり落ちました。
カルテを開示してもらった当時の自分の記録を見ると、薬でおかしくなっている私はちょっとした狂人です。
そんなさなか、私はふと思い至ってしまうのです。
「薬、意味ある?」
飲まなかった時は多少辛いぐらいだったけど、飲み始めたら死ぬほど辛くなった。
これ以上強い薬はないし、楽になるための増薬もこれ以上できないのに、薬は辛さの何の解決になっているの?
私楽になりたくて薬飲みはじめたんじゃなかったっけ。
そんな相談を主治医にしてみたのですが、今ほど精神的治療の選択肢も少なかったのもあって、投薬治療しかやってないから他の治療法をやりたいなら転院してもらうしかないと言われました。
知らない病院に新しく行くのは怖いけれど、今の状況ではもっと悪化していくイメージしか湧かない。
薬も飲んでも辛いし飲まなくても辛いのなら一緒じゃないかと考えて、デイサービスとして集団認知療法のようなものを行っている病院を紹介してもらい、怖々ながら転院しました。
新しい病院の主治医の先生に私には投薬治療が合わなかったので、薬に頼らないで自分を良くしていきたいという希望を伝え、先生もそれを了承してくれました。
薬もたいして苦労せずに無くしてしまえました。
私の場合は元々苦しさMAXで精神状態以外にも動悸や倦怠感も強かったので、減薬の副作用の辛さは大して気にならず、あっさり止められました。
薬が抜けてくると頭が徐々に回るようになって、少しずつクリアになっていき、体も軽くなりました。
集団認知療法のようなものは、他の人が何をどのように考えているのかを知る機会にもなって、世界が広がりかなり勉強になりました。
それからは家族の支えもあって七転び八起きの試行錯誤、薬学や心理学、栄養学の勉強もして、おかげさまで現状に至れています。
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そういった経験をしてるので、私個人は薬が意味があるものなのかよくわからないでいます。
薬で楽になったような話も聞くので、きっと人によって相性があるんだと思います。
一概にメンタルの薬がダメだと言うつもりはないのですが、どこまで効果を発揮しているのか、副作用の辛さに見合った効果なのかという疑問は拭えません。
だからこそ薬でない治療方法の認知療法や、体にマッサージしてセロトニンを出すような施術を知ってもらいたいと考えるのです。
こころの薬は、あなたの生きるを楽にしていますか。
生きづらさ応援の活動をしています。