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つらいことは手放せられたら良いのにね。

つらいながらも抱えてしまってる自分の問題は、本当に手放せないものなのかな。
手放せるのに抱えてるのだとしたら、それは何故だろう。

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いつも深い考察で、キレのいい文章を書かれてる風埜いろはさん。
読んでいてとても学びになることが多いです。

私は、自分の意思であえて「悩み」を抱えているのではないだろうか、と。
(中略)
大した悩みでもないというのが本当のところだが、解決できる方法を知っているのに、その道を選ばないようにしている気がしたのだ。

ここを読ませていただいたときにハッとしたのです。

悩みを抱えていて、それに対して解決できる方法を知っていながら、何だかんだと理由をつけて問題解決しないこと、心当たりあるから。

おかげさまでここまで回復させてもらった経験を振り返って思うのは、本当にどうしようもない解決法のない問題はそうなくて、何かしらの解決方法はあるのにそれを選べなかった自分がいたということです。

それなら、何故その解決方法を選べないのでしょうか?
そこを掘り下げていくと面白そうだぞ、と思ったのです。

人によって解決法を選べない理由は様々あって、人間関係のしがらみだったり、お金や健康上の問題だったりが多いのではないかと推測するよ。

その中でも本当にどうしようもないことと、対処法はあるけど選べないことに分けられそう。
前者はLGBT問題や持病持つ故の問題など様々あるでしょうが、これに関しては問題をどう捉えるのが自分が楽になるのかを見出して、その捉え方を取り入れて少しでも楽になるのが良いんじゃないかなと思ってるよ。

私も自分の難病には発症すぐはつらい思いしてたけど、時に諦めも伴わせながら受け入れるしか楽にはならなかったから。

そして後者の、対処法はあるけど選べないことについては更に掘り下げが必要かもしれないね。

例えば毒親から離れられない理由。
関係を切ろうと思えばできるし、毒親を切ってる人も実際多くいる中で、そうしない理由はなんなんだろう?とか。

他にも例えばお金がなくて現状改善できない問題も、日本の制度全部活用しきったのかとか、向き合うのには少々キツい問題も沢山あって。

あとは私も自分で嫌だと思いつつもなぜ自分がそうなってしまうか未だ答えが分からない問題もあって、その問題は嫌がりつつたまに逃げながらも、結局は答え出るまで向き合い続けるしかないような問題なんだろうな。

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そしていろはさんはこう続けます。

最近になって痛感しているのだが、多くの悩みは「考え方次第」である。

そして私は、どちらかというと「辛い」とか「苦しい」とかを口にしないタイプだと自負している。何故なら、多くの場合が「人に言っても仕方がないこと」だからだ。

私もそうなのです。
つらいとボヤくぐらいはしますが、具体的な内面の問題解決は人に求めません。

それは自分の人生を自分で決めて選ぶも良し、選ばぬも良し。で書いたように、人に言われたことをそのまま取り入れて生きるのも自分のエネルギーを消耗させないひとつの生存戦略だけど、私は自分で納得した選択肢を選んで生きていくことを大事にしたいと考えているからです。

もちろん必要以上に受け取ってしまうこともあるけれど、まず困ってるような問題は自分で解決法を調べて検討してみて、良さそうなものを仮で取り入れてみて、自分に合ってそうだと思ったら定着させる。

そうやってここまで来たので、あまり人に問題解決の助けを求めないでいるタイプです。

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でももしかしたら自分で時間かけて探さずとも、自分が選ぶ答えをもう持ってる人が居るかもしれないとも最近思うんです。

それにこれからの時代は「助けて」と声を上げて言える人の方が先に進むように思えるから、私がやってきた自分で問題解決タイプはもう古いのかもしれない。

そんなことを考えながら、捉え方変えて解決するのでも、誤魔化しちゃうのでも、解決自体諦めるのでも、どんな方法でも良いから少しでも生きるの楽になる人が多くなれば良いなと思って、ぼんやり空を見上げるのです。

* *

つらいのに抱えてる問題は、本当に手放せないもの?
手放せるのに抱えてるのなら、それは何でなのだろうね。

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