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融通ききづらい、そんな自分も嫌いじゃない。

私はADHDの気があるので、物事によっては〜でないと心地よくないとこだわりが強く、その通りにならないとテンパってしまうこともたまにあります。
きっとそこにはHSPの要素も関わってきて、受信する情報量が多いので心地よい範囲が狭めというのもあって、自分を心地よく過ごさせるためのこだわりにもなるんだと思います。

一時期は自分の融通の利かなさやこだわりの強さに、何でこんななんだろうと責めたこともあったけど、自分の特性を知ることによってちゃんとその理由も分かって納得がついたし、それを上手く応用することも少しずつできるようになってきました。

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いつだって一生懸命だねと言われることあって、その言葉の裏には真面目すぎる的な意味も感じられるけど、それでも私はこんな自分が嫌いじゃないです。

20歳ぐらいの時に高熱が1週間ぐらい続いて大変な思いをして、薬を飲まなければ半分は死んでしまう持病がわかってから、色々人生を考えました。
今となっては、薬さえ飲んでれば下手したら人様より元気に活動できるような自分を気に入ってて、夏はその薬の副作用で暑くて結構しんどい副作用に苦しんでたりはするけれども、それ以外は概ね幸せに生きれている感じです。

この持病があるからこそ深く考えられるようになったし、弱みを持っていることは人間の幅を広げることにもなるはずだし、悪いことじゃないと思っています。

病気があるから人様よりは早めに寿命を迎えるだろうし、そうすると常に終わりを意識するから、今がより大切になる。

今を生きて今があることに対しても、当たり前ではない感覚で日々を過ごせることは大切な感覚だと思っているので、病気に対して苦労してないことはないけれども、まあ悪くないなと思っているのです。

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それに加えて高齢者のお体をケアする仕事をしていると、人間が老いることでどのように体が思うように動かなくなっていくか具体的に理解できているために、今の自分の体が思うように動く状態が当たり前ではないことも知っているから、何事も有限なのだと日々自覚させてもらっていて、そうするとより今を大切に生きようと思える大切なお仕事をさせてもらっています。

何事も当たり前に自分の手元にあるものではないこと、有限であることを忘れないように(有限だと思うとしんどいことも乗り越えやすくもなるというのもある)、今週も一週間を精一杯生きていきたいなと思います。

とはいえバイオリズム的に今がっつりやさぐれ期ではあるので、その期間を限定のものと意識して、精一杯ふてくされてしょぼくれて、ダウナーな自分すら誤魔化さないようにしたい所存です。

生きづらさ応援の活動をしています。