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02楽しくなりますように(前編)| あまのじゃくな神様は|

横浜の片隅に「願い事が叶わない」で有名な神社がある。合格祈願、商売繁盛、良縁を願っても全くといっていいほど思うようにならない。そんなことがまことしやかに囁かれる神社。

朱色に塗られた鳥居。木々に囲まれた短い参道の奥、手水舎の先に拝殿がある。天井にぶら下がった鈴には紅白の紐が結び付けられ、格子状の扉からは少しだけ中が見える。小さな拝殿の中は鏡が置かれていて、薄く光を放っている。身をかがめてそれを覗いてみても、そこに映るのは自分の姿ではない。それは、見ている人のふりをした神様。

そうやって神様は、参拝に来た人を、相手に気づかれることなく、じっくりとご覧になっている。深く優しい眼差しだ。今日もまた、うわさを知らずに『あまの神社』にお願いごとをしに来た人がいる。


⛩ amano-jack


部活の後、同級生の遥と別れた後、相坂ゆずきは、大きなショルダーバッグを肩にかけ、小柄な体を左右にのっしのっしと揺らしながら歩いていた。土埃のついたハーフパンツからは焼けた足が伸びる。ソックスを下に下ろしているので、日焼けの境目がくっきりと目立った。

道の向こうに見える山はすでにシルエットだけになっている。夕日を背景にした巨大な影絵だ。山の端に見える濃くまばゆい黄色は、空の上方へと登るほどに夜の濃い青の中へ消えてゆく。

「はぁーあ」とゆずきはため息をついた。
「結局、ゴールデンウィークも全部、部活だったし…もう...」

頬を膨らますと、道路脇に神社の鳥居が見えた。

「あれ?」と不思議に思って立ち止まる。
「こんなところに神社なんてあったっけ…?」

ちょうどそのタイミングで鳥居の前の街灯がチラチラと点滅し、明かりが灯った。
「あまの神社…へぇ」
ゆずきは何となく中へと入ってみた。

ゆずきは中学三年生で、横浜市にある南久保中の生徒だ。ソフトボール部に所属している。が、本当はサッカー部に入りたかった。ただ他の多くの中学校の場合と同じように、南久保中には女子サッカー部がないので、仕方なくソフト部に入った。小柄だが運動神経はいい。体育祭ではリレーの代表にもなるし、ソフト部でもサードを守り、三番を打っていた。

鳥居をくぐり、太陽の熱が余韻を残している境内に入る。小さな神社だった。家ではゆずきのおばあちゃんが毎日仏壇にお経を上げている。お父さんも家と会社の神棚にはいつも手を合わせている。神様や仏様とは縁の深い家庭なのだ。

夕方の薄暗さの中、神社の静かで凛とした雰囲気が少し恐ろしく、ゆずきはちょっと歩みを早め拝殿の前へとやってきた。ポケットにコンビニでジュースを買ったお釣りがあった。それを賽銭箱に入れ、軽く鈴を鳴らして手を合わせる。

「楽しい夏休みになりますように。夏休みだけが頼みです。部活を早めに引退できますよ…」
そこまでいってゆずきは口を閉じた。市大会を勝ち、県大会まで行ったら部活は七月の終わりまで続くことになる。それは嫌なのだが、一方で試合に負けることも嫌だった。

「言い直します。楽しい夏休みになりますように。ソフトボールが楽しくなりますように」

そう言って顔を上げた。拝殿の格子状の扉の闇の中に何かがいそうな気がして目を細めてみたけれど、怖さがまさって見続けることができなかった。バッグの位置を調整しそそくさと神社を出ることにした。

鏡の中、ゆずきをのぞいていた神様は、 にっこりと笑い、ゆっくりと頷いた。そして鏡の中からすっと抜け出す。神様の姿は空気に溶け込むように消えていく。風がさわさわと参道脇の木々を揺らし、そのままゆずきを追い抜いていった。ほんのりと心地の良い香りがした。

神社の前で鳥居を見上げている男の人がいて、少しドキリとしたが、そろりと脇を通り抜ける。通りに出て、走る車のライトを見るとホッとした。空のオレンジ色は後少しでなくなりそうになっている。オレンジが完全に消える瞬間を見届けよう、とじっと目をこらしながら、ゆずきはいつもの呑気さを取り戻していた。


⛩ amano-jack


「ナンクボ」ソフト部と言えば横浜市内では強豪として有名で、毎年県大会に出場している。グランドでは毎日、野球部、サッカー部、ソフトボール部が場所を取り合うようにして練習していた。

ソフトボールは好きだったけれど、強豪だけに練習日が多く、時間も長いのがゆずきは気に入らなかった。加えて、ゆずきは自由に遊ぶのが大好きだ。小学校時代は友達と自転車でいろいろなところに出かけていた。また、お父さんが工務店を経営していて、そこのバーベキューなどのイベントにも一緒に出かけていた。特に何をするわけでもないのだが、大人たちの中、かまってもらいながらガヤガヤと過ごすのが楽しかった。

それなのに今年のゴールデンウィークのバーベキューには参加できなかった。その前の春休みの花見にも行けなかった。すべて部活があったから、だ。

お母さんはゆずきが小さいときに病気で亡くなってしまった。おじいちゃんはその前で、今はお父さん、おばあちゃん、お兄ちゃんの四人家族だ。お父さんは仕事が忙しいので、おばあちゃんにべったりのおばあちゃん子に育った。家事ももちろん手伝っている。

「子供っぽい。中三には見えない」とゆずきは言われることが多い。

見た目も精神的なところも両方指しての言葉だが、あまりにも言われるので、さすがのゆずきも気にするようにもなってきた。確かに周りの友達も、中二の後半くらいからか雰囲気が「大人っ」ぽく変わってきている。集まると男子の話や、おしゃれの話や、芸能人の話ばかりをしている。ゆずきにも、気になる男子もいるし、おしゃれも、おしゃべりも好きだが、周りの女子ほどには楽しいと思わなかった。それよりも本当は、鬼ごっことかをして遊んでいたかった。でもさすがに、鬼ごっこの相手をしてくれる友達はほとんどいなくなっている。

自然、同級生で本当に気の許せる友達、というのが限られていた。見えそうで見えないルールに縛られた女子っぽい雰囲気も強まってきたようで、時期によっても、ある時期にはこの子と仲良し、別の時期にはこの子、という風に変わってくるのだ。
「それに比べると」とゆずきは思った。
「工務店のおっちゃんたちは気楽でいい」

ただそんなゆずきにも一人だけ、ずっと仲が良いの親友がいて、それが同じソフト部の丸山遥だった。

遙とは幼稚園、小学校、中学校と一緒だ。身長が高く少しぽっちゃりしているので、男子からは「ジャイ子」とからかわれることもあった。遥は明るく言い返していたのだが、本当は繊細で傷つきやすい性格だ。ゆずきから見ても、遥の顔はかわいいと思う。くりっとした瞳に、形のよい鼻をしている。告白をされ、中一の時に一度彼氏ができたこともあった。今はすでに別れたようだが、遥の方が頭一つ分背が高かった。男子のからかいはきっと遥に対する好意の表れなのだろう、と思う。

ゆずきは遥が相手なら安心して話が出来た。
優しくおっとりしていて、人に何かを強制することがない。ソフト部ではファーストで四番を打っている。面倒くさがりで気持ちにムラのあるゆずきとは違い、朝練も土日も真面目に練習をしていた。もし遥がいなかったら、ゆずきは練習をさぼり続け、とっくにソフト部は辞めていたことだろう。


⛩ amano-jack


その夜、遥からスマホにメッセージが届いた。
家に帰り、お風呂や夕食を済ませ、家族でテレビを見ていたときだった。メッセージを開くと「涙」や「汗」を表す絵文字と「ごめん」や「悲しい」という言葉が目に入ってきた。メッセージを読むと思考が停止した。

「どういうこと?えっ…!?」

しばらく止まっていた思考が動き始めると、今度は胸の奥から不安と悲しみを混ぜたような感情がわき出してくる。ゆずきは文面を何度も読み返した。

「どうした?」というお父さんの言葉に、適当に「うん...」とだけ答えてメッセージの返信をする。送っては既読となり、またメッセージが返ってくる。それを何度か繰り返した。 
「おばあちゃんっ」
ゆずきは泣きそうな顔でおばあちゃんを見た。おばあちゃんはテーブルの向かいに座って、お茶を飲んでいる。お兄ちゃんはまだ学校から帰ってきていない。
「もうやだ…」
そう言ってゆずきはテーブルに突っ伏した。

メールによると、遥は転校することになる、ということだった。父親の仕事の転勤にともなう転校で、行き先はアメリカだった。

<< 単身赴任じゃダメなの?
ゆずきは無遠慮に聞いた。
<< 長くいることになるから、家族で行くんだって
<< 遥もやっぱり行っちゃうの?
<< うん…

ゆずきは顔を上げ、おばあちゃんとお父さんに、遥が一緒に暮らせないか、ということを相談してみた。
「一緒に暮らすってどういうこと?」
お父さんが聞き返した。テーブルにはビールの缶とグラス、おつまみのかまぼこがある。
「遥と一緒に暮らしたい」
「どこで?」
「ここで」
「ここでって...この家か?」
ゆずきが頷くと、お父さんは笑い出した。
「そんなの無理に決まってるだろ。向こうだって事情があるんだから」
笑うお父さんを腹立ち気味に見ながら
「じゃ、お父さん。私もアメリカに旅行に連れてってよ」
とゆずきは言った。
えっ、とお父さんは顔をしかめる。
「私、会いに行きたい...。社員旅行アメリカにしてよ」
「無理だよ」
「なんで?」
「お金はどうすんのさ?」
「頑張って稼いで」
お父さんは、アホか、と言って困り顔で笑った。
「ちょっとは落ち着けよ。動揺しすぎだ」

ゆずきはスマホの画面を明るくした。本当は「遥は私の家にすめばいいじゃない?お父さん達はいいって言ってくれてるよ!!」とメッセージを送りたかったのだ。が、それができなくなった。

<< いつから行くの?
<< 夏休み中に引っ越すことになってる
<< 八月までいるの?

八月だったら、あと三ヶ月あるし、夏休みだってある。

<< ううん。お父さんはもう来月行くんだけど、私がギリギリまで日本にいたい、ってお願いしたら、お母さんと一緒に残っていいって。多分、ソフトの最後の大会が終わったらすぐ行くことになると思う。
<< それじゃ、七月の終わりくらいまで?
<< うん…。
<< 全国大会に行ったら?。
<< それは…分からない。でも、向こうの生活にも慣れなきゃいけないし、学校とかの手続きもあるからって。でも、もし全国大会に出場できるなら私は残りたいけど…

だんだんとリアルになってくる感情に、ゆずきの胸は悲しみと切なさで張り裂けそうになった。止めどなくこみ上げてくる感情を抑えることができない。はらりはらりと涙が落ちてきて、ティッシュに手を伸ばした。鼻をかみ、カレンダーを確認する。

区や市大会で負ければ一学期終了後に遥はアメリカに行くことになる。県大会まで行けば七月の終わりまで残る。それでもあと二ヶ月くらいしかない。また涙がこみ上げてきた。もし、 県大会で優勝をして全国大会に進めれば……八月の中盤まで一緒にいられる可能性がある。ゆずきは涙を拭った。

「絶対、優勝をして遥のお母さんにお願いしよう。全国大会まで一緒にいたい。そして最後に遙と一番のいい思い出を…」

それを思うとゆずきは切なくなり、両腕をテーブルに添えて突っ伏した。声を潜めて泣いているのを、テレビを見ていたお父さんはバツの悪そうな顔で見ていた。おばあちゃんはちょっと前から席を立ち食器を洗っていた。

02楽しくなりますように(後編)へとつづく。
こちらの作品は#cakesコンテスト2020に応募する作品となります。

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