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世田谷かるた

群馬県で育った人は皆、小学校の頃に「上毛かるた」を覚えたり、遊んだりして、郷土愛を育んだようです。東京の世田谷区にも名所はたくさんあるので、「世田谷かるたなるものを考えてみました。ご笑覧ください。

【い】
磯野家が総出で迎える桜新町
(近年、波平の頭頂部に一本だけ離れて残っている髪の毛が何者かによって抜かれてしまった事件が発生。いたずらに憤る人よりも、「あの硬いワイヤーをよく抜いたな」と関係者が感心していたことが印象に残っています。)

【ろ】
芦花公園晴耕雨読が偲ばれる
(「不如帰」「みみずのたはこと」などで知られる、徳冨蘆花ゆかりの地、正式には蘆花恒春園というようです。今の港区南青山、高樹町辺りに住んでいましたが、土に親しむためにと、旧・千歳村粕谷だったこの地に移住したそうです)

【は】
働くも住むも快適世田谷区
住めば都といいますが、90万人以上がクラス「区」は全国でもここだけでしょう。23区の中で最も面積が広いのは三分の一が空港関係の敷地である大田区ですが、人の住む場所の広さでは世田谷区が最大です)

【に】
人情と文化豊かな経堂の街
(「サブカルチャー」という言葉が定着する前から、「若者文化」を語っていた晩年の植草甚一さんが住まわれていたことでも有名です。様々な助け合い、親切が溢れる街ですが、考えてみれば千歳船橋も祖師谷大蔵も豪徳寺も梅ヶ丘も世田谷代田も下北沢も三軒茶屋も駒沢大学も千歳烏山も……)

【ほ】
ボロ市のある日はなぜか15、6
(ルーツは1578年にまで遡ります。北条氏政が世田谷城下で始めた楽市を嚆矢とします。その頃は毎月、日数も多く催されていましたが、今では12月と1月の15、16日で、曜日の縛りがないので、週末に重なると大変な混雑です。世田谷区の無形民俗文化財。)

【へ】
平和館命の尊さ学ぶ場所
(甚大な悲劇を巻き起こした太平洋戦争の反省から、戦禍の体験や記憶を留め、戦争の悲惨さと平和の大切さを学ぶ場所として、開設されました。広島、長崎の原爆の被害についても展示があります)

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